愛を欲した彼女 その4
「ほう」
如何にも高級感溢れるそのホテルの一室で、黒矢昴は本を読んでいた。
何の本かなんてのはさして重要でもないので、僕は気に留めず話を続ける。
「だからさ、黒矢──とりあえずは、柿本と一緒に来たんだけど」
「他人にお礼を言いたがるなんて、今どきの若者らしくないことをするな…。俺はそこのお嬢さんに何かしたわけでもなんでもない。ただ"たまたま"怪物に襲われたガキの話が"たまたま"俺の耳に入り、"たまたま"そいつの知り合いの少女も憑神によって影を失っていて、"たまたま"怪物のガキの方がその少女を助けようとしたところ、"たまたま"憑神そのものと戦闘になり、"たまたま"殺されかけていて、"たまたま"俺の蹴りでそいつは助かった、と──。」
そういうことに過ぎない、と素直じゃないのかなんなのか、とにかく頑なに柿本の礼を拒絶する黒矢。
「それでも、あなたが関与したのは事実です。それなら、私はあなたにお礼を言う権利があります。」
柿本は柿本で、お礼を言うという気構えを崩すつもりはないようだ。
「それはな、お嬢さん──。ええと、柿本とか言ったかなあ。本来それは俺の主義に反しているのだ。鎌田には言ったが、俺はあくまで裏方──舞台に立って何かしようというわけでもない。憑神と縁がある人間がいたとしても、それはあくまでそいつの問題だ。俺が引き受けることは出来ないし、あくまでそいつの人生の主役は、そいつでしかないんだよ。誰も代わることは出来ない。今回の件だって、さっき言ったように偶然に偶然が重なっただけだ。この世は偶然の塊だよ。」
そう言いながら、いつも通りの平坦で冷淡な口調で黒矢はページを捲り続ける。僕はその話になるほどと思うところがあって、何も口出しせずに聞いていた。黒矢と柿本の貸し借りに関する話において、柿本がけじめをしっかりつけようと言うのなら、今回は僕こそが裏方であるべきなのだ。
「・・・しかし、だ。今の鎌田には他にやるべき事があるだろう──。俺に聞きにきたことがあるのだろう。柿本、気持ちだけ受け取っておいてやる。だからお前はもう、憑神に関わろうとするな。」
普通の人であれ、と。
黒矢はそういった。
「さて教えてやろう、お前が今気にしている、愛憎の憑神『宵闇』についてな────。」
『宵闇』。
白銀色の体毛を靡かせる狼。
街を夜な夜な徘徊しては、目的もなく消えてゆく憑神。
──しかし、僕が黒矢から教えられたのは、とんでもない事実だった。
「──残念ながら『宵闇』という憑神など、俺は事細かに知らん。元々そんなものは聞いた事がないぞ。つまりお前に情報を与えるとすればだな…。」
「──『宵闇』は、未知の憑神だ。全てが未だに解明されない。謎の憑神というのではなく、謎そのものというわけだ……。取り扱い注意ってことだな。」
え……。
マジで?
結局、収穫ゼロ。
あいつも案外、全知ってわけでもないよなあ(当然)。
僕たちはそのままホテルを後にし、帰路半ばで柿本と別れる。
左手首に巻いた腕時計を見ると、夜21時。
自転車を押しながら歩いていると結構な距離で、予想よりも大幅に時間を消費してしまった。
僕たちの住む街も、結構な田舎町なので、辺りに街灯は少ない。
ビルの明かりなんてこの時間帯に点いている方が珍しく、故に辺りは真っ暗だった。
その時だ。
僕は有り得ないものを目の当たりにする。
憑神の存在自体、文明の発達した現代の基準に則っていうならば"有り得ない"のだが、僕の場合、それは有り体に言って、憑神よりも有り得ないものに感じてしまった。
背の高い少女。
見覚えのある紫のパーカー。
それは今朝、彼女の家で見たものであった。
特徴的なポニテは解いていて、長く艶やかな髪を下ろしている。
しかしながらその髪は、まるで獣の体毛のようにところどころが逆立っていて、色は美しい白銀色をしていた。
顔や体にはきめ細かく鱗のような模様が刻まれていて、普段の優しく穏やかな目つきは一変、僕を猫のように鋭く見つめる睨眼と化していた。
嘘だろ…。
これも、僕と関わってしまったからなのか?
それとも、偶然に偶然を重ねた必然なのか?
なんで、お前が・・・・!!
その少女…井上 咲は、小さな呻き声をあげながら、次第に人間と狼の要素を織り交ぜたような姿から、大きな白狼へと変化した。
その目は尚も、僕を睨み続けている。
その時の僕は、ふと脳裏に思い出していた。
彼女の、残酷という言葉では足りないような、そんな凄惨な生い立ちを──。
時系列的には、「愛を欲した彼女 その2」に続きます。




