意地
カイルの槍が、低く唸る風音を引きながら迫る。
刃が振るわれるたびに、地下に篭る冷えた空気が裂け、肌を刺す圧が生まれる。
突き、薙ぎ払い、回転――容赦のない連撃が連鎖し、息を継ぐ余裕すら与えずにアイオンへ襲いかかった。
「ッ……!」
アイオンは必死に剣を合わせる。
だが――受ける衝撃は一合ごとに重さを増し、肩から腕にかけて痺れが蓄積していく。
明らかに押し負けている。
技量も、速度も、間合いの支配も、すべてカイルが上。
カイルは息一つ乱さないまま、獣じみた鋭さで踏み込み――槍を深く突き立てた。
「遅ぇんだよ!」
次の瞬間、柄が脇腹へ横殴りに叩き込まれる。
「がはっ!」
呼吸が肺から強制的に抜け、身体が横へ弾き飛ばされる。
石壁に背中から激突し、重く低い衝撃が地下へ響き渡った。
「ぐ……っ……」
視界が揺れる。
耳鳴りの中、世界がわずかに遅れる。
それでも、カイルは追撃の手を緩めない。
呼吸の間すら奪うように間合いへ踏み込み――
槍先が喉元めがけて真っ直ぐ突き抜けた。
アイオンは転がるように回避する。
直後、背後の壁が爆ぜるように砕け散り、石片が雨のように降り注いだ。
「この程度の腕でイキがりやがってよ!」
嘲りを含んだ声と共に、カイルは槍を引き抜き、再び距離を縮める。
狙いは正確に――腹部。
「……ッ!」
避けた――そう思った刹那。
穂先が、浅いながらも確かに肉を裂いた。
「……あ、ぐ……!」
焼け付くような熱が腹に広がり、服が瞬く間に血で湿る。
滴り落ちる赤が石床を染め、金属の匂いが鼻を満たす。
「避けた気になってんじゃねぇよ!」
カイルの声は、地下の閉ざされた空気を震わせ、重く響いた。
「外ならお前の速度も活きただろうが……この狭さじゃ意味がないんだよ!」
横一文字に槍が走る。
アイオンは剣を構え直して受ける――
ガキィン!
腕が痺れ、剣が手の中から滑落しそうになる。
(俺の動きを、全部読まれてる!)
カイルは鼻で笑う。
「消えようが関係ねぇ。結局俺を狙ってんだからな。周囲だけ意識してりゃ簡単に潰せる。外なら手こずっただろうが……場所が悪かったな!」
槍の柄が傷口を正確に叩き抜く。
「ぐ、あぁあッ!!」
膝が折れる。
胃の奥まで衝撃が響き、呼吸が勝手に乱れた。
「選ぶ?選択?……そんな段階にいねぇよ!」
穂先が胸へと向けられる。
「……俺だって、いつか自分の道を歩けると思ってたんだよ!」
柄尻が胸部へ深々と撃ち込まれた。
肺の中の空気が押し出され、喉が勝手に震える。
「……ッ、ぁ……!」
「でもな!現実は"選ばされる側"なんだよ。貴族の娘を攫った日に嫌ってほど分かった……冒険者も傭兵も、誰かの都合で動く駒だってな!」
その踏み込みは、過去最高の速さだった。
(速い……!)
槍の軌跡が閃光のように闇を裂く。
受けるだけでも限界。
連続する火花が散り、金属音が耳を刺し、腕の感覚が鈍り始める。
(打開できない……!)
攻撃が止む気配はない。
槍先が腹の傷をなぞるように掠め、熱い血が新たに噴き出した。
「さぁ!夢見る時の終わりだ!」
強烈な一撃が剣を跳ね上げる。
――そして。
次の瞬間、槍の突きが、ためらいなく腹に突き立った。
「――あ」
冷たさが、焼ける痛みより先に走った。
完全には貫通していないが、肉を深く裂き、骨で止まっている。
「……ッ、あ、ぁぁ……!」
声にならない悲鳴。口から血が溢れ落ちる。
カイルは止める気などなく、さらに槍を押し込んだ。
「ぐ、ああああッ!!」
視界が焼けるほどの痛み。体が震える。
「終わりだ。後は血を垂れ流してくたばれよ……あの爺さんみたいにな!」
震える手で、アイオンは槍の柄を掴む。
力が入らない。それでも、押し返そうと抗う。
「……ふざけるな……まだだ……!」
魔力が微かに巡る。
カイルは警戒して飛び退く。
だが、その魔力はカイルに向けたものではない。
アイオンは、自らの深い傷に手を押し当てた。
(加減を間違うなよ!俺!)
