第61話 静かなる胎動
第4章 世界胎動、開幕。
黒海裂界は閉じた。
だが、終わったのは一つの物語だけだった。
世界は今、誰にも気付かれないまま静かに動き始める。
白い光が、ゆっくりと消えていく。
悠真は重い瞼を開いた。
最初に目へ飛び込んできたのは、揺れる水面だった。
「……ここは。」
身体を起こそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走る。
「無理しないで!」
聞き慣れた声。
振り向くと、澪が安堵した表情でこちらを見ていた。
「三日も眠ってたんだから。」
「三日……?」
悠真はゆっくりと周囲を見渡す。
そこは深海ではなかった。
調査船《蒼鯨》の医療区画。
窓の向こうには、穏やかな青い海が広がっている。
あの黒い海は、どこにもなかった。
「黒海裂界は……。」
澪は静かに首を振る。
「消えた。」
「私たちが浮上した直後、海底が大規模に崩落したの。」
「今は何も観測されていない。」
悠真は胸へ手を当てる。
第一守護者から託された蒼い結晶。
そこにあるはずだった。
しかし、姿はない。
代わりに胸の奥から、小さな鼓動のような温もりだけが伝わってきた。
――ドクン。
あの時と同じ鼓動。
NOAHは消えていない。
悠真はそう確信した。
医療区画の扉が開く。
入ってきたのは、調査隊の責任者だった。
疲れ切った表情をしている。
「目が覚めたか。」
悠真は頷く。
責任者は一枚の写真を机へ置いた。
「これを見てくれ。」
写真には巨大な陥没跡が写っていた。
黒海裂界があった場所。
海底は完全に崩れ落ち、巨大な穴だけが残されている。
「終わったんですね。」
澪が呟く。
責任者は答えなかった。
代わりに、もう一枚の写真を差し出す。
そこには雪山が写っていた。
白銀の山脈。
しかし、その中央に。
黒い水面が広がっていた。
「これは……。」
「昨日撮影された。」
「場所は南極。」
悠真と澪は顔を見合わせる。
責任者はさらに数枚の写真を並べる。
アフリカの砂漠。
アマゾンの密林。
ヨーロッパの湖。
日本近海。
どの写真にも共通していた。
黒い水面。
円形に広がる漆黒の海。
「世界中で同じ現象が始まっている。」
責任者の声は震えていた。
「専門家は原因不明と言っている。」
「だが私は知っている。」
「君たちが見てきたものと、無関係ではない。」
悠真は静かに窓の外を見る。
青い海。
穏やかな空。
何も変わっていないように見える。
それでも。
世界は確かに変わり始めていた。
その時。
胸の奥から、再び鼓動が響く。
――ドクン。
悠真の視界に、一瞬だけ蒼い文字が浮かんだ。
【NOAH LINK 0.8%】
誰にも見えない表示。
しかし、それは確かに存在していた。
悠真は小さく息を吸う。
「……始まる。」
その言葉を聞いた澪は、不思議そうに首を傾げる。
「何が?」
悠真は静かに答えた。
「世界が目を覚ます。」
第61話をお読みいただき、ありがとうございました。
ここから第4章「世界胎動」が始まります。
黒海裂界での出来事は終わりました。
しかし、その影響は世界中へ広がり、新たな物語の幕が上がります。
悠真が継承したNOAH。
世界各地で発生する黒い海。
そして、境界の向こう側にいる存在。
ここからは、これまで散りばめてきた伏線を少しずつ回収しながら、物語はシリーズ最大のスケールへと進んでいきます。
引き続き『HYDRA CHRYSALIS ―REBIRTH―』をよろしくお願いいたします。




