感情の潰えた青年 その3
翡翠。
元々は鳥の名前だったように思うが、黒矢曰く憑神としての翡翠は獣の姿をしているらしい。
荒々しい気質で、好戦的な熊のようなものだ──と。
現代の価値観を有する男子高校生の僕としては、非常に恐ろしい話であった。
いや、現世の価値観と言うべきか。
相手は怪物。いずれにせよ、これは常に意識せねばいけない項目だろう。
豪雨の降る夕方、逆神ホテルの一室で黒矢から翡翠に関する細かい説明を受けた。
憑神とはそもそも、人の心の影に取り憑くものらしい(影とはつまり、後ろめたい事だとか負の感情だとかである)。
その中でも翡翠は、家族に関する想いに憑依するそうだ。そしてそこから次々に、家族の思い出と、それによって培われた感情を食い潰していく。
幼少期の人間の精神面的な成長に家族の存在はとても大きい。必要不可欠だ。そうして幼い頃からずっと培われた感情が食い潰されてしまえば、それは感情そのものの消滅とほぼ同義だろう。
「・・・・あ」
点と点が繋がって線となった感じ。
やはり僕の気のせいでも何でもなく、佐渡山さんにとって"家族"の話題はNGワードに分類されているわけだ。
ふむ、と僕は頷く。
しかしながら詳細は、おそらく本人しか知り得ないものだろうし、本人から聞くのも憚られるというのが普通だろう。
「どうしたらいいんだろう、黒矢?」
と、僕は彼に助言を求めてみるが、「知らん」の一言でその微かな望みは潰えた。
ちくしょう、こいつ・・・。
するとここで、僕はひとつの仮説に辿り着く。
『不知火』も『宵闇』も、憑神の住まう"心"を強く刺激すれば良いのではなかろうか。
柿本の時は──トラブルの当事者である僕が、彼女の行動に口出しをした。
咲の時は──その苦悩に気づくことなく、彼女を独りにしてしまった。
僕としては嫌な話だが、佐渡山さんの苦しみを吐き出させるような事をすれば、憑神は自ずと出るのでは──。
そういう仮説だった。
推敲する余地も無く駄目な要素100パーセントである。荒唐無稽だ。即座に却下…。
そんな僕の思考を遮るように、雷が鳴り響いた。僕はびくりとして顔を上げると、先程より雨も強まっている。
「よし鎌田──。こんな豪雨の中にお前を放り出すようなマネも偲びない。俺の車に乗れ。」
と言った。黒矢らしくない、優しさに満ち溢れた発言。普段の彼なら、「お前の傘は没収した」なんて言い出してもおかしくないのに(割とマジで)。
「え、お前車なんてあるの?」
その急な優しさに困惑したのか、これも僕らしい浅はかな発言だった。
「憑神の調査を徒歩だけで行えと言うのか?」
たしかに、まあ・・・。
彼はどうやら、ホテル近くの有料駐車場に黒い高級者を停めていたようだ。
ホテル代も駐車代も、こいつ、拠点を置くのに金をかけすぎじゃないか?
資金源は一体どこなのだろう。
うーん。
結局黒矢は後部座席に僕を乗せて、豪雨の中を車で走り抜けたのだった。フロントガラスのワイパーが忙しなく動く。
しかしこの男ども(僕含む)2人は、気さくな性格でもなんでもない。寧ろ人間関係は鬱陶しいものと定義しているきらいがあった。結果的に、車内では一言も言葉を交わすことはないのだった。
場所は変わって、僕の家。
──いや、僕の家の前。
本当に目と鼻の先に扉があるような、そんな距離。
たしか黒矢との初対面もこんな感じだったなあ、となんとなく回想してみたが、それより気にするべきことがあった。
「あ・・・・・・。」
ぐしゃぐしゃに骨が折れて曲がりきった傘を差しながら(それは差していると言えず、もはや掲げているだけのようでもあった)、所在無さげにそこに佇んでいた青年に、僕は見覚えがあった。
僕は問う。
「え、佐渡山さんじゃないっすか。なんで僕の家に?」
ずぶ濡れになりながら、それでも微動だにせず、表情ひとつ変えず、彼は「えっと…僕が倒れた時に、色々助けてくれたから──その、お礼をしようと思って。」と、僕を見つめる。右手には傘らしき何かを持ち、左手には洋菓子店のロゴが刷られた紙袋を持っていた。
その瞳の中は、無機質という言葉を無理矢理当てがった感じで、何が秘められているのかは分からなかった。
いや、おそらく何も秘められていないのだろう──。
黒矢の話に違いがなければ、彼は既に感情を潰されているはず・・・・。
なんとも恐ろしい話だ、本当。
兎にも角にも、このまま話をするのは体を冷やしてしまうので、黒矢と佐渡山さんを僕の家に入れた。
黒矢に関しては、もしすぐに事が荒立ってしまっても幾許か力になってもらえるのではないか、という甘えまくった考えだった。
希望的観測というか、ただの願望だろう。
甘えていた。
僕は再び、この"怪物の身体"で地獄を体験する事となるというのに──。




