#8
「た、た、た、た! 大変ですううう!」
冒険者協会の職員であり《海月の宿》の担当をしている真庭 穂香はそんな叫び声を伴いながらに《海月の宿》のギルドハウスへと飛び込んできた。
そんな彼女の登場に対して《海月の宿》の面々は静かなままだった。
だが、それは落ち着いている、という意味合いではない。むしろその正反対。
部屋の中央では、相変わらずとなってしまった様子で海未か延々と泣いているし、それ以外の面々も落ち込んでいたり、なにやら黙々と作業をしていたり、少しイライラしている様子のメンバーもいる。
これが、しばらく前に始祖ダンジョンの階層突破という偉業を成し遂げたあとのパーティには見えない。お祝いがまだ続いているならともかく、完全にお通夜ムードである。
「ああ、穂香さん。どうかしましたか?」
比較的まだ平静を保っていた男性のメンバーが穂香の対応をしてくれる。
「ああ、蒼汰さん。その、落ち着いていてくださいね」
穂香が一番落ち着いていないんじゃないか、と蒼汰は思ったが、も言わない。というか、言えない。言えなかった。
だって、全員が彼女の報告を聞いて、冷静でいられなかったから。
「月村さんの……月村 支樹さんの、冒険者登録が抹消されました」
「………………は?」
穂香は《海月の宿》の現状を識る数少ない部外者である。まあ、ある意味関係者であるから知っているのではあるが。
だからこそ、支樹が失踪してからというもの、冒険者協会の職員という立場を使って彼の足取りを追おうとしていた。
無論、職権乱用である、冒険者協会の職員がただひとりの冒険者の記録をみだりに参照するというのは当然ながら規則で禁止されている。穂香自身が《海月の宿》の担当であるということを差し引いてもかなりのグレーゾーンである。
それでも、彼女は懲戒覚悟で調べていた。それが黙認されていたのも、直属の上司は事情を知っていたし、ことが日本最強のパーティ《海月の宿》の緊急事態であるということもあったろう。
そうして、穂香は調べていた。毎日のように、支樹の冒険者記録を。
冒険者証を有した状態でどこかのダンジョンを訪れれば、その記録が残る。
ひとつでもあれば、彼の足跡を辿れるだろうと、そう思っていたから。
しかし、希望が絶たれた。
つい先程確認したとき。冒険者登録が、抹消されていたのだ。
「ご、ごめんなさい。……私も、役に立てず」
これに関しては、穂香のせいではない。
だが、自分自身お世話になっていたパーティだということもあり、力になりたいと願っていた彼女からしてみればなにもできないという現状はどうにも彼女にとってはどうにも無力に感じてしまうのだろう。
だが、この事実は穂香にとっての希望が絶たれた、という事実以上の意味を孕んでいる。孕んでしまっている。
「やっぱり、棄てられちゃったんだ」
ぽつり、と。海未がそうつぶやく。
「棄てられちゃったんだあああああ!」
「海未ちゃん! そんなことない、そんなことないから!」
泣きじゃくる海未にすぐさま蒼汰たち他のメンバーがカバーに入るがしかし、彼女は首を振る。
「じゃあ、なんで冒険者登録が抹消されてるの!? 出てっただけじゃなくって、冒険者までやめちゃって。そんなの、嫌になった以外になんの理由が――」
うっ、と。蒼汰は言葉に詰まる。
これまで、なんだかんだと頑張って海未をなだめてきていた蒼汰たちだったが、そうしてこれていた背景には、勘違いから引き起こっただけの悲劇であるという可能性が残っていたからである。
パーティメンバーとしてそれなりに付き合いも長いということもあって、支樹と海未が結構すれ違っているということを蒼汰たちは知ってはいる。当人たちは幼馴染だからわかり合っていると認知しているから余計に厄介なのだが。
とはいえ、まだ支樹が明白に自分たちを避けているというきらいが見えていない以上、まだ、可能性の一端としてただの勘違いということで海未をなだめることができていた。
だが、今回のそれは勘違いにしては経路が明白に違う。冒険者としての活動を離れるにしても、なにをどうすれば冒険者登録までもを抹消するという判断になるのか。