「――火よ!」
火の魔力が体内から溢れ、患部を焼く。
「ぐぁぁああ!!」
焼け焦げる匂い。
内臓まで焼き付くような激痛。
胃液が込み上げる。
だが、確かに血が止まった。
強引なやり方。
それでも、生き延びるためには必要だった。
「……これで、まだ……戦える」
アイオンが立ち上がる。
カイルは呆れ混じりに笑った。
「……お前も大概イカれてんな」
痛みで膝が震えながらも、アイオンは剣を構える。
その姿は、折れていない。
「力量差も理解できてねぇのか?……そんな無茶して立っても死ぬのは変わらねぇ。なら苦しまずにいた方がいいぞ?」
「……わかってないですね、カイルさん」
体中から滴る血。
――それでも目には確かな光。
「"生きてる内は諦めない"。……これが俺の生き方なんですよ」
「はっ!ただの阿呆だな」
「それでも……あなたよりはマシですよ」
アイオンは薄く笑う。
「自分の生き方に、意地を張って死ねるならね」
――意地。
その言葉が、カイルの胸に突き刺さった。
(……意地……?)
脳裏に、幼い日の光景が、色を持って蘇る。
#
――ゴルドに拾われたばかりの頃。
「俺も皆みたいに、傭兵になって生きるよ!」
幼いカイルの声。
仲間たちは笑ったが、ゴルドだけは寂しげな目をしていた。
「……傭兵は結局、金のために何でもやる生き物だ」
空を見上げる横顔。
その影は長く、そしてどこか孤独だった。
「俺はそんな生き方しか知らねぇし、教えられねぇ」
だが、カイルを見る時はいつも優しかった。
「でもな、カイル」
しゃがみ込み、視線を合わせる。
「お前は男だ」
その声は、熱を孕んでいた。
「馬鹿にされても、見下されても……意地を持って、絶対に捨てるなよ」
ごつごつした大きな手で頭を撫でながら笑う。
「それだけ抱えてりゃ、どんな世界でもどうにでもなる!わかったな?」
#
今のアイオンが、あの日のゴルドの姿と重なる。
血まみれで、傷だらけで、それでも――折れずに立っている。
(……団長)
胸が、痛い。
(俺は……)
壊れた記憶の欠片が、心臓の奥を締め付ける。
「……ああああああああ!!」
怒号と共に槍を振るう。
だが――もう崩れている。
攻撃は荒れ、的確さを失い、隙だらけになっていく。
「黙れ!!黙れよ!!」
涙混じりの叫びが、閉ざされた地下の空気を震わせた。
「お前に俺の何がわかるってんだ!?」
その乱れた軌道を、アイオンは痛みに耐えながら読み切る。
冷静な分析――そして、気付く。
(ここだ!)
自分の限界も、傷の深さも、一番理解している。
勝機は今この時しかない。
魔力を振り絞る。
出力は無視し、火魔法を構築する。
一瞬の隙を作るために。
「火よ――壁となれ!」
炎の壁が立ち上がり、熱波が地下を満たす。
「そんなもんで!止まるかよ!!」
カイルが槍で炎を裂く。
炎が割れ―― その向こう。
剣を鞘に入れ、抜刀の構えをとったアイオンが立っていた。
「……ッ!」
カイルが突進する。
だが――
アイオンの抜刀は、その速さを僅かに上回った。
「ここも――俺の間合いだ!!」
圧縮した風の魔力を一気に解放する。
風が唸り、刃の形を成してカイルを襲う。
カイルは反射的に槍で受ける。
だが――槍の柄が、中心から真っ二つに割れる。
「――あ」
次の瞬間、風の刃が身体を切り裂き、鮮血が宙を舞った。
「ぐ、ああああ!!」
膝をつき、砕けた槍が床で転がる。
(……団長……)
視界が霞む。
痛みよりも、胸の奥の後悔が重い。
壊れた槍。
自分の誇り。
生き方そのもの。
その全てが――失われた気がした。
(……俺は……意地……張れなかった……)
カイルの身体が横へ倒れ込む。
鈍い音が地下に響き渡った。




