第十六話 灰色狼3
戦闘が終わると自然にため息が漏れた。あれほどまでに真剣に闘いをしたのは久々で、知らず知らずの内に気を張っていたのだろう。
ふぅ、と今一度息を吐いてオレは気づいた。
そうだ、シルバーがまだ……。
「はぁ~~、疲れた~~」
慌てて振り返る。視線の先には、舞い散る光の粒と大の字に寝転ぶ男の姿があった。
……どうやら、無事のようだ。
「あっ、ファングも倒したんだ。スゲーな、まだ初めて三日なのにもう対人戦勝つなんて」
視線だけをこちらに向けてシルバーが笑いながら言う。果たして、彼が言っている事が凄い事なのか実感はないが、対人戦の経験は多くある方で別に褒められるほどのものではなかった。
「……別に、大したことない」
「いや、結構凄い事なんだけど。まぁ、いいか。いやぁ、それにしてもどっちも無事でよかったな」
「……そうだな」
実際、人数やらレベルやら不利な状況で本当に二人とも無事なのは凄い事だと思う。自分で挑んでおいてなんだが、こうも上手くいくとは思わなかった。
それに__
「……お前も強いんだな」
リアルで格闘経験があるオレはともかく、彼は見た感じ普通の男の子。喧嘩慣れしている風でもないのに、あそこまで動けるのは経験者から言わせても素晴らしことだ。
「まぁ、俺は色々ゲームやってきて慣れているからな。相手は隙が多かったし、連携も甘かったから勝てたと思う」
つまり、薄氷の勝利だったという訳か。つくづく命拾いした感じだ。
「……それはそうと、ファング」
「……なんだ?」
シルバーは体を起こしてオレと向きあうと、朗らかな笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
「えっ……」
一切の邪気もなく。ただ、純粋な感謝の言葉にオレは声を失った。
「あの時、ファングが助けてくれなかったら正直負けていた。実際、負ける覚悟もしていたしな。でも、お前は怖いはずなのに、俺を助けてくれた。本当にありがとう」
次々に紡がれる言葉。
彼の放つ一言一言がゆっくりと、しかしオレの耳に確実に届いた。
ありがとう。そう、言われた。
感謝された。
その言葉は、当然のようで、しかしオレにはなかったものだった。
だって、力を見せたら怖がられたから。
異常な強さは、恐怖以外与えてくれなかったから。
こんな強さいらないと思った。怖がられるくらいなら弱くなりたいと願った。
でも、彼は……シルバーは「ありがとう」と言ってくれた。
オレの力を見ても怖がらず。よもや目を輝かせて、今は感謝してくれている。
今までに体験してこなかった出来事で、つい口が動いていた。
「……お前は、オレが怖くないのか?」
「へ? なんで?」
「……だって、暴力は怖いものだろ」
それがスポーツならにいい。しかし、明確なルールもない場での拳は暴力以外の何物でもない。
だというのに、どうして彼はここまで真っすぐ自分を見てくれるのだろう。
オレの問いかけに、シルバーはやっぱり笑いながら答えた。
「そりゃぁ暴力はダメだし怖いものだぞ。でも、ファングはオレを助けようとしてくれたんだろ? だったら、どうしてオレがお前を怖がらなければならないんだよ」
さも当然とばかりに、シルバーは続けた。
「それに、俺ら友達だろ」
「………」
何も、言えなくなった。何故ならば、彼の言葉が嘘偽りではなく本音だというのが分かったから。
真っすぐに、純粋な好意がダイレクトに伝わってきた。
シルバーと会ってまだ一週間も経っていない。
なのに何故だろう___
まるで、昔から一緒にいるみたいな安心感が胸を支配した。
☆☆
その後、そのまま冒険するにはヘトヘトになったということで街まで戻りログアウトした。
目を開ければ、視界には見慣れた天井が映った。窓からオレンジ色の光が差し、時計を見ればすでに夕方を示していた。
ベッドから起きて、部屋を出る。激しい戦闘のあとのせいか腹の虫が鳴きっぱなしである。
「……ふわぁ~」
「あら、敦獅。起きたの?」
「……あぁ、腹減った。なんかない?」
「もう少しでご飯だから我慢しなさい」
リビングに出ると台所に母さんがいて料理をしていた。この匂い、今日は唐揚げか。
