最大の顧客は金主ではなく―己である
気が付くと
チェリーパイの香りがする。
僕は大きいチェリーパイを美味しそうに
ほおばる若く美しい女性の前にいた。
身体に張り付くスパンコールのついた
黒いドレスを身にまとっている。
夜の蝶といわんばかりに
不思議な色香が漂う。
グー
お腹がなる。
まったく恥ずかしい。
「ふふふ…チェリーパイは君にはまだ早いわ
…
チェリーパイは大人の食べ物なのよ」
そういうと
女性は
足を組みなおし
僕を足の下から上まで、まるで検品するかのように
観察する。
その表情はつややかだが…
冷淡でぞくりとする恐怖もあった。
ひととおり
見終わると
女性は爪を磨き始めた。
うっとりした表情で
ときおり
愛らしい愛玩動物をめでるように
爪に口づけをする。
僕の心臓は少しスピードを早める。
「ふふふ。
坊や…。
坊やは作家になりたいんでしょ。
そして…
坊やはそとに読者がいる。お客がいる。
そう思っていない?」
「そりゃそうです」
「そうだよね。
気持ちはわかるよ。
でもね。
読者がいる。
お客がいるって思わなくってもいいんだよ。
唯一無二の絶対的顧客は坊や自身。
自分が満足しない作品は作らない。
自分が面白いと思わない作品は作らない。
自分に刺さらない作品は作らない。
自分が最大のクライアントであり
最大の支援者
そう思えばいいのよ」
「えっでも…」
女性はつややかな目で
僕を足元からなめまわすように見る。
「でもね。
もしそうやったなら
坊やに似た人間は興味を持つ。
坊やが極端にマイノリティであったとしても、
世界には
その極端なマイノリティに似た層は
多分1万人はいるわ。
もしその1万人に届ければ重版はかかるの」
その妖艶な
印象とは裏腹に
論理的な言葉だった。
「もし坊やが
ミュージシャンで…
自作の歌を家の中で歌ってたとしよう。
それだとただの自己満足よね。
でも
その自作の歌を大きなコンサート会場で歌ったら?
それはただの自己満足を超え
大いなる感動へとつながる」
そうか発表することが大事なんだ。
「これは
小説にも言えることであって
ただ君が原稿を家に保存したままだとするならば
それはただの自己満足だよね。
しかしその原稿を図書館に寄贈し
それが他人の目に触れたなら
それは大いなる感動への一歩と繋がる。
満足か?自己満足か?
大いなる感動か
その違いは出すか出さないか
その違いなのよ」
身につまされる。
「坊やと大いなる作家の違いは
その自分をさらけ出したか
さらけ出さなかったか
極端に言えば
その違いだけなのよ
技術?
それは確かにあるよ。
でも
みんなそんなものは最初から持ってはいない。
チート能力なんてないのよ。
ただ 書きたい 書きたい 書きたい
その一心で筆を走らすの
その結果
身についただけのものなのよ」
「でも…お姉さん。運もあるのでは?」
「運?
それは確かにあるよね
たしか
坊やの以前いた世界には漢字というものがあったよね。
運という言葉をよく見て。
運ぶ という言葉と漢字が同じじゃない
漢字が同じというのは
感じることが同じということでもあるの。
運というのは
運ぶという行動をしたものだけにしか起きないものだとも言える。
じーっと止まって棚からぼたもちが落ちてくるのを待っていたって
棚の上にぼたもちがなければ落ちてこない
そして地震でもない限り、
猫でも通らない限り、
ぼたもちが落ちてくることはない。
そして、
そもそもそんなに待っていたら
ぼたもち自体が賞味期限切れで腐ってしまう。
坊やはカビたぼたもちが食べたいの?
そうじゃないでしょ」
「うん…そうじゃない」
「じゃあ
かきなさい。
そして出しなさい。
それだけが
坊やのできること。
書いて書いて書いて
書いて書いて書いて
書いて書いて書いて
書いて書いて書いて
書いて書いて書いて
書いて書いて
自分を…
自分の内臓を…
自分の感情をさらけ出し…
恥をかく…
黒歴史を作る…
それでいいじゃない
作家なんて
売れなかったら黒歴史の塊かもしれない
しかし
売れれば…
それは歴史の塊となる。
しかも
売れるかどうかは
その時代が決めるもの。
坊やの努力でなんとかなる。
そういう範疇はほぼ限られているわ。
ばくち打ちが
1点にベットするように
宇宙にその全てを任せるのよ
そして…後は寝てたらいいわ
そんな大きな賭けをすれば…
自己満足はいずれ世界満足へと変わるかもしれないのよ」
そして漆黒に包まれた。
―――自己満足はいずれ世界満足へと変わるかもしれない―――
その言葉がやけに気に入った。
ありがとう。お姉さん。




