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神の娘はどうやら捨てられたらしい  作者: 夜詠灯
アウトランド地下通路

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第1話アウトランド地下通路1

 灰色の空の下、街は静かに腐っていた。


 風が吹くたび、崩れたビルの骨組みが軋む。

 その音すら、この場所では大きすぎる。


「……音、でかいな」


 少年は立ち止まり、周囲を見渡した。


 反応はない。


 ——まだ大丈夫だ。


 ゆっくりと、呼吸を整える。


 ここはアウトランド。

 汚染に沈んだ旧市街。


 そして——“音を立てたやつから死ぬ場所”だ。


 少年は崩れかけたビルの内部へ滑り込む。


 足元に散らばるガラス片を避けながら、奥へ。


 目的は一つ。


「……あった」


 瓦礫の下に埋もれていたそれを見つける。


 半壊した軍用ドローン。

 外装は焼け落ちているが、内部はまだ生きている。


 エーテル反応、微弱だが確実。


「当たりだな」


 少年は膝をつき、工具を取り出した。


 手早く外装を剥がし、コアにアクセスする。


 この作業は時間との勝負だ。


 長く居れば居るほど——死に近づく。


 指先に、わずかな光が灯る。


 エーテル。


 それを“引き抜く”。


 ドローンの内部から、淡い粒子が糸のように引き出されていく。


 慎重に、慎重に。


 失敗すれば——暴発する。


「……あと、少し」


 その時だった。


 ——音。


 遠く、だが確実に。


 何かが“擦る”ような音。


 少年の手が止まる。


(……いる)


 呼吸を止める。


 耳を澄ます。


 音が、近づく。


 重く、鈍く、規則的に。


 ——汚染獣。


「……最悪だな」


 だが、ここでやめれば全部無駄になる。


 あと少しで回収できる。


 あと少し。


(賭けるか……?)


 一瞬の判断。


 少年は作業を再開した。


 動きは、さっきよりも速く、そして静かに。


 音はもう、すぐそこだ。


 壁の向こう。


 息遣いすら聞こえそうな距離。


「——取れた」


 その瞬間、コアが完全に沈黙する。


 エーテル残滓が、手の中に収まった。


 同時に。


 ——壁が、軋む。


「……っ」


 来る。


 少年は即座に立ち上がり、反対側へ駆ける。


 次の瞬間、背後の壁が崩壊した。


 何か巨大なものが、そこにいる気配。


 振り返らない。


 見られたら終わりだ。


 瓦礫を飛び越え、崩れた通路を滑り抜ける。


 外へ。


 光のある方へ。


 肺が焼ける。


 それでも止まらない。


 止まれば死ぬ。


 やがて、廃ビルの外に飛び出す。


 数秒遅れて、背後で咆哮が響いた。


 だが追ってこない。


 縄張りから出ないタイプか。


「……はぁ、はぁ……」


 その場に崩れ落ちる。


 手の中の光を見る。


「……いくらだ、これ」


 大した量じゃない。


 だが、ゼロよりはいい。


 積み重ねるしかない。


 ——100万エーテル。


 それだけあれば、“中”に入れる。


 天蓋都市。


 安全な世界。


「……遠すぎるな」


 その時だった。


「……だれか……」


 かすかな声。


 風に紛れそうなほど小さい。


 少年は顔を上げた。


「……なんだ?」


 こんな場所に、人間?


 ありえない。


 だが、確かに聞こえた。


 警戒しながら、声の方へ近づく。


 崩れた車両の影。


 その奥。


 そこにいたのは——


 白い。


 あまりにも、この世界に似合わない色。


 この場にそぐわない豪華な衣をまとった少女が、震えていた。


 薄暗い空間の中で、その姿だけが浮いていた。


 まず目に入るのは、髪。


 淡い金色。

 光を失ったこの世界ではありえないほど、柔らかく、均一に整えられている。


 乱れがない。


 風に晒されていたはずなのに、ほとんど傷んでいない。


 肌は白い。


 ただ白いだけじゃない。


 曇りのない、作り物みたいな均一さ。


 汚れも、傷も、ほとんど見当たらない。


 瞳は澄んだ青。


 だがその奥には、今まで“知らなかったもの”を見た揺らぎがある。


 恐怖と、困惑と、理解できないものへの拒絶。


 着ているものは、明らかに外界のものじゃない。


 白を基調とした衣服。


 装飾は少ないが、布の質が違う。


 汚れを弾くような滑らかさと、無駄のない仕立て。


 だが今は、その一部がわずかに裂けている。


 裾には薄く灰が付着していた。


 それでも——


 完全には“こちら側”に染まっていない。


 立ち姿も違う。


 無駄な動きがない。


 背筋が自然と伸びている。


 歩き慣れていないはずなのに、崩れない。


 ただ、その足取りだけが不安定だった。


 この場所に、似合わない。


 そうとしか言いようがない存在だった。


「助けて……ください」


 その顔を見た瞬間、理解する。


 ——関わったら終わるやつだ。


 装備、雰囲気、何より“エーテルの濃さ”。


 外界の人間じゃない。


 少年は、しばらく黙っていた。


 助ける理由はない。


 ここでは、弱い奴は死ぬ。


 それが普通だ。


 ……なのに。


「……あー、クソ」


 頭をかく。


「立てるか」


 少女が驚いたように顔を上げる。


 恐る恐る、その手を取る。


 その瞬間。


 異常な感覚が走る。


(……濃すぎる)