もちろん、冒険者登録を残すことにデメリットがないとは言わない。ダンジョンの入場記録が残る以外にも、特に高ランクの冒険者であればあるほどに色々と縛りはつく。だが、それ以上に高位の冒険者という称号は、たとえ現状の活動に合致せずとも、ひとつの社会的地位にさえなっている。
それをかなぐり捨ててまで、一体。
「冒険者、嫌になった、わけじゃない。……たぶん」
「……えっ?」
ギルドハウスの端っこで、少女がつぶやく。《海月の宿》の最年少、琴風だ。
支樹がいなくなってからというもの、暇さえあればパソコンやスマホに張り付いており。先程までひたすらにノートパソコンとにらめっこをして作業をしていた彼女だが、なにか見つけたのか、くるりと回転イスごと振り向き、黒髪から黄緑色のインナーカラーを覗かせながらにそう言う。
「知り合いの、冒険者に。手当たり次第、目撃情報をあたった。いなくなったその日に渋谷マルハチから出てきた、らしい。冒険者が嫌になったのなら、わざわざ居なくなったその日にマルハチに行かない、と思う」
だからといってダンジョンに行っているのは、それはそれでどうなんだと思わなくもないけど。まあ、支樹らしいといえば支樹らしい。
「じゃ、じゃあ渋谷マルハチに行けば!」
「待って。さっきも言ったように、出ていったその日の話。半月くらい前のこと。家を出ていって、そのまま同じ場所に滞在してるのかというと。可能性としては半々くらいじゃないかな」
「うっ……」
はやる気持ちに水を浴びせられる海未。だが、琴風の言うことも真理ではある。
仮に家出をしたとして、家の付近に滞在するかといえば否だろう。逆に裏をかける、という可能性もなくはないが、近くにいればそれだけ見つかるリスクが高い。
今回の件は家出でこそないために見つかったら即連れ戻されることもなくはない……わけでもない人物が居はするけれども。少なくとも、ばったりと会ったときに気まずくはなるだろう。
「実際、実家にも帰ってない、でしょ?」
「う、うん」
ことが起こってすぐに海未たちの地元には連絡をしている。
支樹の家族が完璧に匿ってでもしていたら話は別だが、それでも一切の姿を誰にも見せずに、というのは難しいだろう。
特に冒険者登録が抹消されたということは、少なくともそのために外に出張っているはずである。
「だから、別のところにいる、気がする。どこかは、わからないけど。冒険者登録を抹消してるってことは、誰かがその姿を見てるかもしれない」
だから、引き続き知り合いに聞いて回る、と。
琴風はそう言って、再びノートパソコンに向かう。
「でも、出ていかれたのに。今更どうやって――」
「海未が、諦めるっていうのなら、それでもいいけど。私は、諦めたくないから」
そもそも、まだ、勘違いの可能性だってあるし。そうでなくとも、冒険者が嫌になったのでないのならば、支樹に見直してもらえる可能性だってある。そのために、始祖ダンジョンだって最前線を突破したのだ。
でも、どちらにせよ、支樹がどこにいるのかがわからないと始まらない。だから、琴風は頑張る。
「……私も、諦めない」
涙を止めて、海未は顔を上げる。
そうだ。それでこそ、海未だ。
生半可な気持ちでは、日本一になどなれていない。
この諦めの悪さこそ、海未の、そして《海月の宿》の強さであり、根幹であるる。
「なら、頑張ろう。一緒に」
「わ、私も! できる範囲で頑張ります! 部外者ですけど、いちおう、担当ですから!」
ぐっ、と。琴風の隣で穂香も拳を握りしめる。
「助かる。私たちだと、協会のデータベースには触れないから」
琴風のその言葉に、穂香は、たはは、と苦笑いをする。
本来ならば穂香も別に調べられるわけじゃあないんだけども。でも、やれることならば、協力をしていくつもりではある。
(あれ、でも。そういえば)
ふと、穂香は思い起こす。
渋谷マルハチから出てきた、というのは失踪したその日だという。
冒険者登録が抹消されたのは昨日の朝に確認したときから、今朝に確認するまでの間。
だとすると、渋谷マルハチに潜っていた、というときにはまだ冒険者登録が抹消されていない。
なのに、そのタイミングで支樹が渋谷マルハチにいたという記録がない。少なくとも穂香はそんな記録を見ていないし、いくらドジとはいえ穂香もそんな見落としなどしない。
(なにか、見落としているような……?)
