第59話 挫かれるプライド、狂気の断末魔
Side:吉岡美誓
すべてが音を立てて崩れ去っていく。
その現実が脳裏に突き刺さるたび、私の内側で何かが音を立てて壊れていくのがわかった。
私は吉岡美誓。
碧陵学園の美術部部長であり、誰からも愛され、頼られる優等生──そう演じ続けることで、自分のアイデンティティを保ってきた人間だ。
遠坂空という泥を被るべき存在を踏み台にし、藤嶺徹という同じカースト最上位者を手懐けて、自分の地位と栄光だけを積み上げてきたはずだった。
だけど、その完璧に築き上げたはずの城壁は、あのネットシンガー・レイナの配信と、学園の不正暴露をきっかけにして、一瞬にして瓦解した。
藤嶺家が経営するグループの巨額脱税と強制捜査、赤羽家の破滅、そして藤嶺徹本人が半グレとの癒着と薬物パーティーの末に社会的に抹殺されたというニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。
そして、それだけでは終わらなかった。
水面下で私が巧妙に張り巡らせたはずの悪意の罠も、すべてがまるで乾いた砂の城のように、音を立てて崩れ落ちていったのだ。
「吉岡美誓さんですね。署まで同行してもらいます」
放課後の静まり返った生徒会室。
そこに踏み込んできた私服警察官の冷徹な声が、私の耳に突き刺さった。
頭が真っ白になる。
「なっ……何の冗談ですか? 私は被害者なんです! 遠坂空という生徒からストーカーされて、脅迫されて……それを訴えているのに、どうして私が……!」
必死の思いで声を張り上げ、カースト最上位者としてのプライドを総動員して気高く見せようとしたが、私の声は恐怖で激しく震えていた。
警察官の男は、そんな私の見栄をあざ笑うかのように、冷たい目で手元のファイルを開いた。
「被害者、ですか? いや、貴女が作り上げたその『被害』のすべてが、完全に虚偽の捏造であると発覚したのですよ。虚偽告訴罪、および名誉毀損の疑いで、事情聴取を行います。おとなしく従ってもらいましょう」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界がぐらりと揺らいだ。
嘘だ、そんなはずがない。私があの時どれほど周到に計画し、完璧な証拠を積み上げたと思っているのか。警察や学校が、私の作った完璧な台本を疑うはずがない──そう信じ切っていたのに。
§
冷たい取調室のパイプ椅子に座らされた私は、目の前に置かれた一枚の写真を見つめ、全身の血が凍りつくような感覚に囚われていた。
「吉岡さん。この写真がなにかわかりますか?」
取調官の男が差し出したのは、あるお洒落な街角にあるオープンカフェのテラス席を捉えたカメラの静止画だった。
そこには、あの日カフェで一人カプチーノを飲んでいる空が映っていた。
「これ……は……」
「貴女は主張していましたね。『遠坂空に執拗につきまとわれ、直接脅迫された。その時間に空がそこにいた』と」
取調官は冷ややかに鼻を鳴らし、別の資料を机の上に放り投げた。
「ですが、甘かったですね。貴女はこう考えていたはずだ。『人気のない路地裏や死角ではなく、あえて人目の多いオープンな場所を選んで証言を構築すれば、周囲の目があるからこそ遠坂君に罠だと疑わずに信用させられる』と。それに、『カフェの店舗内の防犯カメラはこちら側を向いているから、テラスの細かなやり取りの死角になるはずだ』と、そう思い込んでいたのでしょう?」
「っ……!」
図星を突かれ、私の呼吸が完全に止まった。
その通りだった。
私が泉に空を呼び出させたのは、お洒落な街角にあるオープンカフェのテラス席。
テラスの隙間、人の往来が激しい場所。店内の防犯カメラの死角になる絶妙な角度。すべては、遠坂空が私を脅迫したという動かぬ証拠を作り出すための、計算し尽くされた舞台装置だった。空に一人でカフェの席に座らせ、指示した織野泉をあえて遅れて到着させ、空のアリバイに空白の時間帯を作り出すことに成功していたはずなのだ。
なのに──。
取調官は冷徹な笑みを浮かべ、さらに追撃の事実を突きつけてきた。
「ですが、貴女のその計算には、現代の防犯網の広さを見落とすという致命的な穴があった。その店舗のテラス席を他のカメラが捉えていたのです」
