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第61話 冬の朝、牙をむく狂気と秘められた拳


 すべての嵐が去り、碧陵学園には新しい風が吹き始めていた。


 腐りきった教職員たちが一掃され、隠蔽体質にまみれていた学園のシステムは抜本的な改革の真っ最中だった。


 かつての権力者たちが築き上げた歪なピラミッドは跡形もなく崩れ去り、キャンパスにはようやく平穏と、本来あるべき健全な空気が戻りつつある。


 クリスマスを間近に控えた十二月の下旬。


 吐く息が白く染まる凍てついた朝の光の中、俺は、玲那さんと爽花さんの三人で並んで登校していた。


「ねえ、空君。昨日の夜、母さんと咲さんが言ってたんだけどさ、今度の週末はみんなで大きめの買い出しに行こうって。何がいいかな?」


 玲那さんがマフラーに顔をうずめながら、嬉しそうに俺の横を歩いてくる。


「そうだね、みんなで鍋でも囲むなら、ちょっといい具材を多めに買っておかないと」


「うん!  私、お野菜を切るの手伝う!」


 隣で楽しそうに会話を弾ませる玲那さんを見つめながら、俺はふと、少し離れたところを歩いている爽花さんに目を向けた。


 爽花さんは、普段のゆったりとした部屋着姿ではなく、動きやすいスタイリッシュなロングコートに身を包んでいた。彼女はフリーランスのプログラマーとして在宅で仕事をこなしているが、今日は久しぶりに大口のクライアントから直接依頼を受け、打ち合わせのために別の場所へ向かう予定になっていた。


「爽花さん、今日のクライアントとの打ち合わせ、緊張しますか?」


 俺が声をかけると、爽花さんはフッと余裕のある笑みを浮かべ、ふふんと鼻を鳴らした。人気がないのでまだ清楚モードはまとっていない。


「なに言ってるの、空君。私をなんだと思っているの。これでもプログラマーとしての腕にはそれなりに自信があるんだからさ。久しぶりの現場だから少し気合は入るけど、ビビッてなんかないよ。むしろ、あの胡散臭いクライアントを私の技術でギャフンと言わせてやろうかって感じかな」


 冗談めかして笑う爽花さんの姿はいつだって頼もしく、逢沢家の頼れる柱の一つだった。


 それから俺たちは、他愛のない会話を交わしながら、碧陵学園へと続く閑静な通学路を進んでいった。


 朝の澄んだ空気の中、足元で枯れ葉がカサカサと乾いた音を立てる。誰もが、これですべての悪夢が終わり、平和な日常が戻ってきたのだと信じて疑わずにいた。


 だが、人間の歪んだ執念と絶望は、そう簡単には消えていなかったらしい。


 通学路の曲がり角を曲がり、学園の正門まであと少しというその時だった。


 背後から、異様な気配が押し寄せてきた。


「……見つけた……」


 ぞっとするような、濁った声が空気を切り裂いた。


 振り返った俺の視界に飛び込んできたのは、目を疑うような光景だった。


 そこに立っていたのは、萌絵と遥だった。


 けれど、今の彼女たちの姿は、かつての面影など微塵もない、あまりにも変わり果てたものだった。


 髪はボサボサに乱れ、目の下には深いクマが刻まれ、衣服はしわだらけだった。その顔つきはまるで生気を失った幽鬼のようで、見開かれた瞳には狂気と、すべてを失った絶望の炎がギラギラと燃え盛っていた。


 そして、彼女たちの右手がしっかりと握りしめているのは、冷たく銀色に光る鋭いナイフだった。


「ひっ……!?」


 玲那さんが反射的に小さな悲鳴を上げ、俺の背中に身を隠した。


「お前ら……!」


 俺が身構えた瞬間、萌絵と遥は歪んだ笑みを浮かべながら、まるで壊れた人形のように一斉に走り出した。


「許さない……!  私たちの人生をめちゃくちゃにしておいて……!  あんたたちだけが、なんでそんなに幸せそうな顔をしてるのよ……っ!」


「許さない!  許さない許さない許さない!!  あんたたちを、絶対に幸せになんてさせないんだから――ッ!!」


 狂気を孕んだ絶叫とともに、二人はギラつくナイフを振りかぶり、まっすぐ俺たちめがけて襲いかかってきた。


「危ない、下がって!」


 反射的にそう叫び、俺は一歩前に出て玲那さんを背中へと庇った。


 彼女たちは、こんな凶行に走るほど、その精神が完全に崩壊し、狂気に支配されていたのだ。


 突き刺さる、死の気配。


 距離は一瞬で縮まり、萌絵の持つナイフの刃が、冷たい光を放ちながら俺の胸元めがけて突き出された。避ける暇はない。


 けれど、その一瞬の絶体絶命の隙間に、一人の人影が風を切るように割って入った。


「いい加減にしなさいよ、クソガキどもが」


 低く、圧倒的な迫力を帯びた声が響いた。


 それは、爽花さんだった。


 彼女は、いつもの気の抜けたお姉さんの表情を完全に消し去り、その瞳には鋭く研ぎ澄まされた殺気と、怒りの炎が宿っていた。


 爽花さんは一歩踏み込むと、信じられないほどの敏捷な動きで体をひねり、その前足を鋭くムチのようにしならせて振り回した。


 バシッ!!


