第62話 世界が見た悪夢
黒海裂界は消えた。
それでも、世界は同じ朝を迎えた。
誰も知らない。
あの深海で起きた出来事が、静かに世界を書き換え始めていることを。
翌朝。
世界各国のニュースは、ある一つの話題で持ち切りになっていた。
『世界各地で発生する謎の黒色水域。』
海だけではない。
湖。
河川。
砂漠のオアシス。
さらには氷床の上にまで、漆黒の水面が突如として現れていた。
原因は不明。
共通点も見つからない。
専門家たちは地殻変動や未知の微生物を疑ったが、どれも決定的な証拠にはならなかった。
調査船《蒼鯨》のブリッジでは、衛星映像が大型モニターへ映し出されていた。
「増えてる……。」
澪が息を呑む。
昨日確認された黒色水域は二十七か所。
しかし、今朝の時点では五十八か所へ増加していた。
「倍以上だ。」
責任者が険しい表情で腕を組む。
「しかも、一つとして同じ場所には留まっていない。」
映像を拡大する。
黒い水面は生き物のようにゆっくりと移動していた。
まるで何かを探しているように。
悠真は黙ったままモニターを見つめる。
その瞬間。
胸の奥で、小さな鼓動が響いた。
――ドクン。
視界の隅へ、蒼い文字が浮かぶ。
【NOAH LINK 1.2%】
数字が増えている。
誰にも見えない表示。
だが悠真には、それが現実だと分かった。
「どうした?」
責任者が尋ねる。
悠真は首を横へ振る。
「……何でもありません。」
まだ話すべきではない。
そんな気がした。
その時だった。
通信士が慌てた様子で駆け込んでくる。
「各国から緊急映像です!」
モニターが切り替わる。
そこに映っていたのは、避難する人々ではなかった。
眠っている人々だった。
病院。
学校。
空港。
国籍も年齢も違う人々が、一斉に同じ夢を見たと証言している。
『黒い海を見た。』
『誰かに呼ばれていた。』
『帰してくれ、と聞こえた。』
誰一人として示し合わせたわけではない。
それでも証言は驚くほど一致していた。
澪は背筋に冷たいものを感じる。
「……呼び声。」
悠真も思い出していた。
黒海裂界で聞いた、あの声。
だが今回は違う。
世界中の人々が聞いている。
責任者が低い声で呟く。
「もしこれが感染でも幻覚でもないなら……。」
誰も続きを口にしなかった。
その時。
悠真の胸の鼓動が強くなる。
――ドクン。
【NOAH LINK 1.5%】
【新規反応を検知】
【適合者、複数】
「適合者……?」
思わず声が漏れる。
「悠真?」
澪が不思議そうに振り向く。
しかし、その問いに答える前に。
船全体へ警報が鳴り響いた。
『緊急浮上中止!』
『艦底直下に異常反応!』
船が大きく揺れる。
全員が手すりへ掴まった。
モニターへ映し出された海底。
そこには、昨日まで存在しなかった巨大な円環が浮かび上がっていた。
黒い水面ではない。
蒼く輝く、巨大な紋章。
その中心から、一つの光がゆっくりと海面へ向かって昇り始める。
悠真は無意識に呟いた。
「……始まった。」
その光は、世界で最初の"目覚め"だった。
第62話をお読みいただき、ありがとうございました。
第4章「世界胎動」が本格的に動き始めました。
黒海裂界の異変は終わらず、世界中へ広がり、人々の夢にまで影響を及ぼし始めます。
そして、NOAHが示した「適合者」とは何者なのか。
物語は新たな局面へ進みます。
次回もよろしくお願いいたします。