「な……に……」
「向かい側のビルの高精度な別の店舗の防犯カメラ、さらには、ちょうどその時通りを走っていた路線バスの車載カメラ、そして、その付近を通りかかったウーバーイーツ配達員のヘルメットに装着されていたドライブレコーダー。それらの複数の映像データが、その時間帯の空君の姿を完全に記録していました」
私が脅されたと証言した場所に、遠坂空の姿など、その時間、影形もなかった。
逆に、空が全く別の場所で一人でいたことを証明する決定的な映像の数々が、完璧な時系列の裏付けとともに揃えられていたのだ。
「これが、貴女が主張していた『ストーカー被害の真実』ですか? すべては、遠坂空を再び犯罪者に仕立て上げ、世間の同情を引いて自分の保身を図るための、あまりにも卑劣な自作自演の捏造工作だった。違いますか、吉岡さん」
「ち、違います……! 私は……私は被害者なんです……! あいつが、あいつが私を脅して……!」
私はパニックを起こし、目の前の机をガタガタと揺らしながら叫んだ。
声がひっくり返り、涙とよだれがとめどなく溢れ出る。プライドも上品さも、音を立てて剥ぎ取られていく。
「嘘だ! そんなの認めない! 私は間違っていない! 私は悪くないわよっ!!」
「現実を見なさい。貴女の作り上げた嘘は、すべてこの客観的なデジタル証拠によって完全に打ち砕かれた。さらに貴女の以前のレイプ未遂事件における証言を裏付けていた池内早苗も、心理的な揺さぶりをかけたら、自分が捨て駒にされるという恐怖からかパニックに陥り、私たちの前で「吉岡先輩に言われて嘘をつきました」と自白をしました。共謀した藤嶺徹も、すでに半グレとの癒着と薬物汚染で全てを吐いています。貴女一人がいくら叫ぼうとも、もう逃げ場はありません」
取調官の淡々とした、しかし有無を言わせぬ言葉が、私の脳みそを容赦なく叩きのめす。
逃げられない。
もう、誰も私を助けてくれない。
私の作った嘘のピラミッドは、完全に崩れ去った。
それだけじゃない。
脳裏によぎったのは、これまでの私の人生のすべてだった。
中学の頃から、私は常にトップでなければならなかった。学年主席を維持し、部活の要職につき、周囲から『完璧な優等生、吉岡美誓』として称賛され続けることだけが、私の存在価値だった。
そして、この碧陵学園で推薦枠を勝ち取り、誰もが羨む名門大学への進学、そして約束された薔薇色のエリートの未来──それこそが、私の手に入るはずだった栄光の未来だったのだ。
それが──。
すべてが、あの遠坂空のせいで、そして私のこんな愚かな策略のせいで、今、この瞬間に完全に消え去ろうとしている。
推薦は? 私の輝かしい大学進学は? 社会的な信用は?
私の人生のすべてが、この狭い取調室の机の上で、まるで紙くずのように燃え尽きていく。
「いや……やめて……! 私の未来を返して……っ!」
私は椅子から転げ落ちるように床に這いつくばり、自分の髪を両手で狂ったように掻きむしった。
「私の推薦が……! 私の人生が……こんなところで終わるはずがないのよ……っ! あんな平凡な男のせいで、どうして私が……どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのよおおおっ!!」
絶叫が、無機質な取調室の壁にこだまする。
私は狂ったように床を叩き、喚き散らし、自分の失墜した現実を受け入れようと必死に拒絶した。
けれど、どれだけ叫んでも、どれだけ泣き喚いても、現実の壁は微動だにしない。
「吉岡さん、落ち着きなさい! 吉岡──っ!」
取調官たちが慌てて私を取り押さえようと椅子から立ち上がる。
その瞬間、私の頭の中で、プツリと何かが決定的に切れる音がした。
胸が締め付けられ、呼吸が急激に浅くなり、目の前が真っ白なノイズに染まっていく。
あんなにも誇らしかった私のプライドも、計算し尽くしたはずの狡猾な策略も、すべてが泡のように消えていく──。
「あ……あ……ぁ……」
掠れたうめき声を最後に、私の意識は急激に暗い底へと引きずり込まれ、冷たい取調室の床の上で、私は完全に気を失って崩れ落ちたのだった。




