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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第15章 潮の外縁

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第467話 過去の線

挿絵(By みてみん)


根の連絡線は、外海へは抜けなかった。島の稜線を大きく回り込み、線路はふたたび見覚えのある内陸へと三人を運んでいた。


 星降町(ほしふりまち)は、白と金の二色に分かれていた。前に発ったときは、根の共鳴が中心から広がりはじめたところだった。その白と金の境が、いま町の真ん中で拮抗(きっこう)している。


 列車(れっしゃ)の窓から見える町の全景。右半分は白い。漂白(ひょうはく)された白。建物の壁も屋根も石畳(いしだたみ)も、色を失って白く塗り潰(つぶ)されている。白い建物の窓はすべて閉じ、軒先(のきさき)に垂れた蔦(つた)さえも白く変色して、生気のない骸(むくろ)になっていた。


 左半分は、金色だった。石畳(いしだたみ)の継ぎ目から溢(あふ)れた根の光が、建物の壁を登り、屋根を覆(おお)い、町を金色に染めている。白ではなく、元の色でもない。根の色。名前の色。金色の壁からは、微かに温もりが立ち上っている。湯気(ゆげ)のように揺れるその熱が、窓硝子(まどがらす)に触れて薄い曇(くも)りを作った。


 境界線(きょうかいせん)が見える。


 町の中央を、一本の線が南北に走っている。線の右は白。線の左は金。線そのものは色を持たない。白と金の間に挟まれた、幅のない裂け目のような線だった。


 「戦線だ」


 久遠(くおん)が低く言った。


 「漂白(ひょうはく)と根の、領域争い〈りょういきあらそい〉。白が金を消そうとし、金が白を押し返そうとしている。今のところ拮抗(きっこう)している」


 こよいは境界線(きょうかいせん)をじっと見た。線は動いている。


 微かに金色の側が、少しずつ右に押し進んでいる。石畳(いしだたみ)の一枚分ずつ、金色が白い領域を侵食(しんしょく)していた。押されるたびに、白い壁の表面がわずかに剥(は)がれ、その下から元の石の色が覗(のぞ)いた。


 「勝ってる?」


 「押している、という表現が正確だ。長(おさ)の出力が落ちたことで、漂白(ひょうはく)の速度が遅くなった。根の成長速度がそれを上回っている。このまま行けば——」


 久遠(くおん)は計算しているように目を細めた。義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が境界線(きょうかいせん)の上を往復する。


 「数日で、星降町(ほしふりまち)は全域(ぜんいき)が金になる」


 列車(れっしゃ)が星降町(ほしふりまち)を通過していく。白と金の境界線(きょうかいせん)が窓の外を流れる。


 こよいは窓枠(まどわく)に肘(ひじ)を置き、頬杖(ほおづえ)をついた。硝子(ガラス)越しでも、白い側と金色の側では肌に届く温度が違う。白い側を通過するとき、窓硝子(まどがらす)の表面が急速に冷え、薄い霜(しも)のような曇(くも)りが広がった。金色の側に入ると、硝子(ガラス)はすぐに温もりを取り戻した。


 白い側の建物は、輪郭(りんかく)が曖昧(あいまい)になっている。壁と空の境目が滲(にじ)んで、溶け始めている。漂白(ひょうはく)は色を消すだけでなく、形も消す。窓枠(まどわく)の角が丸くなり、屋根の稜線(りょうせん)がぼやけ、建物が白い霧(きり)に溶けていこうとしている。


 金色の側は違った。建物の形がはっきりしている。壁の色は元の色ではないが、輪郭(りんかく)は鮮明だ。根が建物の構造(こうぞう)を支えている。色は変わったが、形は守られている。屋根瓦(やねがわら)の一枚一枚が光を帯び、壁の漆喰(しっくい)に金色の筋が走り、建物全体が生きている骨格のように立っていた。


 境界線(きょうかいせん)の真上を一羽の鳥が横切った。白い側から金色の側に飛び込んだ瞬間、鳥の羽根が金色に染まり、羽ばたきの音(おと)が一段高くなった。


 あさひが窓から手を出した。風を受ける。


 「金のほうが風が温かい」


 「根の熱だ。地下から建物を通って、空気まで温めている。白い側は温度がない。漂白(ひょうはく)された空間には、温度という概念(がいねん)自体が希薄(きはく)になる」


 星降町(ほしふりまち)が遠ざかっていく。


 最後に見えたのは、鐘楼(しょうろう)だった。金色の蔓(つる)に覆(おお)われた鐘楼(しょうろう)が、金色の側にそびえている。鐘(かね)の音(おと)がかすかに聞こえた。名前のリズムで鳴る鐘(かね)の音(おと)が、列車(れっしゃ)の車輪の響きに重なり、一瞬だけ同じ拍子を刻んだ。


 こよいは振り返るのをやめた。


 前を向いた。あの町は、もう大丈夫だ。


 紙の匂いが鼻に届いた。写本(しゃほん)の匂い。三十四の脈が、写本(しゃほん)と巾着(きんちゃく)の間で静かに重なっている。根が町を守っている。名前が根を支えている。その循環(じゅんかん)が、もう途切れない場所まで来ている。


 「……過去の線って、消えるのかな」


 こよいが窓の外を見たまま訊いた。白と金の境界線(きょうかいせん)のことだ。


 「消えない」


 久遠(くおん)が答えた。


 「金が全域(ぜんいき)を覆(おお)っても、白かった場所の記憶(きおく)は残る。根はそこに何があったかを覚えている。過去の線は地下に沈むだけだ。見えなくなっても、ある」


 こよいは頷(うなず)いた。


 列車(れっしゃ)が星降町(ほしふりまち)を離れ、線路は海沿いの崖(がけ)を走り始めた。窓の外に、青い海(うみ)と金色の地面が交互に見える。根の光が、崖(がけ)の断面(だんめん)にまで浸透(しんとう)していた。


 過去の線は消えない。白かった時間も、金に変わった時間も、すべて地下に重なっていく。


 こよいは帳面(ちょうめん)を開き、星降町(ほしふりまち)の境界線(きょうかいせん)の位置だけを書き留めた。金がどこまで進んだか。白がどこまで退いたか。数日後にまた通るとき、線がどれだけ動いたか確かめるために。墨(すみ)が紙に染みていく速度が、帳面(ちょうめん)の中でもう一つの境界線(きょうかいせん)を作った。


 おたまは白い側を通るあいだ、こよいの膝で身体を固くしていた。金色の側へ移るとようやく前足を伸ばし、帳面に引かれた境界線の上へ肉球を置く。墨は乾く前に少しだけ滲んだ。過去の線は正確な一本ではなく、そこを越えた者の温度まで含んで残るのだと、こよいには思えた。


 その温度も、記録だった。

 石の冷たさ、根の温もり、名前が残した最後の熱。測れない温度こそ、観測者(かんそくしゃ)の手の届かない、いちばん確かな記録だった。こよいは、その温度を胸に刻んだ。

 観測者(かんそくしゃ)は、測れるものしか消せない。測れない温もりの中にこそ、名前の本当の在り処(か)があった。

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