表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/30

32/33

        32.残り二日


 老兵は去る。

 結局、あの女性からの連絡はなかった。やはり、息子を捜査機関に売り渡すようなことができなかったのだ。責められない。母親ならば、それも当然だ。

 だが、本当に息子のことを考えれば、その判断はまちがいだ。

 いや……ちがうな。それは、自分が他人だから言えることだ。

 もし自分に子供がいて、あの母親と同じ状況に追い込まれたとしたら……。

 時計を見た。

 もうすぐ、今日の業務も終わる。

 残された日数が、また減ってしまうのだ。

 あと数分で、残り一日に。

 明日が、最後の……。

 いつもなら、もう一件ある仕事。

 しかし、今日は無いだろう。これで終わりだ。

 いや……?

「もしもし、麻薬・覚醒剤相談です」

『もしもし』

 鳥山だった。

「鳥山さん!?」

『はい……』

 電話機に表示された番号は携帯のものだったが、昨日のものとはちがう。

「お身体は、大丈夫ですか!?」

『限界です……』

 力なく、鳥山は言った。

「鳥山さん? 鳥山さん!?」

 通話は切られていた。

 不安がよぎった。

 なにか、よくないことがおこっている……と。




        33.3時間前


 沢村は、よくここまでたどりついたな──と、われながら感心していた。夕方六時を過ぎ、遠くの空だけに陽光がわずか残っている。

 昨日の夜、朝霧流介が刑事たちによって連れ込まれた海沿いの倉庫。当の朝霧流介自身も、よく覚えていなかった場所。もっとも、来るときはべつとして、帰るとき、彼に意識はなかったのだが。

 何度か行き止まりにぶちあたり、そのたび、引き返すはめになった。ハンドルを握りながら、内心ハラハラしていた。

「ここだな」

 助手席の朝霧流介が自ら確認するように、そうつぶやいた。

「沢村さんは、ここで待機して」

「わかりました」

 車を停めた場所は、問題の倉庫からは少し離れている。自分たちの接近を、わざわざ相手に察知させる必要はない、との彼からの指示だった。

 倉庫は、昨夜──正確には今日の未明と様子は変わらなかった。すぐ先の海に、彼を乗せた車を転落させたはずだが、すでにその痕跡はない。引き上げた車も、どこかへ運ばれているようだ。

 普通に考えれば、事件・事故のあった近くの倉庫を犯罪に使用するとは考えづらいが、結局のところ、犯罪も捜査も、やっているのは警察自身なのだ。暴走した国家権力ほど恐ろしいものはない。

 彼は、倉庫へ向かっていった。

 遠目に確認できるところでは、見張りのような人影はない。やはり警察は、自分たちに敵対する存在など、あるはずはないと思い上がっているのだ。

 朝霧流介が生きている可能性を考えているにしても、まさかすぐ反撃に出るなど想像もしていないのだろう。

 彼が行ってから、五分が経った。

 一〇分、一五分。もう完全なる夜となっていた。

「ダメだ」

 このままここで、ジッとしているなんて……できない。

 沢村は、車外に飛び出した。

 慎重に、倉庫へ向かう。

 周囲をさぐるが、人の気配はない。

 倉庫の前までは、嘘のように波瀾もなくたどりついた。

 閉まりきったシャッターが重たそうだ。

 昨夜は、ここまで近寄っていない。陰から、こっそり様子をうかがっていただけだ。

 どうやら朝霧流介は、すでになかへ入っているらしい。

 阻むものがないのなら、《関越の雷鳥》と呼ばれたほどの猛者には簡単なことだろう。

 沢村は、シャッターに手をかけた。ずっしりと重いのは想像どおりだが、まったく持ち上がらないわけではない。

 わずかだけ持ち上げて、くぐろうとした。

 そのとき、ひらめいた。

 不測の事態がおこったときのために、保険をかけておこう。

 シャッターから手を放して、携帯を操作する。

 呼び出し音は回数をかさねるが、一向に出る気配はない。

 もしものときのため、秋山に応援を頼もうと思ったのだ。抱いていた疑問が、再び鎌首を持ち上げた。

 昨夜は否定されてしまった事実。

 やはり、秋山の正体は……。


        * * *


 流介は、身を屈めていた。

 倉庫内は、昨日と同様、とても閑散としていた。時間にして一日も経過していないのだから、それも当然か。

 シャッターをくぐってすぐに、二台のフォークリフトが停まっていた。昨夜はなかったはずだが、状況が状況だったので、気づかなかっただけかもしれない。いまは、その一台に身をつけて隠れている。いや、隠れざるをえない、といったところか。倉庫内にあるものは、フォークリフト以外、あいかわらずパイプ椅子一つしかないのだから。

 昨夜、自分が座らされていたその椅子に、いまは千鶴が座らされている。男たちは、六人。全員の顔まではわからないが、昨日の人数と同じだ。

 なぜだか、六年前を思い出していた。

 昨夜は、そう感じることはなかった。そこまでの余裕がなかったのだ。あのときとシチュエーションが似ている。これほど広くはないが、ほかになにもない空間だった。

 あのとき……四人の幹部に、四種の薬物を投与され、自分はこうなってしまった。職を失い、慢性的な中毒症状に人生を狂わされた。

 その幹部の一人が、彼女なのか!?

 それとも、あの記憶は幻覚なのか……?

 それを問いかけるように、彼女の様子をうかがった。

 ここからでは、かなり距離があるので、細かな表情までは読み取れない。だが、慌てたり、うろたえたりしているふうには見えなかった。

 そのとき、携帯の着信音が遠くで響きだした。

 千鶴のものだったようだ。

 千鶴の衣服をさぐり、男の一人が取り出していた。

 そのまま男が出たようだ。

 話し声までは、距離があるために聞こえない。

 すぐに携帯を耳から離した。

 そして千鶴にそれをかかげ、なにかを言っている。

「──仲間──」

 やはり、断片的にしか耳に届かない。

 はたして、これからどうすべきか?

 敵は、六人。まともにいって、勝てるわけはない。

 流介は、サングラスを装着した。懐からスタンガンを取り出し、グリップを握ると、モニターが起動した。レンズに情報が表示される。一番近い標的まで三二メートル。

 このスタンガンの最大射程距離は、二〇メートルということだった。威力を上げ、完全に意識を失わせるハードモードならば、一〇メートルほどだという。確実に戦闘力を奪うためには、そちらでいきたいところだが、沢村からは、法律を考慮して、ハードモードはできるだけ使用しないでほしい、と言われている。

 それにこの状況では、一気に一〇メートルまで距離を詰めることは困難だ。それどころか、二〇メートルまで縮めるのも命懸けになる。

 いまの自分に、それができるだろうか!?

 身体は、動いてくれるか!?

 現役のころとは、だいぶ隔たりがある。

 しかし……行くしかない。

 流介は、意識を集中させた。

 いまだけは、体内に巣くう薬物を精神でねじ伏せてやる。


        * * *


 携帯には、低い男の声が出た。

 沢村が、だれですか、と応えたら、逆に「何者だ!?」と詰問された。すぐに切った。

 たぶん、予想は当たっている。

 シャッターを上げ、今度こそなかへ入ろうとした。

 彼は、このことを知っているのか?

 いや、知らない。これまでの会話を総合すると、彼は秋山の人相を把握していない。

「待ちな」

 ふいに、声をかけられた。心臓が止まりそうだった。

 沢村は、ビクつきながら振り返る。そこに広がる光景に、圧倒された。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