第013話 境の民
目を開けた。
天井が見える。木の板だ。隙間から光が漏れている。
ここは、どこだ。
体を起こそうとした。全身が痛い。
左腕に、布が巻かれている。右手のひらにも。昨夜の傷が、きちんと手当てされていた。
巾着は、枕元にあった。
手を伸ばして、握りしめた。温かい。
「……よかった」
祠の神の声が、小さく響いた。
「……しんぱい、した」
こよいは、ゆっくりと体を起こした。
小さな小屋だった。土間を上がった板敷き。隅に囲炉裏の跡がある。
壁は丸太と板で出来ていて、苔むした屋根から木漏れ日が差し込んでいる。
干し草の匂いがする。土と、森の匂い。
扉が開いた。
人が入ってきた。
昨日の人だ。
外套を着た、背の高い人。顔がようやく見える。
若いような、年老いているような、不思議な顔立ち。男なのか女なのかも、よく分からない。
ただ、目が穏やかだった。
「目が覚めたか」
深い声。低いが、優しい響き。
「……うん」
こよいは、頷いた。
「……ここは」
「境の森の奥だ。門をくぐったところで、お前は倒れていた」
人は、水を入れた椀を差し出した。
こよいは受け取り、ゆっくりと飲んだ。冷たい。喉の奥まで染みていく。
「……助けてくれて、ありがとう」
「礼を言われることではない」
人は、こよいの腰の巾着を見た。
「お前、集め手だろう。その巾着を見れば分かる」
こよいは、巾着を握りしめた。
「……知ってるの?」
「ここでは珍しくない。集め手は、時々やってくる」
その言葉に、こよいは驚いた。
集め手が、珍しくない場所。
自分のような存在が、他にもいる場所。
「……ぼくだけじゃ、ないの」
「当然だ。お前が初めてだと思ったか」
人は、口元だけで笑った。
「歩けるか。里に連れていく」
こよいは、立ち上がった。
足が震えた。でも、歩ける。
外に出ると、森が広がっていた。
明るい。
木々の間から陽光が差し込み、地面に模様を描いている。
鳥の声がする。風が木の葉を揺らす。
観測者の気配は、どこにもない。
「……ここ、なつかしい」
巾着の中から、祠の神の声。
「……むかし、こういう、ばしょ、あった」
人は、森の中の道を歩き始めた。
こよいは、後を追った。
道には、木に刻まれた印や、積まれた石がある。
誰かが、ずっと昔から、この道を使っていたのだ。
「あの光……観測者って呼んでるんだけど」
こよいは、歩きながら聞いた。
「あいつらは、ここには来ないの?」
「来ない。境界の向こうは、測る者の力が及ばない」
人は、振り返らずに答えた。
「……少なくとも、今までは」
その言葉の端に、何か引っかかるものがあった。でも、こよいは問い返せなかった。
森を抜けると、開けた場所に出た。
木製の門柱が立っている。縄と木彫りの護符が掛けられている。
門番が二人、長い棒を持って立っていた。
門番たちは、案内の人を見て、すぐに道を開けた。でも、こよいのことは、じっと見つめていた。
観察している。値踏みしている。
門をくぐると、集落が見えた。
円形の広場を中心に、木造の建物が並んでいる。
人がいる。大人も、子供も。
みんな、こよいの方を見ている。
「集め手だ」
誰かが言った。
「巾着を持ってる。本物だ」
人々が、近づいてきた。
敵意はない。むしろ、興味と、どこか懐かしむような目。
子供たちが、巾着を指差して囁き合っている。
「……ここ、みんな、しってる」
祠の神の声が、不思議そうに言う。
「……あつめて、を」
案内の人が、広場の奥の建物を指した。
一番大きな建物。高床式で、階段で上がるようになっている。
「長に会わせる。ついてこい」
建物の中に入ると、囲炉裏の前に老人が座っていた。
白い髪。深い皺。でも、目は鋭い。
老人は、こよいを見て、ゆっくりと頷いた。
「よく来た、集め手」
声は穏やかだが、重みがあった。
「久しぶりだ。お前のような若い者が来るのは」
こよいは、座るよう促された。
囲炉裏の火が、パチパチと音を立てている。
「お前、霧原町から来たか」
「……はい」
「あの町は、もう測られたのだろう」
老人の言葉に、こよいの胸が痛んだ。
「……はい。沈みました」
老人は、目を閉じた。
「そうか。また一つ、消えたか」
しばらく沈黙が続いた。
「……ここでは、集め手はどう思われてるんですか」
こよいは、聞いた。
「外では、誰も知らなかった。ぼくが何をしてるのか、誰にも言えなかった」
老人は、目を開けた。
「ここでは、集め手は敬われる。お前たちがいなければ、神々は行き場を失い、消えてしまう」
「届ける場所があることを、ここの者は知っている。だから、集め手を助ける」
その言葉が、こよいの胸に染みた。
初めてだった。
自分がしていることを、認めてくれる場所。
「だが」
老人の声が、低くなった。
「油断するな」
こよいは、背筋を伸ばした。
老人の目が、真剣になっていた。
「最近、おかしなことが起きている」
老人は、囲炉裏の火を見つめる。
「境を越えてくる奴らがいる」
こよいの心臓が、跳ねた。
「……境を、越えてくる?」
「そうだ。測る者たちだ。今まで、ここには来なかった。来られなかったはずだ」
老人は、こよいを見た。
「だが、何かが変わった」
囲炉裏の火が、一瞬だけ揺れた。
巾着が、冷たくなった。
「……おいつかれた、かも」
祠の神の声が、小さく震えた。
老人は、立ち上がった。
窓から外を見る。夕日が、集落を赤く染め始めていた。
「お前を追ってきたのかもしれん」
その言葉が、重くのしかかった。
「あるいは、もっと大きな何かが動き始めているのかもしれん」
こよいは、巾着を握りしめた。
逃げ切ったと思った。安全だと思った。でも、まだ終わっていない。
「今夜は休め。明日、詳しく話そう」
老人は、そう言った。
「集め手の仕事について。お前が知るべきことについて」
こよいは頷いた。でも、胸の中では、不安が渦を巻いていた。
境を越えてくる奴らがいる。
その言葉が、頭の中で繰り返されていた。




