魔王の隠忍
日が傾き始めた頃、大きな大木のある程良く拓けた場所を見つけた。地面も平らで、近くに小川も流れている。おそらく森に入った人間達が此処で野営をしたのであろう、小石に囲まれた焚火の跡もある。
(この辺りなら、問題無さそうだな。)
準備は万端だ。ユリは驚いていたが、勿論これも今回の私の策の一つだった。
野営の準備をし、ユリが城で拵えてくれた塩むすびと簡単な汁物で暗くなる前に夕餉を済ませる。
辺りは暗く、静かだ。焚火を眺めながら茶を飲み、密かに廻りを警護させていた獣族の者に念話を送る。
控えていた魔物達は、一礼をすると退がっていった。
(フェイが、言葉にする事が大切だと話しておったな。・・・此処なら邪魔も入らぬし、ユリに私の思いを伝えるならば今なのだろうか・・・)
ユリと大木に並んで寄り掛かり、話をしながらそんな事を考える。そうだ、伝えなければ。
「ユリ、私は・・・」
言い切らぬうちに、肩にトン、と何かが当たった。
一日森を歩き回り、余程疲れたのであろう、ユリが此方に凭れ掛かる形でうとうとと眠っている。
その顔を見た瞬間、胸が高鳴るのが分かった。鼓動は速くなり、落ち着かない。
顔が近いな・・・見惚れていると、ユリの身体がまた動く。ユリが反対側へ倒れてしまいそうになるのを慌てて抑え、此方側へ身体を引いた。軽いその身体は、直ぐに私の胸の中へ収まる。
(どうしたものか・・・・・)
先程よりも近く、体勢も辛くなってしまった。このままでは、私の心の臓が持たぬ。しかし、何時もくるくると良く動く表情のユリの寝姿は、愛らしいものだった。
暫くそのままで、ユリの温もりと鼓動を感じる。密着し、ユリの『身体』が私に触れているが、それは考えてはいけない。・・・やわらかいな。いや、違う。何を考えている!・・・うむ、気持ち良さそうに眠るユリを守らねば。決して起こしてはいけない。私が耐えれば良い。いや、耐えねば。平静を保つのだ。・・・大丈夫だ。そうだ・・・数でも数えていよう。
ふと、動いたユリの顔が此方に向いた時、ユリの唇が焚火の灯りに照らされた。
(・・・ユリ)
つい先程まで、必死で平静を保とうとしていた事など忘れ、私はユリの唇に、己の顔を近付ける・・・。
しかし、その時薪の爆ぜる音でユリが目を覚ました。私は慌てて身体を反らす。なんだ、今のは。私は何をしようとしていた?
ユリに気付かれてしまったか?ユリの手に力が入る。私を抱き寄せようというのか?この娘は・・・。
背中に冷や汗をかく。だが動く事もできず、じっと様子を伺う。・・・ユリはどうやらどうしてこうなったか考えている様だ。
「目が覚めたのか?このままで、暫し睡眠を取れ、疲れが取れぬぞ?」
とにかくなるべく平静を装い、両の手でユリを抱き寄せ、ユリに漸くそう告げる。ああ、心の臓が、壊れそうだ。
「どうかしたか?」
戸惑っているのか、怖れているのか。だが、私のしようとしていた行為には気付いておらぬようだ。
安堵し、ユリの腰に回した手に力を込める。そうだ、私は、やましい事などしていない。ユリの安眠を、守っているだけだ。
「・・・何かあっても、ユリのことは守るから安心して寝るがいい。」
ユリは少し震えているようだ。夜の森が不安だったか?髪に触れ、撫でた。しかし、ユリは何も言わない。このままで、良いのか?私に触れられても嫌では無いのか?・・・嫌がっている様子は無さそうだな。
「・・・ユリ?眠ったのか?」
また凭れ掛かる様にして、ユリの頭が私の胸の中に収まった。ユリが私に回した手には、熱がこもる。
これは・・・今夜は眠れそうに無いな。
己の煩悩をかき消す様に、息を吐き、苦しくなった呼吸を整える。ユリが眠りやすい様に己の身体を大木に預けると、ユリの身体が冷えぬ様に、起こさぬ様に、布を掛けた。
・・・・・耐えねば。大丈夫だ、きっと耐えることが、出来る筈だ。
隠忍 いんにん じっとこらえて、表にあらわさず我慢すること。




