第422話 霧列車の砂
潮風の停車場から再び列車に乗り込むと、足元に砂があった。
砂の駅で一粒を拾って以来、こよいは靴底のざらつきを無視しなくなった。今度も感触が変わった瞬間に足を止めた。金属の床板を踏んでいたはずなのに、粒が靴と床のあいだに挟まっている。
見下ろすと、座席の脚のまわりに砂が溜まっていた。
薄く、数粒の厚さしかないが、確かに砂だった。乾いた、白に近い黄色の砂。
「南から来た砂だ」
久遠が床に膝をつき、指先で砂を摘まんだ。
義眼の蒼光が砂粒を照らす。
「砂峰の砂と同じ鉱物組成だ。南部の砂漠地帯を通過したときに、床板の隙間から入り込んだんだろう」
「掃除しとくか」
あさひが言って、布包みの剣の先で砂を壁際に寄せ始めた。
大雑把な動きで、座席の下の砂を通路の端に集めていく。
こよいも手伝おうとして、座席の下に手を伸ばした。
砂に指が触れた瞬間、止まった。
「……久遠くん」
「どうした」
「この砂、文字が混ざってる」
こよいは砂の中から、一粒だけ摘み上げた。
砂粒ではなかった。砂粒と同じ大きさの、文字の欠片だった。
ひらがなの一画。
横線の一本分だけが、砂と同じ色をして混ざっている。
久遠が蒼光を当てた。
光が文字の欠片に触れると、かすかに反応した。文字が持っていた情報の残滓が、蒼光に応えて微弱に発光する。
「名前の断片だ。砂とともに崩れた名前の破片が、粒になって混ざっている」
あさひが手を止めた。
「砂を掃くと、名前も捨てることになるのか」
「なる。この砂は砂峰の集落から来たものだ。あそこで漂白された名前が、砂とともに崩れて——列車の床に流れ着いた」
こよいは手のひらを広げた。
砂を掬い、蒼光の下に差し出す。久遠が義眼で一粒ずつ確認する。
「この粒は砂だ。これも砂。これは——文字だ。『か』の左側の画だけが残っている」
「名前の一部?」
「一部というより、残骸だ。名前が漂白されるとき、一度に消えるわけじゃない。まず意味が消え、次に音が消え、最後に形が消える。この欠片は、形の最後の段階だ。もう音も意味もない。線だけが残った」
こよいは砂の中に手を入れて、指先で探った。
砂粒の中から、文字の欠片を一つずつ拾い上げていく。
『き』の縦棒。
『の』の曲線の一部。
『た』の横画。
どれも名前の断片だった。一文字分すら揃わない。けれど確かに、かつて誰かの名前だったものの痕跡だった。
「集めて、どうする」
あさひが訊いた。
こよいの手のひらに、文字の欠片が六つ並んでいる。
「分からない。でも、捨てられない」
こよいは巾着を開いた。
中の名前たちの脈動が、欠片に向かって微かに応えた。同胞の残骸に対する反応だった。悲しみとも共鳴とも違う。ただ、知っているという反応。
久遠が目録を開き、頁の隅に記録を書き始めた。
「砂峰の集落には、十二の名前があったと目録に記録がある。漂白で全て消えたはずだった。だが——名前の破片が砂に混ざって南から北へ運ばれている」
「列車が運んだのか」
「そうだ。列車の床板には隙間がある。南部を通過する際に砂が入り込む。その砂に名前の欠片が含まれていた。つまり——」
久遠は鉛筆を止めた。
「砂峰の名前たちは、列車を使って自分たちの破片を北へ送っている。漂白が南から北へ進んでいるなら、北へ送れば漂白の前線から逃げられる。列車の床の隙間が、名前の避難経路になっている」
「わざとか」
あさひの声が低くなった。
「意図的かどうかは分からない。だが、砂の中の文字の欠片は砂峰付近に集中している。偶然にしては、分布が偏りすぎている」
こよいは手のひらの欠片を見つめた。
六つの線。それぞれが別の名前の一部だった可能性がある。あるいは、一つの名前が六つに砕けた残骸かもしれない。
「この子たちを、巾着に入れてもいい?」
「入れてどうなる」
「分からない。でも、巾着の中の名前たちが反応してる。何かできるかもしれない」
久遠は少し考え、頷いた。
「試す価値はある。名前の脈動が欠片に影響を与えるなら、形が安定する可能性がある。ただし——元の名前に戻る保証はない」
こよいは欠片を一つずつ、巾着の中に落とした。
布の中で、名前たちの脈動が一瞬乱れた。異物を感じたのか、それとも仲間を受け入れたのか。
数秒の沈黙のあと、脈動は元のリズムに戻った。
欠片が馴染んだのだろう。巾着が少しだけ重くなった気がした。
あさひが残りの砂を見た。
通路の壁際に寄せた砂の山に、まだ文字の欠片が混ざっているかもしれない。
「全部調べるのか」
「調べる」
こよいは膝をついた。
砂の中に両手を入れ、指先で一粒ずつ確かめていく。久遠が蒼光を当て、砂と文字を選り分ける。
列車は走り続けている。
南から来た砂は、床板の隙間から少しずつ、まだ入り続けていた。
砂峰の名前たちが、列車の腹を通って北へ逃げている。
おたまが床板の隙間を順に嗅ぎ、十二箇所で小鈴を鳴らした。欠片の画はばらばらでも、分布は砂峰の目録にあった十二名の配置と重なる。先の駅の一粒では証明できなかったものが、ここで集団の避難経路として形になった。
六つの欠片は完全な柱ではなく、巾着の二十七の脈の間で保護される断片として記録した。数を増やすためではない。いつか同じ名の別の画と出会ったとき、元へ繋ぐためだった。
こよいの指先が、その逃走の痕跡を一粒ずつ拾い上げていた。




