二百年
飛び出していったアイオンを見送った後。
レアは気を失っているセアラにそっと上着をかけた。
そしてナリアのもとへ戻り、魔法の手を差し伸べる前に、ベティへ声をかける。
「…いろいろ、聞きたいことがあるでしょうね」
「あの子は〜アイオンではないのですか〜?」
「―わからないわ」
そう答えると同時に、レアは回復魔法を施す。
魔力量も経験も―ハーフエルフの彼女には到底及ばない。
ベティにとっては正直ありがたい支援だった。
「わからない。とは〜?」
尚も問いただすベティ。
ナリアの容体も気になるが、女神教徒としては――こちらの答えの方がはるかに重要だ。
「…あの子、“クソ女神か?”なんて言ったんですよ〜。レア様に、女神様の干渉があったのでは〜?」
ベティの目が鋭く細まる。
だが――
「それはないわ。もう二百年も…何の干渉もないのよ」
レアは即座に否定する。
その言葉が真実かどうかは、彼女自身にもわからない。
ベティはさらに探るように言う。
「でも〜説明がつきませんね〜。あの子があんなにあっさり“望み”を口にするなんて。それに、“前のあなた”とは? …っつ!」
言いかけたところで、強烈な倦怠感がベティを襲った。
魔力が尽きたのだ。
慌てて回復薬を飲むも、効果が出るには時間がいる。
「休みなさい。回復したらまた手伝ってもらうわ」
「話を逸らしてませんか〜?」
「私の魔力はまだ平気でも、体力は別よ。その時はあなたが回復役になる。あなたの魔力が戻るまでは大丈夫だけど、それ以降は――ね。…今は休みなさい、シスターベティ。これは“命令”です」
「…はい〜」
強引に話を打ち切られた気がしたが、命令には逆らえない。
どんな組織でも、上の命令は絶対だ。
「これが終わったら教えてくれますよね〜?」
「…本当になにもないんだけどね」
「まぁ〜わかりました〜。寝ます〜。ちょっと限界通り越しそうなので〜」
「はい。ゆっくり休みなさい」
ベティはその場にごろりと転がった。
教会に戻る気力など、残っていない。
「はしたない」
「…アイオンさんの気持ちが少しわかりました〜」
小さく言い返し、瞼を閉じる。
眠りに落ちる前に、ベティは思考を巡らせた。
―確かな事実がある。
アイオンが“クソ女神”と口にしたこと。
まるで、会ったことがあるかのような言い方だった。
女神の記憶を持つ者など、聞いた事がない。
かつて、“招かれた魂”は神託と共に現れた。
だが、女神は誰がその魂なのかを告げなかった。
ただ「招いた」とだけ伝え、人々は異常な成果を示した者を“それ”と信じ、女神と共に讃えた。
しかし―二百年前、最後の神託を境に沈黙は訪れた。
祈っても、問いかけても、答えはなかった。
代わりに広まったのは奇病。
子どもたちが次々と命を落とした。
その絶望を利用した"俗物ども"は教義を歪め、女神の地位を奪った。
病に愚かな名を与え、「あるがままを受け入れよ」という言葉を拡大解釈して広めたのだ。
(腸が煮えくり返りますが〜…今は良しとしましょう。これも運命ですかね〜?)
意識が薄れていく中、ベティの口元が自然とほころぶ。
(ナリアちゃんには気の毒ですが〜きっとアイオンさんは森に入っても生き残ります〜。それなら、万事OKです〜)
死は珍しいことではない。
毎日、どこかで誰かが命を落とし、女神のもとへ帰っていく。ナリアも、その一人にすぎない。
だが――アイオンだけは違う。
(…ふふっ。私の代で“降りて”きてくださったこと――感謝致しますよ、“御使様”)




