表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第2章 鈴の導き

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/125

第050話 夜の森

挿絵(By みてみん)


山吹宿(やまぶきじゅく)を脱出し、三人は暗くなるまで歩き続けた。

 あさひとこよい、そして巾着(きんちゃく)の中の風の神。


 観測者(かんそくしゃ)の追っ手を警戒して街道を外れ、森の奥深くへと足を踏み入れた。

 木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、月の光さえほとんど届かない暗闇。けれど、あの町の閉塞感(へいそくかん)に比べれば、この暗闇はむしろ優しかった。風が枝を鳴らし、葉が擦れる音が生きている証のように聞こえる。

 足元の落ち葉が湿っていて、踏むたびにしっとりと音を立てる。土の匂いが濃く、冷たい水気が足首にまとわりついた。こよいは巾着(きんちゃく)を胸に引き寄せ、風の神の気配が消えていないことを確かめる。

 暗い森の中では、風の神の小さな気配が(ともしび)のようだった。こよいはその(ともしび)に導かれるように歩き、枝に引っかかった(すそ)を直した。


 「よし、今夜はここで野営(やえい)だ」


 あさひが小さな(さわ)の近くに場所を決めた。

 地面は湿っているが、水の音が心を落ち着かせる。こよいは慣れた手つきで焚き火の準備を始めた。あさひが手際よく火を起こすと、パチパチという音と共にオレンジ色の火が踊りだした。煙の匂いが鼻をくすぐり、体の芯がほどけていく。

 火がつくと、森の闇が少しだけ遠のいた。火の明かりが木の幹を赤く染め、影が揺れる。こよいは手のひらを火にかざし、冷えた指先を温めた。風の神が巾着(きんちゃく)の中で小さく回り、火の熱を面白がっているようだった。

 あさひは周囲を一度見回し、倒木を集めて簡単な風避けを作った。枝を組み、布を掛けるだけの粗末なものだが、風が弱まり火が安定(あんてい)する。旅の知恵が、こよいには頼もしく見えた。


 「……あさひ」


 「なんだ」


 「さっきの壁……あんなのが、これから何回もあるのかな」


 こよいは膝を抱えて炎を見つめた。

 観測者(かんそくしゃ)の力は想像以上だった。町一つを、あんなに簡単に、音もなく閉じ込めてしまうなんて。


 「……ああ。奴らはどこにでも網を張っている」


 あさひは剣を横に置き、干し肉(ほしにく)(かじ)りながら言った。


 「世界中の『()らぎ』を消して、すべてを奴らの帳面の中に閉じ込めるのが目的だからな」


 風が、巾着(きんちゃく)の中で小さく回った。

 『……いやだ』


 小さな声が聞こえ、こよいは巾着(きんちゃく)をそっと撫でた。


 「……でも、あさひはどうして、あんなに戦えるの?」


 あさひの手が止まった。

 しばらく沈黙が続いた。焚き火の爆ぜる音と、遠くのフクロウの声だけが響く。


 「……俺も昔、探していたものがある」


 あさひの声は、いつもより低く、静かだった。

 こよいは炎の向こうのあさひの横顔を見た。普段は鋭い目が、今夜は少しだけ疲れている。炎の揺らぎがその疲れを隠してくれているようだった。

 こよいは自分の指先を見た。小さな傷が増えている。旅は続くのに、体はまだ小さい。それでも歩かなければならない。あさひの言葉を聞きながら、その覚悟(かくご)が胸の奥で固まっていった。


