第1話 相談していい?
好きな人の一番近くにいられることは、幸せなことだと思っていた。
くだらない話をして、同じ教室で笑って、放課後に並んで帰って。
困った時には頼ってもらえて、弱いところも見せてもらえる。
でも、その近さがいつも報われるとは限らない。
颯太にとって紗奈は、何でも話せる親友。
そして紗奈にとって颯太は、ずっと好きだった人。
これは、好きな人の恋を応援し続けてきた女の子が、初めて親友でいられなくなるところから始まる物語です。
「紗奈、相談していい?」
放課後の教室で、颯太がそう言った瞬間、私は反射みたいに笑っていた。
「なに。どうせまた恋バナでしょ」
軽く言えた自分を、少しだけ褒めてあげたかった。
窓の外では、文化祭の準備で残っている生徒たちの声がしていた。グラウンドの向こうに沈みかけた夕日は、校舎の白い壁をオレンジ色に染めている。黒板には、誰かが書き残した出し物の買い出しリストが残っていた。
紙コップ。
ストロー。
ガムテープ。
飾り用の折り紙。
黒板の文字は、明日の楽しい予定ばかりを並べている。
その横で、私だけがまた、好きな人の恋の始まりを聞こうとしていた。
颯太は、私の前の席に後ろ向きで座った。椅子の背もたれに腕を乗せて、いつもの調子で笑う。
「さすが。話が早い」
「私は恋愛相談所じゃないんだけど」
「でも、紗奈に聞くのが一番まともなんだよ」
その言葉だけなら、たぶん嬉しい。
私が特別みたいで。
私が一番近いみたいで。
でも、実際に颯太が私へ持ってくるのは、いつだって私以外の女の子の話だった。
「で? 今度は誰?」
私は自分の声が震えていないことを確認しながら、机の上に頬杖をついた。
颯太は少しだけ言いにくそうに視線をそらした。
「いや、まだ誰っていうか……気になる子ができたかもしれない」
胸の奥が、静かに沈んだ。
ああ、まただ。
また私は、好きな人の恋を応援することになる。
もう何度目だろう。
颯太の恋の始まりを聞くたび、私は笑っていた。颯太が誰かと付き合った日も、喧嘩した日も、仲直りした日も、別れた日も、私はずっと隣にいた。
親友だから。
それが私に許された、一番近い場所だったから。
でも、その近さはいつも残酷だった。
颯太の隣にいるのに、颯太の恋の中に私はいない。
「へえ」
私は笑った。
「いいじゃん。どんな子?」
颯太は答えようとして、少しだけ口を開いた。
でもその前に、私の中で何かが限界に触れた。
このまま聞いたら、またいつもの私になる。
相手の子の性格を聞いて、LINEの送り方を考えて、タイミングを見て背中を押して、颯太がうまくいったら「よかったじゃん」と笑う。
そして部屋に帰ってから、ひとりで泣く。
そんな自分が、急に嫌になった。
「ごめん」
気づいた時には、私は立ち上がっていた。
椅子の脚が床をこする音が、やけに大きく響いた。
「今日、無理」
「え?」
「ごめん。用事ある」
鞄を掴んで、私は教室を出た。
背中に、颯太の戸惑った声が落ちてくる。
「紗奈?」
振り返ったら終わりだと思った。
だから振り返らなかった。
廊下を歩きながら、私は唇を噛んだ。
泣くな。
泣くなら、せめて颯太の見えないところで。
そう言い聞かせたのに、階段の途中で視界がにじんだ。
好きな人の恋を応援するたび、私は少しずつ失恋していた。
そして今日、たぶん初めて。
私は、親友でいることに失敗した。
*
颯太と出会ったのは、高校一年の春だった。
入学式の翌日、私は教室の隅の席で、まだ誰ともまともに話せずにいた。
中学の友達は別の高校へ行った。人見知りというほどではないけれど、最初の輪に入るのは苦手だった。すでに明るい子たちはグループを作り始めていて、教室の空気には「今ここで出遅れたら三年間ひとりかもしれない」という焦りが漂っていた。
そんな時、隣の席の男子が急に言った。
「消しゴム貸して」
それが颯太だった。
まだ一時間目も始まっていないのに、彼は筆箱を忘れていた。
「筆箱ごと忘れたの?」
「うん。高校デビュー失敗した」