事実、見落としている。
支樹が冒険者証を持たないままに失踪している、というその事実を。
だが、仮に見落としていたとしても、気づくことはないだろう。
まさか、まあいいか、というようなそんな適当な理由だけで、冒険者証の抹消と新規発行という、強引な手段を取っている、というバカみたいな事実には。
* * *
「嫌ですわ!」
「そうは言われてもなあ……」
店の前で、ぷい、と。そっぽを向く鈴音。
そんな彼女の様子に、俺は困った様子で頬を掻く。
なにをしにきたか、といえば。鈴音の防具を見繕いに来た。
武器についてもいちおう見るつもりではあるが、こちらについてはちゃんとしたものはあとから見繕う予定。なにせ、いちおう片手剣と盾は練習しているものの、実際に戦ってみると他の方が適正がある、という可能性もあるからだ。
とはいえ、余程特殊なものでもなければ、防具は共通のものが使える。
だから、こちらについてはしっかりとしたものを選ぼうと。
「鈴音の実家のところに来ただけだろ?」
「それが嫌なのですわ!」
ぎゅーっと両の目を瞑りながら、両腕をぶんぶんと振り回して抗議をする鈴音。
いや、そこまで拒絶されたら弓弦さんが泣くぞ? というか、鈴音自身もスターマインを継ぐために、という話をしてなかったっけ。
俺がそんな疑問を浮かべていると、彼女はふるふるとその首を小さく横に振る。
「スターマインが嫌い、というわけではありません。むしろ、素晴らしいものだと思っています」
「俺もそう思うぞ。もちろん、鈴音を前にしてるから言ってるとかではなく、本当にいい武具を作ってると思ってる」
「ありがとうございます! ……でも、だからこそ、なのです」
スターマインは、良くも悪くもブランドである。
値段以上の質のものを提供している、というのは事実ではあるが。その一方で、高額な商品が、それ以上の質を有している、という話でもある。
「私、まだまだ駆け出しの冒険者なのですわ! だからこそ、もっと相応のものを手にするべきでして!」
つまるところが、自分にはまだまだスターマインの商品は見合わない、と。そう言いたいのである。
実際、駆け出しの冒険者に手が届くようなものではない。そんな金があるのなら、わざわざ冒険者などにならなくてもいいケースがほとんどだ。
実家だから、という以上に。初心者向けではないから、というのが彼女の理屈である。
「それに。私のわがままでここまで来ているのに、実家を頼るのは、自分の実力でないような気がするのです」
「なるほどなあ」
まあ、たしかに鈴音の言い分はわからなくもない。
俺だって、誰か別の新米冒険者が「スターマインで防具を揃えます!」と言っていたら金目の心配をする。普通の冒険者、なら。
「しかし、やっぱり俺はスターマインで揃えるべきだと思う」
だが、その一方で。「お金なら問題ありません!」とそう言うのであれば、むしろどうぞどうぞと勧める。
防具の強さは生存力に直結する。
半端な防具を使っていては、万が一のときにあと少しが届かないことも往々にしてあり得る。
「……でも、冒険者たるもの、自分の力でどうにかするもの、では?」
おそらくは、鈴音にとっての冒険者像がかなり高貴なものになっているのだろう。だからこそ、家に頼りたくはない、のだろうが。
「社会人になってから冒険者になったようなやつはともかくとして。学生から冒険者になってるようなやつは大なり小なり最初の防具は家からの援助があるものだ」
「それ、は」
「それに。運も実力のうち、というように。実家の太さだって、強みだ。間違いのない、鈴音の持つ力だ」
それを使い潰すというのであれば考えものだが、弓弦さんから許可されている範囲での利用なのだから、気後れすることもない。
「それから、冒険者になりたいのなら、覚えておくほうがいい。使えるものは使う。それが、冒険者として生き残るための一番の方法だ」
俺の言葉に、鈴音はジイっとこちらを見つめ返してくる。
「立派な冒険者になりたいのなら。むしろ、なんでも利用する気概でいたほうがいい。それこそ、実家も。なんなら、俺さえもな」
なりたんだろう? と、そんな意図を込めて、少しばかりの笑みを彼女に向けた。




