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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第13章 南の方位

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385/500

第385話 道標の向き

挿絵(By みてみん)


最初に気づいたのは、あさひだった。


 風里(かざさと)を出て半日。砂の道に等間隔で立つ道標(みちしるべ)を辿(たど)りながら歩いていた。砂は足首まで沈み、一歩ごとに靴の中に粒が入り込む。太陽は高く、影(かげ)が短い。風はあるが、風里(かざさと)のように複雑に交差する風ではなく、南から北へまっすぐに吹き抜ける一本の気流だった。汗が出る前に蒸発(じょうはつ)する。喉(のど)の渇きだけが、歩いた距離を教えてくれた。


 三つ目の道標(みちしるべ)を通り過ぎたとき、あさひが足を止めた。


 「おかしい」


 大剣の柄(つか)を握ったまま、背後を振り返っている。砂埃(すなぼこり)が風に流され、あさひの髪の先を掠(かす)めていった。


 「さっきの道標(みちしるべ)、矢印が左を向いてた。今のは右だ」


 こよいも振り返った。三つ目の道標(みちしるべ)はまだ見える。砂に半分埋もれた木の柱の先端に、矢印の板が打ちつけてある。確かに、右を指していた。板の木目が乾いて白くなり、釘(くぎ)の周囲だけが錆(さび)の色に染まっている。


 「方角が違う?」


 「道標(みちしるべ)は動いてない」


 久遠(くおん)が義眼(ぎがん)を二つ目の道標(みちしるべ)に向けた。蒼光(そうこう)が砂の上を這(は)い、柱の根元を照らし出す。光が砂粒に反射して、柱の周囲に蒼い輪が描かれた。


 「柱は固定(こてい)されている。木の繊維(せんい)に捻(ねじ)れの跡もない。矢印の向きは変わっていない」


 「じゃあ何がずれてるんだ」


 久遠(くおん)が目録(もくろく)を開いた。頁(ページ)の端に座標(ざひょう)の数値を書き込み、二つ目と三つ目の差を見比べる。指先が頁(ページ)の上を滑り、数字の列を辿(たど)っていく。


 義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が一瞬、明滅(めいめつ)した。計測結果に矛盾が生じたときの反応だった。


 「地面だ」


 久遠(くおん)の声が硬くなった。目録(もくろく)を膝(ひざ)の上に広げ直し、両手で頁(ページ)の端を押さえた。


 「道標(みちしるべ)の下の地面が回転している。柱は動いていない。方位(ほうい)そのものが、この区間で少しずつずれている」


 こよいは足元を見た。砂は静かに広がっている。動いているようには見えない。だが道標(みちしるべ)の根元をよく見ると、柱と地面の間に細い亀裂(きれつ)が走っていた。砂粒が亀裂(きれつ)の縁(ふち)に沿って微かに弧(こ)を描いている。弧の曲がり方は時計回りだった。砂粒が自分で動いているのではなく、砂粒の下の地面が、ゆっくりと回っているのだ。


 巾着(きんちゃく)が微かに揺れた。中の神々が方位(ほうい)の異変を感じ取り、脈動がわずかに乱れている。


 「南が動いてる?」


 「ああ。道標(みちしるべ)が同じ方角を指し続けているのに、南という方角そのものがずれている。道標(みちしるべ)を信じて歩くと、いつの間にか違う場所に着く」


 あさひが舌打ちした。布包みの大剣が背中で揺れ、革紐(かわひも)の結び目が乾いた音を立てた。


 「だから風里(かざさと)の座標(ざひょう)も不安定だったのか」


 「風里(かざさと)だけじゃない。砂峰(すなみね)以降、少しずつ方位(ほうい)がずれていた。道標(みちしるべ)で初めてそれが目に見える形になった」


 久遠(くおん)は目録(もくろく)に座標(ざひょう)の数値を並べ、差分を計算した。義眼(ぎがん)が数字を読み取る速度が上がり、蒼光(そうこう)が頁(ページ)の上を忙しなく走っている。


 「一つの道標(みちしるべ)ごとに、約三度。歩くたびに南がずれる」


 「どっちに?」


 「一定じゃない。回転方向が不規則だ。だから予測ができない」


 こよいは四つ目の道標(みちしるべ)を見た。まだ遠いが、矢印の向きが三つ目とまた違っている。砂の上に細長い影(かげ)を落とした柱が、陽炎(かげろう)の中で微かに揺らいで見えた。


 「道標(みちしるべ)が嘘をついてるんじゃなくて、地面の方が嘘をついてるんだ」


 「嘘じゃない。南の方位(ほうい)では、方角が固定されていないんだ。風が方位(ほうい)を運んでしまうと、最初の道標(みちしるべ)のところで言ったはずだ」


 久遠(くおん)が目録(もくろく)を閉じた。頁(ページ)を閉じる音が、砂の上の静寂に小さく響いた。


 その間にも、おたまは道標(みちしるべ)の根元を一つずつ嗅(か)いでいた。四本目まで来ると、猫は矢印とは反対へ歩き出す。こよいが名を呼ぶと振り返ったが、戻ろうとはしない。


 「猫まで方角を間違えたのか?」


 あさひが眉を寄せる。久遠(くおん)はしゃがみ、おたまの前脚が残した跡を義眼(ぎがん)で追った。足跡は曲がっていない。地面の回転に合わせて、踏み終えた跡の方が後からずれていた。


 「違う。こいつは矢印を見ていない。砂の下の根を辿ってる」


 こよいが巾着(きんちゃく)を緩めると、二十五の脈が同じ方角へ温もりを寄せた。おたまの向く先と重なる。目で読める道標より、名も影も持たない猫の鼻の方が、動かない道を知っていた。


 「道標(みちしるべ)の座標(ざひょう)を毎回記録(きろく)する。地面のずれを追跡して、累積した回転量から本来の方角を逆算するしかない」


 あさひが歩き出した。砂を蹴る足音が力強い。


 「めんどくせえな。だが道標(みちしるべ)がないよりましだ」


 三人は四つ目の道標(みちしるべ)に向かって歩いた。こよいは歩きながら、さっき通った三つ目を振り返った。


 砂の上で、道標(みちしるべ)の影(かげ)だけがゆっくりと弧(こ)を描いている。柱は動いていない。影(かげ)だけが、見えない力に引かれて回っていた。太陽の位置は変わっていないのに、影(かげ)の角度だけがずれていく。地面が回っている証拠だった。


 南が動いている。


 こよいは巾着(きんちゃく)を胸に当てた。神々の脈動が、道標(みちしるべ)の矢印とも地面の回転とも違う方角を指していた。名前たちは方位(ほうい)ではなく、根の記憶(きおく)で方角を知っている。地面がどれだけ回っても、地下の根は動かない。


 おたまが砂を一度掻(か)き、小鈴を鳴らして歩き出す。目指す場所がこちらを待たずに歩き出しても、地下の根へ耳を澄ませる者まで欺くことはできなかった。

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