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34

        34.2時間前


 流介は、飛び出した。

 二〇メートルまで、一気に近寄らなければならない。

 足音をたてるな。

 しかし、なんの遮蔽物もない空間では、気配で察知されてしまったようだ。男──刑事の一人が、こちらを振り向いた。

 モニターのなかの標的は、まだロックオンされてない。

 一人が気づいたことによって、ほかの刑事たちにも存在を知られた。

 もう足音を消す必要はない。

 全力。必死に足を動かす。

 刑事たちの全員が、懐に手を忍ばせた。

 四人が拳銃。二人が特殊警棒。

 拳銃の内訳は、三人が回転式で、一人が自動式拳銃だった。

 まだこちらは、射程圏内に入らない。だが、むこうはいつでも撃つことのできる距離だ。

 とはいえ、不用意に相手から撃ってくることも考えづらい。すくなくても、リボルバーの三人は撃てない。ニューナンブなのか、エアウェイトなのかは、ここからでは視認できないが、どちらにしろ十中八九、警察の支給品だ。支給品である以上、正当な理由がなければ射撃はできない。おそらく刑事たちの心情を推し量れば、撃ちたくはないはずだ。

 オートマチックの場合、支給品でないものを取得している可能性がある。トカレフやマカロフなどは、一般人でも手に入れることは容易だ。今回のために、そういう銃を入手していることも充分に考えられる。

 ならば、一番はじめに狙うのは、オートマチックの男だ。

 流介が視線をその刑事に移すと、照準も移動した。が、ロックオンにはいたらない。

 あと数メートル。

 さきに、むこうの自動式が火を噴いた。

 右太股が、熱さで感覚を失った。

 まるで、溶岩を埋め込まれたようだった。

 膝をつく。

 その動きに押し出されるように、血がしぶいた。

「動くな!」

 自動拳銃の男が、警告を発した。

 べつの一人が、リボルバーを千鶴のこめかみに当てていた。

 動きたくても、動けそうになかった。

 銃を撃ったことはあっても、撃たれた経験は初めてだ。

 これほど痛いとは……いや、痛みも感じられないほどに凄絶なものだとは思っていなかった。想像の一〇倍は超えている。

 全身から力が抜けていく。刑事ドラマで、撃たれても犯人に向かっていく雄姿は、完全にフィクションだ。

 銃口を突きつけられた千鶴の表情は、冷静に戦況をみつめるふうだった。こちらには期待していないのか、それとも逆に信じているのか……。  

 ここから形勢を逆転するには、まともな方法ではダメだ。

 これまでの考えを変える。

 発作を起こす。故意に。

「おい、銃を捨てろ!」

 刑事の一人が、声を張り上げた。

 持っているスタンガンを、一般の拳銃と勘違いしているのだ。

 モニターのなかの標的は、まだロックオンされていない。このままでは、ただのオモチャだ。

 刑事たちの拳銃は、千鶴に向いている一つ以外は、すべてこちらを狙っている。

 勝負の行方は、あきらか。

「まさか本当に生きてたとはな。この女が、おまえの協力者だということはわかってるんだ」

「か、彼女の正体を知らないのか!?」

「だから、協力者だろう? 資料と覚醒剤を盗んだのは、まちがいなくこいつだ」

 いま撃たれた銃の硝煙の匂い。

 そして、自らが流す血の生臭さ。

 嗅覚を敏感に研ぎ澄ます。

 ちょうど、クラブ『フェニックス』で麻取のガサ入れのとき、感覚が鋭敏になりすぎたことを再現するのだ。

 体内の薬物を暴れさせる。

 怠惰、高揚、不死、快楽。

 身体が思い出す。四つの薬物の効き目。

 グッドトリップ!

「な、なんだ!?」

 刑事たちのだれかが、そんな戸惑いの声をあげた。

 流介は、立ち上がっていた。

 倉庫の外、波の音、海鳥の声までが聞こえる。男たちの心臓の鼓動。千鶴の息づかい。

 すべてを手に入れた万能感。

 足が軽い。

 動かした。

 一瞬だった。流介は、射程圏内に侵入していた。

 ロックオン!

 リボルバーにしか見えないスタンガンの引き金を絞った。

 一人。モニターの表示は、次の男に。

 二人。三人。相手の動きが、スローモーションのように緩慢だ。

 四人目。バンッ!

