第465話 島の終わり
列車の中で、床が震えていた。
車輪の振動ではない。線路の下から、別の振動が上がってきている。規則的な波。
鼓動に似ているが、鼓動よりも複雑。重なり合った波形。一つの脈動の中に、いくつもの異なるリズムが折り重なって聞こえる。
こよいは座席から腰を浮かせた。足の裏に振動が伝わる。靴底を通してなお、波形の細かさが感じ取れた。
「根だ」
久遠が義眼を床に向けた。
蒼光が床板を透過する。金色の脈が、線路の真下で光の網のように広がっているのが見えた。
「線路の直下を、根脈が走っている。三十四柱分の共鳴が地下を伝播している。列車が根の上を走っているから、振動が直接伝わってくる」
振動が変わった。波形が揃い始めた。三十四の脈動が、少しずつ同期していく。個々の鼓動がひとつの旋律に収束していった。ばらばらだった音が、一つずつ合わさり、重なり、やがて一本の旋律になっていく。
歌だった。
根が歌っている。
三十四の名前が、根脈を通じて、同じ旋律を歌っている。言葉はない。
けれど音程がある。
高い音と低い音が交互に来る。呼吸のような旋律。吸って、吐いて、吸って、吐いて。大地そのものが息をしているような、深く穏やかな律動だった。
車輪が共鳴した。鋼の車輪が根の振動を拾い、線路の上で独自の倍音を生んでいる。車輪の倍音が旋律に厚みを加え、列車の金属の骨格が低い唸りを返した。
列車全体が、根の歌に合わせて振動している。
「祝ってるのか」
あさひが天井を見上げた。天井の梁が微かに軋み、その音さえも旋律の一部に聞こえた。
列車の骨格が微かに軋み、その軋みが歌のリズムに乗っている。
「四柱が戻ったことを、根脈全体が歓迎している。高共鳴体の合流で共鳴の質が変わった。これまでは通信だった。座標の伝達、漂白への防御。機能的な振動。今は違う。これは——」
久遠が言葉を探した。義眼の蒼光が薄くなり、ほとんど消えかけている。分析を止めて、ただ聴いている。
「意味のない振動だ。実用目的がない。ただ嬉しいから歌っている。名前たちが、初めて自分の意志で音を出している」
こよいは巾着を胸に当てた。巾着の中の名前たちも歌っている。布越しに旋律が伝わる。こよいの胸骨が共鳴して、体の内側から温かい振動が広がった。
写本の四柱も歌っていた。紙の上で文字が脈打ち、光が旋律のリズムで明滅している。四柱の光は他の名前より強い。高共鳴体の声が、全体の歌を支えている。
列車が揺れた。歌のリズムで揺れている。
車輪が線路を叩く音が、旋律の一部になっている。
こよいは目を閉じた。振動が全身を通り抜けていく。根の歌。名前たちの歌。座席の布地が体を包み、振動が骨と肉を通り、血管の中を走った。
三十四の声が重なって、一つの旋律になって、地下を走り、線路を登り、列車を包み、こよいの身体を通り抜けて、空に消えていく。
涙が出た。悲しくはない。
温かかった。
列車の窓の外を、金色の光が流れていく。線路沿いの地面から、根の光が溢れている。歌に合わせて、光が脈動している。地面を走る金色の線が、旋律の波と同じ速度で明滅し、列車と並走するように流れていった。
島が終わろうとしていた。この列車が島の端に向かっている。けれど名前たちの歌は、島の境界など気にしていない。根は地下を走り、海の底を渡り、次の島へと繋がっていく。
こよいは目を開けた。涙の膜越しに、窓の外の金色がにじんで見えた。
「……島が終わっても、歌は続くんだね」
久遠が小さく頷いた。
「根は島で途切れない。海底を伝って、すべての島を繋いでいる。名前の根脈に、終わりはない」
列車の振動が、少しずつ穏やかになっていった。歌が終わるのではない。列車が密集地帯を通り過ぎたのだ。けれど巾着の中の名前たちは、まだ小さく歌い続けていた。遠くなった根の旋律に、布越しの声で応えている。
こよいは巾着を両手で包んだ。温かい振動が、掌から腕へ、腕から胸へと伝わっていく。
島の終わりは、歌の終わりではなかった。
おたまは座席の下で丸くなり、三十四の声が高くなるたび耳だけを動かした。やがて小鈴が旋律の隙間へ一音を置く。神々はそのずれた拍を追わず、包むように歌を広げた。島の線路が海底の根へ移る瞬間も、その和音だけは途切れなかった。
窓の外で陸の影が途切れた。列車は確かに、島の端を越えていた。
島の端を、列車は越えた。陸の影が途切れ、窓の外には、名前の眠る海だけが広がっている。こよいは巾着を握り、まだ見ぬ島に沈む名前たちへ、そっと呼びかけた。もうすぐ、行くから。
まだ見ぬ島に沈む名前たちへ、こよいはそっと呼びかけた。もうすぐ、行くから。待っていて。窓の外の海が、その声を運ぶように、ゆっくりと後ろへ流れていった。