 乾いた音が通学路の静寂を破る。


 爽花さんが繰り出した強烈な回し蹴りが、萌絵の手に握られていたナイフの柄を正確に叩き潰す。


 凄まじい衝撃に耐えきれず、萌絵のナイフは空高くポーンと弾き飛ばされ、アスファルトの路上に虚しく転がった。


「きゃっ……!?」


 バランスを崩した萌絵がよろめいたその瞬間、爽花さんはすかさずもう一人の遥へと肉薄した。


 遥が恐怖に引きつった顔で振り下ろそうとしたナイフを、今度は見事な手さばきで払いのけ、同じようにその刃を弾き飛ばす。


 そして──。


「そこまでだよ!」


 爽花さんの身体が驚異的なスピードで回転し、彼女の拳がまるで砲弾のように正確に二人の鳩尾へと連続して突き刺さった。


 ドスッ……!  と、空気が圧縮されるような重い音が響く。


「がはっ……!」


「うっ……ぇ……」


 萌絵と遥は目を見開いたまま全身の空気を一気に吐き出し、そのまま糸の切れた操り人形のように、バタリとアスファルトの上に崩れ落ちた。持っていたナイフは遠くへ転がり、二人は苦痛に顔を歪めながら、その場でうずくまって呻き声をあげることしかできなくなっていた。


 わずか数秒の出来事だった。


 あまりの電光石火の早業に、俺も玲那さんも、何が起きたのか脳が追いつかずに立ち尽くしていた。


「はあ……っ。朝からまったく、いい迷惑ね」


 爽花さんは乱れた前髪を優しく手で払い除けると、冷ややかな視線を地面に転がる二人に向け、ふうっと小さく息を吐いた。


 そして、驚くほどケロッとした表情に戻り、俺たちを振り返ってニカッと笑ってみせた。


「いやー、ブランクあったけど、まだまだ私もなまっちゃいないね!」


「え……爽花さん、いまの……一体……?」


 俺が呆然としながら声を漏らすと、爽花さんはフッと得意げに胸を張った。


「あ、これ?  いやさ、昔の話だけどね。実は私、短大を卒業するまでずっと本格的に空手を習っていてさ。黒帯の有段者なんだよねー。おまけに学生時代は全国大会にも出場したことがあるくらいの実力者だったりして。まあ、普段はデスクワークばっかりだから少し鈍ってるかと思ったけど、いざとなると体が勝手に動くもんだね!」


 爽花さんは軽やかにそう言って見せたが、その腕前は素人の域を遥かに超越していた。狂気に走った二人の人間を、武器を持っていようが一瞬で無力化するその戦闘力は、まさに圧巻の一言だった。


「さすがお姉ちゃん! 凄すぎるよ!」


 玲那さんが称賛しながらパチパチと拍手をした。


「爽花さん、かっこよすぎます……!」


「でしょ?  まあ、私の可愛い家族に危害を加えようなんて輩は、このお姉ちゃんが物理的にねじ伏せてあげるから安心してよね!」


 爽花さんが頼もしくサムズアップをきめていると、遠くからけたたましいサイレンの音が近づいてきた。


 どうやら、この異様な騒ぎに気づいた近隣の住民や通りがかりの人が、すぐに警察に通報してくれていたらしい。


 数分後、赤色灯を回転させたパトカーが何台も通学路になだれ込み、慌てた様子で警察官たちが飛び出してきた。


「通報にあった現場はここだな!  おい、確保しろ!」


 警察官たちが、路上でうずくまりながら呻いている萌絵と遥を取り囲み、次々と手錠をかけていく。


 二人はもはや抵抗する気力すら残されておらず、ただ虚ろな目で地面を見つめたまま、パトカーへと連れられていった。


 現場の安全が確認され、野次馬が集まる前に、俺たちは警察官に軽く事情聴取を受けた。


 爽花さんが見事な護身術で犯人を無力化したことが説明されると、警察官たちも「一般の方とは思えない見事な対応でした、ありがとうございます」と驚きと称賛の目を向けていた。


「ふう、これでお仕事の前に変な汗かいちゃったじゃない。でも、無事で本当によかったわ」


 すべての事情聴取が終わり、パトカーが走り去っていくのを見送りながら、爽花さんはふうっと大きく息をついた。


「爽花さん、本当にありがとう。爽花さんがいてくれなかったら、今頃俺たちは……」


「なに言ってるの、空君。家族を守るのはお姉ちゃんの役目でしょ?  さ、そろそろ本当にクライアントとの打ち合わせに行かないと遅刻しちゃう。私、今日はいつも以上に冴えてる気がするし、交渉もうまくいくこと間違いなしだね!」


 爽花さんはそう言って満面の笑みを浮かべると、「それじゃあ、学校気をつけて行ってきなさいよ!」と手を振り、颯爽と別の方向へと歩いていった。


 その後姿を見送りながら、俺は胸をなでおろした。


 どんなに悪意が最後に牙を剥こうとも、俺たちの周りには、こんなにも強く、温かい絆と守ってくれる存在がある。


「行こっか、空君」


 玲那さんが優しく俺の手を取り、微笑みかけてくれる。


「うん、行こう」


 冷たい冬の朝の空気のなか、俺たちはしっかりと手を繋ぎ、再び笑顔を取り戻して碧陵学園へと歩き出した。






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黒帯だと…
血の繋がりのない年下から「お兄ちゃん」連呼されてる主人公の前話に 「親に洗脳された哀れな妹」がその場にいないパーティが想像できて 妹ちゃんに憐れみを感じてしまったのだが 次話でナイフ突貫してきて本当…
長女は法で守り、次女は力で護り、三女は愛で守り、末妹は情報で守る鉄壁の姉妹の絆コンビネーション! そうか~、爽花さんにも役割逢ったのね~
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