 まるで本物のような音を響かせる。

 発射音は設定で変更可能だそうだが、これが気に入った。現役時代を思い出す。

 残りは、特殊警棒の二人。

 五、六。

 決着は、簡単すぎた。

 弾丸──エネルギーパックも、ちょうど無くなったはずだ。

 ホッとしたのも束の間、地震のように目眩がした。

 男たちの視線を感じる。ノーマルモードだと、身体を麻痺させることはできても、意識を完全に失わせることはできないのだった。

「ぎ、ぎさま……ごんがごと……」

 一人が、なにかを言っているようだが、聞き取れない。はたしてそれは、電気ショックにより舌も動かないのか、自分の耳が発作によってどうにかなっているのか。

「バカな男。どうして来たの?」

 あきらかに音量はおかしかったが、千鶴の声は、ちゃんと正常に届いている。ということは、男たちがしゃべれていないのだ。

 流介は、千鶴を見た。

 それにしても、なんという言いぐさなのだろう。

「おまえに死なれちゃ困る」

「あら、どうして?」

 自分の声は、普通どおりに聞こえ、千鶴の声は大きく聞こえる。これも、体内にいまも巣くっている薬物のなせる業か。

「おまえの追ってるデザイナーだ。もうだれだか、わかってるんだろ?」

「あなたに、それを教えると思ってるの?」

「教えるね。おまえは、カリをつくるのをよしとしない」

「なるほど、これで恩を売ろうっていうんだ……あなたらしくもない」

「なんとでも言え」

 フラつきが激しくなった。

「大丈夫なの? それを教えても、いまのあなたじゃ、どうにもできないんじゃない?」

「それは、こちらの問題だ。おまえが気にする必要はない」

「確実に、仕留めてくれるの?」

 それには、あえて返事をしなかった。

「いいわ、教えてあげる……っていっても、あなたも見当ぐらいはついているんじゃない?」

「アルバトロスだろ」

「そう。ショージが、なぜあの事務所に潜入していたか」

 やはり。

「き、きさま……こんなことをして、ただですむと思うなよ!」

 見れば、刑事たちがそれぞれ立ち上がりかけていた。

 ここが、本物の銃と偽物のちがいか。

 身体の運動機能を取り戻しつつあるのだ。

 流介は、スタカンガンをかまえた。いや、かまえても無駄だ。予備の弾丸を受け取ってはいたが、弾を込めていない。

 想像よりも、回復が早いようだ。それとも鍛え上げられた警察官だからだろうか。

 こんなことなら、完璧に意識を奪えるハードモードのほうがよかった。

 だが、流介に悲壮感はなかった。これも薬物の力か。どうにでもなるさ──そういう考えが脳内を支配している。

 いまの自分ならば、武器などなくてもどうにかできる。

「はやく、わたしの縄を解きなさい! フラフラのあなたじゃ、勝負にならないわ」

 千鶴の眼には、戦える状態に映っていないのだろう。

「そうでもないんだぜ」

 いまのおれは、最強だ──そんな言葉を流介は飲み込んだ。アッパー系をきめて、いきがっている小僧たちとかわらない。

 刑事たちがそれぞれ銃口を、警棒の者はその先端を向けていた。

「気をつけろ……あいつの武器、なにか特殊な仕掛けがある!」

 仲間うちで、警戒の囁き合いをしている。

 どうやら、未知なるものを目の当たりにして、困惑と恐怖が渦巻いているらしい。

 流介は、一歩、彼らに近づいた。

 死ぬ覚悟などない。全員をぶちのめす。

 いまでは武器としての役目を担えないスタンガンを、手放そうとした。

 そのときだった。

 ガシャ、ガシャン!