あまりに堂々と言うから、私は思わず笑ってしまった。
「普通、初日くらいちゃんとしない?」
「昨日まではちゃんとしようと思ってた」
「昨日で終わったんだ」
「三日坊主にもなれなかった」
それが、最初の会話だった。
颯太は誰とでもすぐ話せる人だった。明るくて、少しふざけていて、男子にも女子にも壁を作らない。けれど、ただ軽いだけの人ではなかった。
入学して二週間ほど経った頃、私は数学の小テストでひどい点を取った。
別に誰かに言ったわけではない。答案をすぐにノートへ挟んで、平気なふりをした。けれど放課後、颯太は私の机の横に立って言った。
「紗奈、今日ちょっと残れる?」
「なに?」
「数学。俺もやばかったから、一緒にやろう」
颯太の点数を見たら、普通に私より高かった。
「やばくないじゃん」
「いや、未来がやばい」
「なにそれ」
「だから今のうちに対策する」
そう言って、颯太は私の隣に座った。
たぶん、私が落ち込んでいたことに気づいていた。
でも彼は、「大丈夫?」とは聞かなかった。「点数悪かったの?」とも言わなかった。ただ、自分もやばいという顔をして、私が恥ずかしくならない場所を作ってくれた。
その優しさが、ずるかった。
好きになったのは、その日だったのかもしれない。
放課後の教室で、窓から入る風がノートの端を揺らしていた。颯太はシャーペンの芯を折りながら、「これ、まず何を求めればいいんだっけ」と真剣に悩んでいた。
私はその横顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
でも、その気持ちに名前をつけるのは怖かった。
颯太は誰にでも優しい。
私だけじゃない。
だから私は、その温かさを「友達になれて嬉しい」と呼ぶことにした。
*
高一の夏には、私と颯太はすっかり親友みたいになっていた。
クラスで班を作る時は自然と一緒になった。移動教室では、颯太が私の歩幅に合わせて廊下を歩いた。購買でパンを買う時、颯太はよく迷って、結局いつも同じ焼きそばパンを選んだ。
「迷う意味ある?」
「ある。今日の俺は違うかもしれないだろ」
「結局、焼きそばパンじゃん」
「今日の俺も昨日の俺と同じだった」
そんなくだらない会話が、私には楽しかった。
ある日、体育祭の準備で私が段ボールを運んでいた時、バランスを崩して転びそうになった。颯太はすぐに駆け寄ってきて、私の腕を掴んだ。
「危なっ」
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫な人の動きじゃなかった」
颯太は私の手から段ボールを半分奪うように持った。
「いいよ、持てる」
「知ってる。でも俺も持てる」
そういう言い方をする人だった。
できないから助けるんじゃない。
できるのを知っていて、それでも隣に立ってくれる。
だから、どんどん好きになった。
だけど同時に、どんどん言えなくなった。
近くなればなるほど、壊したくないものが増えていく。
友達でいれば、毎日話せる。
親友でいれば、くだらないLINEも送れる。
好きだと言ってしまったら、その全部がなくなるかもしれない。
だから私は、颯太に恋をしていることを、自分の中だけの秘密にした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第1話では、紗奈がずっと続けてきた「親友」という立場が、初めて崩れる瞬間を書きました。
颯太に悪気はありません。
紗奈も、颯太を責めたいわけではありません。
ただ、好きな人から別の誰かへの恋愛相談をされるたびに、紗奈はずっと笑って傷ついてきました。
「親友だから聞ける」
「親友だから応援できる」
そう思い込もうとしてきたけれど、本当はそのたびに、少しずつ自分の恋を諦める練習をしていたのかもしれません。
次話では、紗奈が初めて颯太の恋を応援することになった出来事を描きます。
彼が別の女の子に贈るプレゼントを、紗奈が一緒に選ぶ話です。
よろしければ、続きも読んでいただけると嬉しいです。