 「ある刀鍛冶(かたなかじ)だ。俺に剣を教えてくれた師匠だった。……でもある日、師匠は観測者(かんそくしゃ)に連れ去られた」


 「……えっ」


 「理由は分からねえ。ただ、『例外的な技術を持っている』とかなんとか、奴らは言っていたな」


 あさひは剣の(つか)を強く握りしめた。

 炎の光が、その指の節を赤く照らす。


 「俺は助けようとした。でも、その時の俺には力がなかった。……師匠も、俺が育った村も、みんな『固定(こてい)』された。俺だけが、運良く外にいたから助かっただけだ」


 あさひの声が微かに震えた。こよいはそれを聞き、胸の奥がじくりと痛んだ。風が一瞬だけ止み、焚き火の音だけが響く。

 その静けさが、あさひの失った時間の重さを伝えてくる。こよいは何も言えず、ただ焚き火の揺らぎを見つめた。


 あさひの過去。

 こよいは言葉を失った。

 彼もまた、ぼくと同じように大切なものを奪われてきたのだ。風の中に、鉄の匂いが一瞬だけ混じった。


 「だから、俺は奴らを追っている。師匠を取り戻すために。……それから、あんな思いを誰にもさせないために」


 あさひはこよいを真っ直ぐに見た。

 その目には、強い意志の火が灯っていた。


 「お前を守ってるのも、そのためだ。……集め手(あつめて)は、奴らにとって最大の天敵(てんてき)だからな」


 「……ぼくが?」


 「ああ。お前が神を運び続ける限り、世界は固定(こてい)されない。……お前は、希望そのものなんだよ、こよい」


 希望という言葉が、炎の中で揺れた。こよいはそれを掴みたくて、手を伸ばしそうになる。けれど、まだ小さな手には重い。それでも、握るしかないと思った。

 希望は重いけれど、背中を押す力もある。こよいはその力を信じたかった。

 しおりの声が遠くで響く。「届けて」。その言葉が何度も胸の中で反芻(はんすう)される。こよいは頷き、炎に向かって小さく「約束だよ」と呟いた。


 希望。

 そんな重い言葉、九歳のぼくにはまだ受け止めきれないけれど。でも、あさひがそう言ってくれるなら、頑張れる気がした。


 『……ぼくもいるよ』


 巾着(きんちゃく)の中から、風の神が(ささや)いた。

 温かい、優しい風が手のひらを撫でる。

 こよいはその風に背中を押され、ぽつりと自分のことを話した。


 「ぼくもね、しおりさんがいなかったら、ここまで来られなかった」


 あさひは黙って頷いた。こよいは火を見つめ、炎の中にしおりの笑顔が浮かぶ気がした。胸が痛い。でも、その痛みが歩く力になる。


 「母さんとの約束もある。だから、止まれないんだ」


 口に出すと、言葉が少しだけ軽くなった。あさひは短く「そうか」と返し、(まき)を足した。


 「……うん。行こう。あさひ、風」


 こよいは微笑んだ。

 一人じゃない。同じ痛みを知り、同じ未来を見据える仲間がいる。

 風の神の冷たい手触りが、こよいの心を支えていた。あさひの言葉と、風の存在が、火よりも温かく感じられる。

 こよいは小さく頷き、焚き火に木を足した。火が大きくなり、影が高く伸びる。森の暗闇の中で、その影は三人の輪郭(りんかく)のように見えた。

 あさひは剣を布で拭き、刃を確かめた。風の神は巾着(きんちゃく)の中で小さく回り、火の周りに薄い風の円を作る。こよいはその円の中で、少しだけ安心した。

 円の中は暖かく、外の冷えた空気から守られている気がした。こよいはその境界(きょうかい)を指でなぞり、風の神が作ってくれた小さな守りを感じた。


 夜の森は静かに()けていった。

 焚き火の温もりが、三人の(きずな)をより深く、強く、結びつけていた。

 遠くでフクロウが鳴き、(さわ)の水が石を叩く。火の残り火が小さくなっても、こよいの胸の(ともしび)は消えなかった。明日も歩ける。そう思いながら、こよいは目を閉じた。

 巾着(きんちゃく)の中の風がゆっくり回り、子守唄のような音を立てる。こよいはその音に耳を澄ませ、静かな眠りに落ちていった。

 夢の中で、しおりの声が一瞬だけ聞こえた気がした。こよいはその声に頷き、また歩けると心の底で確かめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