 倉庫のシャッターが、耳障りな軋み音を響かせた。

 ステンレス製だと思われるシャッターを引きちぎるように、だれかがなかに入ってこようといている。

 まるで簾を折り畳むがごとく、シャッターが曲げられ、歪められた。

 空いた隙間から、とても大きな巨体が滑り込んできた。よくぞ引っかからないものだと感心させられるほどだ。

「おい、動くなよ、悪党ども!」

 大男を先頭にして、次々と武装した捜査員がなだれ込んでくる。

 あっというまに、倉庫内は制圧されてしまった。

「な、なんだこれは……俺たちは仲間だぞ」

 そう言って、一人が警察手帳を開く。

「そんなことはわかってんだよ」

「あいつが犯人だ!」

 流介を指さしていた。

「そうだ! 女を拉致して、なにかをしようとしていた……だからわれわれが、救出を!」

「あの男は、麻薬の売人だ!」

 口々に流介を悪者にしようと、男たちは躍起になっている。

「犯人たって、死んでるはずの人間を捕まえるわけにはいかねえだろ?」

 大男は、まるで彼らをバカにするように言った。

「だ、だいたい、おまえは何者なんだ!? 本当に警察官か!?」

「そうだそうだ!」

「どこの所属だ!? おまえの顔なんて見たことないぞ!」

 何人かがそう主張するが、残りの者は、どうやら大男のことをよく知っているようだ。ばつが悪そうな、観念したような表情になっている。

「なんだ、離島に飛ばされてるあいだに、犬飼甚八の知名度も低くなっちまったようだな」

「あ、あいつが……《刃八ジンパチ》!?」

 知らなかった者も、噂は耳にしたことがあるようだ。

「だがな、犬飼……なぜ、おまえがここにいる!? いつ街に戻ってきた?」

 最初から知っていたと思われる一人が、そう問いかけた。

「どこの署だ? 本店か、支店か? 生安じゃねえよな? 組対でもねえ。そうだとしたら、俺らのところにも情報が入ってるはずだ」

 いまのセリフから、男たちの所属が、生活安全部と組織犯罪対策部の混合だと推理することができる。沢村が語っていた秋山から聞いたという話──警視庁で、押収麻薬を市場に流しているという。

 黒幕は、そこか。

「まさか、捜一!?」

 しかし犬飼は勿体ぶって、真相を告げようとしない。

「おい、犬飼……。それは、おれも気になってた。いい加減……教えろよ」

 流介は、口を開いた。

 頭のなかがフラフラする。研ぎ澄まされすぎていた感覚が戻り、トリップ状態だけが残っている。

「おまえが捜査してたのは、アルバトロスでもなければ、麻薬の流れでもない。おれだろ……? おまえは、おれを張っていた」

 神出鬼没に眼の前に現れたのは、こちらの行動が監視されていたからだ。

 あやふやになりかけている思考のさなか、流介はハッキリとした口調で言った。もしかしたら、耳にする人間には、ロレツが回っていないように聞こえているかもしれない。

「バレちまったか」

 悪びれた様子もなく、犬飼は言った。

「いまの所属先なぁ、監察だよ」

「監察!?」

 流介は驚いた。幻聴だったかもしれない。

「監察って言ったか?」

「そうだよ、監察だよ」

 それには、身柄を拘束された刑事たちも驚いているようだ。

 いや、彼らのほうが、その思いは強いか。

「嘘だろ? 監察ってガラかよ」

 それは単に、犬飼には似合ってない、という意味だけではない。

 警務部人事一課に属する監察官。警察官による犯罪や不正を調査する部署であり、警察のなかの警察といわれている。

 監察官の階級は、警視。

 普通に考えるなら、昇進に縁のない犬飼では、監察官にはなれない。

「俺も驚いてんだよ。島から呼び戻されたと思ったら、突然、任命されてな。偉い偉い雲の上のような人たちからだ。で、押収した薬物を流している警察官がいるっていうじゃねえか。それを摘発してくれってんだよ」

 犬飼は、まるで冗談話を語っているかのようだ。

「そんなときだよ、タイミングよくタレ込みがあったんだ。朝霧流介から眼を放すな、ってよ」

「おまえは、おれを利用したってわけか……」

「そのとおりだ」

 肯定する犬飼の姿は、むしろ潔かった。


        * * *


 武装した警官隊によって、倉庫内は完全に制圧されていた。

 シャッター前で沢村に声をかけてきたのは、あの犬飼という巨漢の刑事だった。そして、彼が従えていた武装警官たち。ライオットシールドを持ち、大型の銃器も所持している。

 こんな光景は、莫大な予算を投じた映画やドラマのなかでしか経験がない。

 本場のアメリカでも、お目見えしたことがなかった。

 ものものしい雰囲気のなか、沢村は、朝霧流介のもとへ向かっていた。遠目から見ても、具合が悪そうだった。ちょうど、渋谷のクラブで泥酔状態のようになってしまったのと同じだ。

 すぐそばまで来たとき、「朝霧流介から眼を放すな、ってよ」と、犬飼刑事が口に出していた。

 おまえは、おれを利用したってわけか──と朝霧流介。

 二人の会話から浮かび上がることは……。

『犬飼には気をつけろ』

 秋山の警告を思い出す。

 こういうことではないだろうか?

 警察へ、朝霧流介が現在も麻取として捜査をしている、と情報を流すのとはべつに、犬飼刑事へもなんらかの情報を流していたのだ。

 これまでの朝霧流介との会話から、犬飼刑事が、かなり破天荒な人物であるということは簡単にうかがいしれる。彼女としても、どう動くか予想できなかったために、気をつけろ、と──。

 どうやら、いいほうに転んだようだ。

 すべて、彼女の思惑どおり……。

「やっぱり……」

 沢村は、息を飲んだ。

 いまでは捜査員によって拘束は解かれているが、それまで椅子に縛られ、監禁されていたのは、まぎれもなくその彼女本人だった。

 彼女は、朝霧流介を影から助けていた。にもかかわらず、渋谷のクラブでは妨害をした。

『千鶴さん』 

 長髪の男が口にした名前。

 そして、秋山。

 では、この女性の名は、秋山千鶴というのか?

