第24話 食卓の反撃戦略
明るい照明が温かく照らす逢沢家のダイニングルームには、今夜も美味しそうな夕食の香りがふわりと立ち込めていた。
テーブルの上には、湯気を立てる煮込みハンバーグや色鮮やかなサラダ、そして作りたてのスープが綺麗に並べられている。
この家はいつでも家族の温かさと賑やかさに満ちあふれている。
「い──それでね、今日の授業の途中だったんだけどさ」
俺は箸を置き、目の前に座る四姉妹を見回しながら、今日学校で起きた出来事について口を開いた。
「授業中に、生徒指導の先生が教室にやってきて、赤羽が『ちょっと生徒指導室に来なさい』って呼び出されたんだ。そのあと、放課後近くには藤嶺の方も同じように連れていかれて……。多分、桐乃さんが予想していた通り、警察が本格的な事情聴取に動き出したんだと思う」
俺がそこまで伝えると、長女であり弁護士である桐乃さんは、グラスに注がれた水を一口だけ含み、まるでチェスの盤面を読むかのように冷静な笑みを浮かべた。
「ふふ、やっぱりそうなったわね。当然の帰結よ」
桐乃さんは一切の驚きも見せず、むしろ当然のスケジュール通りだと言わんばかりに肩をすくめた。その凛とした佇まいは、法廷で相手の弁護士を論破するときの表情そのものだった。
「警察が動き出したってことは、爽花が仕掛けた最初の罠──ネット上にばらまいた『あの連中のチャットログ』が効いている証拠だわ。あいつらは今頃、自分たちの嘘を警察の前で必死に正当化して、汗を流しているところね」
桐乃さんのその言葉に、すかさず爽花さんが、得意げに鼻を鳴らしながら手を挙げた。
「ふん、当然でしょ! 私のカウンターパンチは効果抜群だったんだからね!」
爽花さんはタブレット端末を片手に、得意満面といった表情で皆の顔を見渡した。
「ねえ、聞いてよ。藤嶺本人のスマホをハッキングするなんて野暮な真似はしないの。セキュリティの固い主犯より、取り巻き……つまり、調子に乗ってそのチャットに参加していただけの、頭の弱い男子生徒たちを標的にしたのよ」
爽花さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、プログラミングコードが並ぶ画面を指先で弾いた。
「そいつらが日常的に使っていそうなゲーマー向けのツールや、興味を惹くようなフィッシングリンクを巧妙に混ぜ込んで踏ませたの。それだけで、そいつらの端末のセッション情報を遠隔から乗っ取ることに成功したんだ。本人のスマホが手元になくても、グループチャットの構造上、メンバーの一人が突破されれば、その中にある過去の全ログや画像、音声のやり取りが芋づる式に丸見えになるってわけ。藤嶺たちは『自分たちだけの秘密のチャットだ』ってすっかり安心して、やりたい放題書き込んでいたみたいだけどね。その全データをごっそり抽出して、ネットの海に綺麗にばらまいてあげたんだよ」
そのエグいほど鮮やかな手口に、俺は思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。
デジタル技術を暴力ではなく、完全な正義の制裁として使いこなす爽花さんの才能は、時として恐ろしいほどの切れ味を発揮する。
「お陰で、ネット上でも『藤嶺たちの自作自演なんじゃないか』っていう疑念が一気に広がったし、証拠能力はないとしても、警察もそのチャットログを無視できなくなった。これで無実の証明にまた一歩大きく近づいたね、空君」
三女の玲那さんが、俺のグラスにそっとオレンジジュースを注ぎながら、柔らかく微笑んだ。その瞳には、俺を安心させようとする優しい温かみが宿っていた。
「爽花の技術力にはいつも驚かされるけど……本当にすごいのよ。警察が動いたのも、その裏付けがあったからこそだしね。空君、もうすぐだからね。あの連中が自分たちのついた嘘の重さに押しつぶされる日は、もうすぐそこまで来ているから」
桐乃さんの言葉に、凛ちゃんが腕を組んで、フンと誇らしげに胸を張った。
「私の聞き込みや情報収集だって、今回の布石としてはかなり役に立ったみたいでよかったよ! ネットだけじゃなくて、学校の裏の噂話とか、あいつらが普段どんな風に生徒たちに威張っていたか、証言のピースはあちこちで集めてるんだからね」
四姉妹がそれぞれの役割──法律、プログラミング、心理的サポート、そして情報網を完璧に噛み合わせ、俺を救うための巨大な包囲網を形作っている。
その事実が、かつて孤独のどん底に突き落とされていた俺の胸を、温かいもので満たしていく。
だが、彼女たちの攻勢は、学校内の人間だけに向けられているわけではなかった。
「あと忘れてはいけないのが、あの最低な父親の存在ね」
桐乃さんのその一言に、俺がこくりとうなずく。
実家を追い出され、あの冷酷で暴君のような父親と縁を切ってから、すでにいくらかの時間が経っている。
父さんは自分の体面と会社での地位を守るためなら、息子の俺を平気で切り捨て、世間に対して被害者面を決め込んでいた男だった。
桐乃さんはグラスを静かに置き、その切れ長の瞳を細めた。
「次はね、もう一つの致命的な一撃を放ってあるの。私が空君の父親の勤務先のコンプライアンス窓口に、『社員の重大な法令違反(保護責任者遺棄・児童虐待の疑いおよび反社会的・不道徳な家族放棄)に関する通知書』を、内容証明郵便で送りつけたのよ。そろそろ、その結果が出る頃ね」
その言葉を聞いた瞬間、俺は息を呑んだ。
父さんにとって、会社での評価や社会的信用は、自分の命の次に大切なものだ。
その会社の本丸であるコンプライアンス窓口に、実の子供を虐待し、冤罪事件を放置して切り捨てたという『重大なコンプライアンス違反』の告発状が内容証明で送りつけられたのだとしたら──。
想像しただけで、父さんが職場でどれほど冷や汗を流し、追い詰められているかが手に取るように分かった。
「内容証明で送りつけられた会社側も、無視するわけにはいかないわ。上層部や人事部は、企業のイメージ失墜を恐れて大慌てで事実確認を始めているはずよ。父親があの会社で築き上げてきたプライドも、地位も、すべてが音を立てて崩れ去る……その結果が返ってくるのが、今から本当に楽しみだわ」
桐乃さんのその言葉には有能な弁護士としての圧倒的な迫力が満ちていた。
誰もがそれぞれの持ち場で、敵の急所を的確に、そして容赦なく突き続けている。
赤羽架純、藤嶺徹、吉岡美誓──俺を地の底に落とそうと笑い合っていた彼らは、自分たちが今、どれほど巨大で緻密な蜘蛛の巣の中に囚われているのか、まだ気づいてすらいないのだろう。
警察での事情聴取をうまく切り抜けたと勘違いし、自分のアリバイや工作に酔いしれているあの愚か者たちの姿を想像すると、胸の奥で燻っていた澱のような恐怖や絶望が、すっきりと洗い流されていくような感覚を覚えた。
「……皆、ありがとう」
俺は彼女たちを見据え、まっすぐに伝えた。
「俺のために、ここまで本気になってくれて……本当に、ありがとう」
俺の言葉に、桐乃さんはふっと柔らかい笑みを浮かべ、爽花さんは照れくさそうに頬を掻き、玲那さんは優しくうなずき、凛ちゃんは「当然でしょ!」と胸を張った。
反撃の狼煙は既に上がっている。
あとは、彼らが自らの愚かさによって崩れ去るのを、最高のかたちで演出するだけだ。
外の夜空には、夏の澄みきった星が、ひときわ明るく輝いていた。




