↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第12章 記録の裂目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
375/407

第375話 砂の気配

挿絵(By みてみん)


砂が動いた。


 風もないのに。

 浜辺(すなはま)の砂粒が、独りでに位置を変えている。最初は数粒だった。それが数十粒になり、やがて浜の一角が静かにうねり始めた。


 こよいは足を止めた。


 靴の先で、砂が左右に分かれている。踏んだのではない。砂の方がこよいの足を避けたのだ。


 「生きてるみたいだ」


 「生きてはいない」


 久遠(くおん)が砂を(すく)い上げた。

 手のひらに載せると、砂粒が指の間を()い回る。義眼(ぎがん)を近づけて観察した。


 「石だ。いや、石だったものだ」


 蒼光(そうこう)の下で、砂粒の表面に微かな線が見えた。彫刻の痕跡(こんせき)。あまりに小さく砕かれて肉眼では分からないが、義眼(ぎがん)の倍率を上げると、一粒一粒に文字の断片(だんぺん)が刻まれていた。


 「石碑(せきひ)残骸(ざんがい)だ。名前を刻んだ石が砕かれて、砂になった」


 「返らぬ(しお)の時に見た石壁(いしべき)と同じ?」


 「同じものだ」


 久遠(くおん)が頷いた。


 「あの石壁(いしべき)が壊され、削られ、海に(さら)われ、波に磨かれて砂になった。数千年かけて。だが文字の(みぞ)だけは消えなかった。石が粉になっても、(みぞ)の記憶が残っている」


 砂の動きが広がっていた。

 浜辺(すなはま)の一面が、緩やかに(うごめ)いている。砂粒が集まり、散り、また集まる。波打ち際から五歩ほど離れた場所で、砂が浅い(みぞ)を形成し始めた。


 こよいはしゃがんだ。


 (みぞ)は文字だった。

 砂粒が自ら(くぼ)みを作り、線を描いている。一画ずつ、ゆっくりと。横画の砂が左から右へ移動し、縦画の砂が上から下へ落ちる。


 「名前を書いてる」


 こよいの声が(かす)れた。


 砂が、砂自身の身体で名前を(つづ)っている。かつて石に刻まれた文字を、粉々になった石が再び形にしようとしていた。


 あさひが浜辺(すなはま)を見回した。

 砂の文字は一つだけではなかった。浜の至る所で、砂が(くぼ)みを作っている。大小さまざまな文字が、波打ち際に沿って並んでいた。


 「何十もある」


 「何百だ」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)浜辺(すなはま)全体を走査(そうさ)した。


 「この浜辺(すなはま)に含まれる砂粒の数だけ、名前の断片(だんぺん)がある。砂が十分に集まれば、一つの名前を再現できる。今、それが起きている」


 波が来た。

 小さな波が砂の文字を洗い、形を崩す。だが波が引くと、砂は再び同じ位置に戻った。文字を作り直している。


 何度崩されても、同じ名前を書く砂。


 こよいは巾着(きんちゃく)を握った。

 神々の温もりが、砂の文字に向かって放射されている。巾着を近づけると、砂の動きが速くなった。文字の輪郭(りんかく)が鮮明になる。


 「神々が手伝ってる」


 「名前が名前を呼んでいるんだ」


 久遠(くおん)が言った。


 「巾着(きんちゃく)の中の神々は、名前の集合体だ。その温もりが砂の記憶を刺激する。砂に残った(みぞ)の記憶が、神々の中の名前に反応して、元の形を取り戻そうとしている」


 こよいは写本(しゃほん)を取り出した。

 砂が描いた名前を、一つずつ紙に写していく。だがインク(いんく)を使う必要はなかった。写本(しゃほん)を砂の文字の上に置くと、砂粒が自ら紙に張りつき、文字の形を転写(てんしゃ)した。


 砂の名前が、紙の名前になる。


 「三十七柱(さんじゅうななはしら)目だ」


 久遠(くおん)が数えた。砂が(つづ)っていたのも、五十一柱のうちの一つだった。着地と回収、合わせて三十七。喪ったのが一。残るは十三——水脈を渡る七つ、封じられた井戸の戸口の一つ、砂の灯の紙の一つ。そして、観測者の本拠へ運ばれた四つ。……いや、あの四つは「残り」とは呼ばない。取り返しに行く枠だ。


 遠くで汽笛(きてき)が鳴った。

 低い音が浜辺(すなはま)反響(はんきょう)し、砂の文字が一斉に震えた。


 列車(れっしゃ)が来る。南へ向かう列車(れっしゃ)だった。


 あさひが立ち上がった。


 「時間だ」


 「まだ名前が」


 「次の場所にもある」


 あさひがこよいの肩を叩いた。


 「ここだけじゃない。砂がある場所には、全部残ってる」


 こよいは砂の文字を見下ろした。

 写し取れなかった名前が、まだ浜辺(すなはま)に並んでいる。波が来て、崩して、また砂が書き直す。何度でも。


 列車の汽笛(きてき)が再び鳴った。


 久遠(くおん)目録(もくろく)を閉じ、立ち上がった。


 「海岸地域の記録(きろく)はここまでだ。残りの名前は南にある」


 三人は浜辺(すなはま)を離れ、線路沿いの道を歩いた。駅舎は小さかった。木造の屋根が潮風で白く色褪()せている。改札(かいさつ)もない。ホームに直接立ち、列車(れっしゃ)を待った。


 線路が鳴り始めた。

 振動が足裏に伝わり、やがて音が追いつく。黒い機関車(きかんしゃ)が、白い蒸気(じょうき)を引きずりながら近づいてきた。


 列車(れっしゃ)が停まった。

 扉が開く。車内は空だった。


 こよいは最後に一度だけ振り返った。


 浜辺(すなはま)では、まだ砂が動いていた。名前を書き続けている。こよいたちが去った後も、波に崩されても、砂は自分の身体で名前を(つづ)り続けるだろう。


 石が砕かれて砂になっても。

 砂が波に洗われても。

 名前を刻んだ(みぞ)の記憶だけは、消えなかった。


 こよいは車内に入った。

 あさひが続き、久遠(くおん)が最後に乗り込む。扉が閉まった。


 列車(れっしゃ)が動き出した。

 窓の外を、白い浜辺(すなはま)が後ろへ流れていく。やがて浜が松林に変わり、松林が丘陵(きゅうりょう)に変わった。海の匂いが薄れ、土と草の匂いに入れ替わる。


 こよいは写本(しゃほん)(ひざ)の上に広げた。

 砂が転写(てんしゃ)した名前が、紙の上で乾いている。触れると、砂粒の感触(かんしょく)がまだ残っていた。


 巾着(きんちゃく)が緩やかに脈打つ。

 神々の温もりが、新しい名前たちを迎え入れている。


 おたまは、進行方向に顔を向けた席で、丸くならずに座っていた。南に、何かがいる。猫の耳が、まだ聞こえない音を先に聴いている——そんな座り方だった。


 車窓の外で、夕陽(ゆうひ)が沈んでいった。

 南へ向かう列車(れっしゃ)(かげ)が、線路の上に長く伸びている。


 海岸は遠くなった。

 だが砂の記憶は、写本(しゃほん)の中に在る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。