 この少女の中のエーテルは、明らかにおかしい。


 規格が違う。普通であれば体が汚染されて、さっきの汚染獣のように体が変異する。


「……お前、どこから来た」


 問いかけると、少女は一瞬だけ言葉に詰まった。


 視線が揺れる。


 迷っている、というより——言えない顔だった。


「……わかり、ません……」


 かすれた声。


 嘘ではないが、本当でもない。


 そんな答え。


 少年は少しだけ目を細めたが、それ以上は追及しなかった。


 ここで無理に聞き出す意味はない。


 それより——


「歩けるか」


 少女は小さく頷く。


 だが、立ち上がろうとしてふらついた。


 反射的に腕を掴む。


 その瞬間、またあの感覚が走る。


(……やっぱり、おかしい)


 体の奥に流れている“何か”。


 濃すぎるエーテル。


 こんな濃度、外界じゃありえない。


「……とりあえず、ここ離れるぞ」


 少年は周囲に視線を巡らせる。


 さっきの汚染獣が、まだ近くにいる可能性は高い。


 ここで長居はできない。


 瓦礫の影から影へと移動する。


 少女の足取りは遅い。


 だが、置いていく選択肢はもう消えていた。


「……あの」


 歩きながら、少女が口を開く。


「ここは……どこ、なんですか」


「アウトランドだ」


 短く答える。


「外の世界。拒絶された世界」


 少女はその言葉を理解するのに、少し時間がかかったようだった。


「……外?」


 その反応。


 やっぱり内側の人間だ、と確信する。


 しばらく歩いて、崩れた地下通路の入口に辿り着く。


 鉄扉は半分落ちているが、中はまだ使える。


「今日はここでやり過ごす」


「ここで……?」


「ああ。外にいるよりマシだ」


 少女は不安そうに周囲を見渡したが、文句は言わなかった。


 中は薄暗いが、外よりは静かだった。


 少年は簡単に罠と音避けの仕掛けを確認する。


 問題なし。


「そこ座っとけ」


 少女は言われた通り、壁にもたれるように座る。


 少しして、ようやく呼吸が落ち着いてきたようだった。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 ぽつりと、少女が言う。


 少年は肩をすくめた。


「別に。気まぐれだ」


 本当は違う。


 だが説明する気もない。


 沈黙が落ちる。


 遠くで、何かが崩れる音がした。


 この世界では珍しくない音。


 だが少女はびくりと肩を震わせた。


 少女はしばらく黙っていた。


 暗闇に目が慣れてきたのか、周囲をゆっくり見渡す。


 崩れた壁。

 剥き出しの配管。

 どこからか滴る水音。


 そのどれもが、この場所の“普通”を物語っていた。


 だが——少女にとっては、違う。


「……ここって、いつもこうなんですか」


 おそるおそる、そんなことを聞いてくる。


「何が」


「……こんな、暗くて……静かで……」


 言葉を探している。


 うまく説明できない、不安の形。


 少年は少しだけ考えてから答えた。


「静かな方だな、ここは」


「え……?」


「うるさい場所はたくさんあるが、そんな場所にいたら今頃命はないだろうな」


 さらっと言う。


 事実だからだ。


 少女の顔がこわばる。


 ようやく理解が追いついてきたのか、指先が小さく震えていた。


「……あの」


 少し間を置いて、また口を開く。


 今度は、さっきよりも慎重に。


「ここから……出ることって、できますか」


 遠回しな言い方。


 だが、意味ははっきりしている。


 少年は壁にもたれたまま、視線だけ向けた。


「どういう意味だ」


「……」


 少女は言葉を飲み込む。


 迷っている。


 言うべきか、隠すべきか。


「天蓋都市に入るにはどうすればいいですか」


 やっと出てきたのは、直球の答えだった。


 少年は小さく息を吐く。


「方法はあるにはある」


 少女の目がわずかに開く。


「ほんとに……?」


「ただし」


 少年はポケットから、エーテル残滓を取り出した。


 淡く光る、小さな塊。


「ただし簡単じゃない」


 少女はそれをじっと見つめる。


 何なのかは分からないが、重要なものだということは感じ取っている。


「……それ、なんですか」


「通行料みたいなもんだ」


 正確には違うが、間違ってもいない。


「外の人間が“中”に入るにはな」


 少し間を置いて、続ける。


「100万エーテルいる」


 沈黙。


 少女の思考が止まる。


「……え」


 かすれた声。


 理解が追いつかない。


 少年は肩をすくめる。


「これで、まあ数百ってとこだな」


 手の中の残滓を軽く揺らす。


 少女は言葉を失う。


 視線が、光と少年の間を行き来する。


「……そんなの」


 小さく呟く。


「無理、ですよね」


 少年はすぐには答えなかった。


 少しだけ考える。


 本来なら、ここで終わりだ。


 適当な場所まで案内して、切る。


 それが普通。


「……いや」


 だが、口にしたのは別の言葉だった。


「やるしかないだよここでは」


 少女が顔を上げる。


「100万集めりゃいいだけだ」


 無茶苦茶な理屈。


 だが、少年は本気で言っている。


「……できるんですか」


 当然の問い。


 少年はわずかに笑った。


「無理なら、とっくに死んでる」


 その言葉に、少しだけ現実味が宿る。


 少女は何も言わなかった。


 ただ、小さく息を吸って——


「……そうですか」


 それはどこか絶望に満ちた声だった

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