↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第11章 海図の響き

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
318/344

第318話 影の発車

挿絵(By みてみん)


列車が動き出した瞬間、こよいはホームに残された(かげ)を見た。


 三人分の(かげ)が、石の上に貼りついたまま()がれない。四つ目の、猫の形の影だけは、最初からそこに残っていなかった。置いていくものが、猫にはないのだ。列車の車体が前へ滑り出しても、(かげ)だけがそこに立ち尽くしている。


 「……久遠(くおん)くん」


 こよいは窓に(ひたい)を押しつけた。冷たい硝子(ガラス)が肌を刺す。


 「(かげ)が、置いていかれてる」


 久遠(くおん)は向かいの座席から身を起こし、窓の外を見た。義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)硝子(ガラス)に反射して、車内に青い筋を引く。


 「(かげ)じゃない。あれは座標(ざひょう)(あと)だ。この停車場(ていしゃじょう)に降りた者の記録が、石に染みついている」


 ホームが遠ざかっていく。石の表面に残った三つの(かげ)が、(きり)(にじ)んでいる。三つの(かげ)は動かない。立ったまま、列車を見送るような姿勢で、(きり)の中に沈んでいった。


 こよいは自分の足元を見た。


 座席の下に伸びる自分の(かげ)が、妙に長い。油灯(ゆとう)の位置から考えても、ここまで伸びるはずがなかった。(かげ)の先端が座席の脚を超え、通路を横切り、向かいの壁に届いている。


 「ぼくの(かげ)、変だ」


 「触るな」


 久遠(くおん)の声が鋭かった。


 「(かげ)が伸びるのは、名前の残滓(ざんし)を拾っているからだ。この列車は名前の通り道を走っている。軌道(きどう)の上に散った名前の欠片(かけら)を、(かげ)が吸い取っている」


 あさひが通路に片膝をつき、こよいの(かげ)の先端を覗き込んだ。


 「……文字がある」


 あさひの目が細くなった。剣を持つ手に力が入っている。

 (かげ)の中に、薄く光る文字が浮かんでいた。読めない。だが確かに、誰かの名前の一部だった。


 「こいつは——」


 あさひが顔を上げた。


 「桟橋(さんばし)()った、あの軍勢の(かげ)の残りだ。踏切のように行く手を(ふさ)いだ列——名前を奪われた奴らが、(かげ)だけこの軌道(きどう)に落としていったんだろう」


 列車が加速した。車輪の音が高くなる。窓の外の(きり)が厚みを増し、光を(さえぎ)り始めた。油灯(ゆとう)の炎が横に傾ぎ、壁の(かげ)が一斉に揺れる。揺れた影の長さが、それぞれ違った。持ち主の疲れの分だけ、影は伸びるのかもしれなかった。


 こよいの(かげ)も揺れた。だが他の(かげ)とは逆の方向に。


 巾着(きんちゃく)が脈打った。温かい。神々が、(かげ)の中の名前に反応している。


 「この名前、神々が知ってる子かもしれない」


 こよいは巾着(きんちゃく)(ひざ)の上に載せた。布越しに、小さな鼓動(こどう)が伝わってくる。


 久遠(くおん)目録(もくろく)を開いた。白紙の(ページ)に、海図(かいず)の線がまだ微かに残っている。港で写し取った三本の線。北と、西と、下。


 「名前は(かげ)を通じても移動する。本体が光の糸なら、(かげ)は名前の裏側だ。表と裏の両方が(そろ)わないと、名前は完全な形に戻れない」


 こよいは自分の(かげ)をもう一度見た。


 伸びた(かげ)の先端で、文字がゆっくりと消えていく。列車が通り過ぎるたびに、軌道(きどう)の上の名前の欠片(かけら)が風に散らされているのだ。


 「消える前に、拾えないの」


 「拾うには呼ぶしかない。だが今はまだ早い。呼べば、観測者(かんそくしゃ)にこちらの位置を教えることになる」


 あさひが窓に背を預けた。腕を組み、目を閉じる。


 「急ぐな。(かげ)は急がない。急いだ奴の(かげ)から、先に千切れる」


 列車は(きり)の中を走り続けた。


 窓の外には何も見えない。音だけがある。車輪が軌道(きどう)を叩く規則正しい(はく)と、連結部(れんけつぶ)(きし)む低い(うめ)き。その二つの音の間に、もうひとつ、微かな音が混じっていた。


 名前が軌道(きどう)の上を転がる音だった。


 石が河底(かてい)を転がるような、小さく丸い音。こよいは耳を()ませた。音は列車の進行方向と逆に流れていく。名前たちは、列車とは反対の方向へ向かっている。


 「北じゃない」


 こよいが(つぶや)いた。


 「この音、後ろに流れてる。名前が戻ってる」


 久遠(くおん)目録(もくろく)(ページ)をめくった。海図(かいず)の線が、(ページ)の上で微かに震えている。


 「戻っているんじゃない。引き戻されている」


 義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)が強くなった。久遠(くおん)の表情が硬い。


 「観測者(かんそくしゃ)だ。音の流れる向きが、海図(かいず)の線の向きと正確に逆——写本(しゃほん)の頁も、糸を引き戻される側に微かに引かれている。間違いない。経蔵(きょうぞう)から放たれた名前を、もう一度集め直そうとしている。軌道(きどう)の上に(わな)を張って、(かげ)の中に残った欠片(かけら)(えさ)にして」


 列車が揺れた。


 油灯(ゆとう)の炎が消えかけ、車内が暗くなる。こよいの(かげ)が床の上で伸縮(しゅうしゅく)を繰り返し、そのたびに(かげ)の中の文字が明滅した。


 巾着(きんちゃく)が強く脈打つ。痛いほどに。


 神々が何かを訴えている。この(かげ)の中にいる名前が、引き戻される前に、助けてほしいと。


 こよいは両手で巾着(きんちゃく)を包んだ。


 「大丈夫。まだここにいる」


 声は小さかったが、車内の冷気を震わせた。名前を呼んだのではない。ただ、いることを認めた。それだけでも、影の中の欠片には届くらしかった。呼べない旅の中で、こよいはまた一つ、呼ばずに届かせる方法を覚えた。


 (かげ)の中の文字が、一瞬だけ強く光った。それから静かに沈み、こよいの(かげ)に溶けるようにして消えた。


 おたまが、こよいの伸びた影のいちばん先に、そっと前脚を置いた。影の中の名前の欠片が、猫の足の下で、落ち着きを取り戻すように静まっていく。表と裏の揃わないものたちを、猫は両方の側から、なだめることができるらしかった。


 列車は止まらない。(きり)は晴れない。


 けれど巾着(きんちゃく)の温もりだけが、手のひらの中で確かに残っていた。引き戻されていく名前たち。呼べば知れる位置。ジレンマは重いまま、列車は北へ走り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。