「あの……」

 女性に声をかけた。

 女性──秋山? それとも千鶴?──が、こちらを向いた。

 だいぶイメージはちがっている。束ねた髪もほどいているし、男勝りな印象は薄い。

 丈の短いスカートから伸びる脚も魅力的。

 とてもきれいで、憧れてしまいそうな美女だ。

 渋谷のクラブで眼が合ったのは、まちがいなくこの女性だ。秋山を最初に見たときの既視感は、まちがいではなかったのだ。

「秋山さん……ですよね?」

「なんのこと? わたしは、こういう者よ」

 女性は、突然スカートのなかに手を入れた。

「え!?」

 下着が見えてしまいそうだった。

 ドキリと鼓動が高鳴る。

 すると、裏地からなにかを引きちぎった。

 取り出したものは──。

 手帳のようなものだった。

 開くと、そこには記章と身分証が形をあらわした。記章の上部には『NARCOTICS AGENT』と刻印されている。下部には『麻薬取締官』の文字。

「それじゃ……」

「関東信越厚生局麻薬取締部の響野です」

 そうか……カバーとは、アンダーカバーのことか。

 潜入捜査官。

「……身分を偽ってたんですね」

「あなた、だれ? 初めて会うんだけど。いえ、ちがうわ。会ったことはある。クラブにいたわね?」

「え、秋山さんじゃ……」

「それは、あの男の妄想でしょ? そんな人物は存在しないわ」

 ますます混乱した。すがるように、朝霧流介を見た。しかし彼は、膝をついてうずくまっている。どうやら、急激に体調が悪化したようだ。こちらの話が耳に入るような状態ではなくなっている。

「麻取……かよ。協力者じゃなかったのかよ……」

 連行されようとしていた刑事の一人が、そうつぶやいたのが耳に届いた。

 犯罪をおかした刑事たちにしてみれば、ちがう捜査機関の人間に危害を加えてしまったら、大変な事態を引き起こすことになっていたのではないか。もっとも、朝霧流介を現役の麻薬取締官と疑い、消そうとしたのだから、それなりの覚悟はもっていたのだろうが……。

「彼の着ている服、見覚えがあるわ。なつかしい。……たしか、わたしの家に置いてあったはずだけど、いつのまに取りにきたのかしら?」

 不可解なことを彼女が口にした。

 自身が用意して、朝霧流介に着せたというのに。

「わたしも、行かせてもらうわ」

 響野千鶴という麻薬取締官は、そう言って歩き出していた。

「おい、そんな簡単に帰れると思ってるのか?」

「どうせ、事件は公にならないんでしょ? だったら、いいじゃない」

 すると犬飼刑事が、苦い顔になった。

「チッ、痛いとこ突きやがる」

 響野千鶴は倉庫の外へ向かっていく。

 犬飼刑事は、それを止めなかった。

 大半の捜査員はいなくなり、沢村のすぐ近くには、朝霧流介と犬飼刑事の二人しかいなくなっていた。朝霧流介は、いまだ正常ではない。声も聞こえていないだろう。

 それを気づかって肩を貸そうとしたら、犬飼刑事に話しかけられた。

「よう、おまえに言っとく。朝霧も、あの女も『秋山』のことは知らない」

「え?」

「二人の複雑な関係が、厄介な現象を生んでるんだよ。いいか、このことには深入りするな」

「ど、どういうことですか!?」

「おまえが思ってるとおり、秋山と響野千鶴は、同一人物だ。だが朝霧は、その事実を知らないし、響野も知らない」

 朝霧流介はともかく、彼女自身も知らないとは、どういうことだ!?

「二重人格ってのか……響野の罪悪感が、べつの人格をつくりあげちまったんだよ。難儀だよなぁ」

「罪悪感?」

「それは、おまえが知らなくていいことだ」

「は、はあ……」

 オレの時間は半分しかない──。

 たしか秋山は、そう言っていたことがある。

 これを示唆していたのか……。

 そうなると、秋山のほうは、自身が二重人格であることを、多少なりとも知っていることになる。

 が、自分とクラブで会ったことは覚えていなかった。

(多重人格なんて、理論で説明つきはしないか……)


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