母さんに言われた通りにリビングのソファに座り、適当にテレビをつける。映し出された画面では夕方の情報番組がやっていた。
『さぁ、今回ピックアップするのは今話題の最新VRゲーム【Break Ground Online】。三日前に発売されてから現在100万本の売れ爆発的人気を誇っております』
名前の知らない司会者がボードで紹介しているのは、ついさっきまでプレイしていたゲームだった。
家電量販店に並ぶ長蛇の列の映像が流れ、その人気ぶりを示している。その光景に、つい圧倒されてしまう。
杏沙、お前とんでもないものを当てたな。
数秒間映像を流すと再び司会者の顔が映し出され、ゲストに話を振り出した。
「そうそう、敦獅。最近、楽しい?」
呆然とテレビを眺めているオレに、母さんが訊いてきた。画面を目を離さずに答える。
「……どうしたのいきなり?」
「いや、この頃敦獅楽しそうにしてるからそんなにそのゲームが面白いのかなって思って」
「……楽しそうに見えたの?」
「えぇ、あんな顔、初めてグローブ買ってもらった時ぐらいよ」
母さんの言葉に、ソファから台所を見る。唐揚げを揚げている最中で、油から目を離さないままの母さんの顔は、嬉しそうに笑っていた。
「……楽しいよ、ゲーム」
「そう、でもほどほどにしなさいよ。もうすぐ中学生なんだから」
「……あぁ」
それだけ言ってまたテレビに顔を向ける。
ピンポーン
その時、来客を知らせるインターホンが押された。
「敦獅出てくれる? 今手が離せないの」
「……分かった」
ソファから立ち上がり、玄関へと向かう。
こんな時間に誰だろうか? 考えられるとしたら、杏沙がまた何か当てたのだろうかということだ。
よくあることなのですぐにそう結論付けると何の疑問を抱くことなくオレは玄関の扉を開けた。
「あ、あの……」
扉を開けて先にいたのは、よく見かける宅配便の人ではなかった。外にいたのは、大人の女性と女の子だった。歳はオレや母さんとそう変わらないように見えた。多分、親子だろう。
知らない顔だ。もしかして、杏沙の同級生とかだろうか?
「すみません、こちら灰原さんのお宅でしょうか?」
「……はい、そうですが」
母親と思わしき女性から聞かれて頷いた。隣の娘を見れば、何故か目を見開かせて驚いている顔をしていた。オレ、そんなに怖い顔しているだろうか……してるな。
「じゃあ、君が灰原敦獅君?」
自身の顔に少し悲観的な気持ちになっていたオレの耳に突如、女性の声が入ってきた。
どうしてオレの名前を?
疑問を抱くオレであるが、素直に頷いた。するとそこに、丁度料理を一段落させた母さんが合流してきた。
「敦獅? どうしたの……あら、どちら様?」
エプロンを脱いで姿を現した母さんが首を傾げる。
母さんが登場したことで、ここはちょっと任せようかと考えていたその時。
いきなり女性が、頭を下げたのだ。
「初めまして、私、加賀芳江と申します。こっちは娘の真奈美です」
「えっ、あ、ご丁寧にどうも。灰原陽子と申します」
ぺこっ、と母親を真似て頭を下げる娘。そして、母さんもつられるように頭を下げた。
自己紹介を終えると、母さんは戸惑いつつ訊ねた。
「えぇと、それで、本日はどういったご用件で……」
芳江と言う女性は、頭を上げるとオレを見た。何故にオレを見る。
こういう時、愛想笑いでも浮かべられたらいいのだがオレには無理な話である。
母さんの質問に、芳江さんは少し申し訳なさそう顔をして答えた。
「実は、本日はお礼をしに参りました」
「お礼、ですか?」
「はい、敦獅君に」
オレの名前を聞いて母さんがこちらを見る。だが、オレは首を傾げるだけだ。だって、まったく身に覚えがないのだから。
「あの、それはどういう……?」
「敦獅君、ウチの娘を助けてくれたの覚えてるかしら?」
「……??」
芳江さんの言葉を受けて、オレは女の子の方を見る。顔を俯かせて、前髪を垂らしている女の子。名前は確か、真奈美と言っただろうか。
……困ったな、全然分からない。
「あ、あの、公園で、中学生に怒られていたのを助けてくれた……」
公園、中学生、………あっ!
「敦獅、それって……」
「……多分、そうだと思う」
母さんも同じ答えに至ったようで、互い顔を合わせる。
そう、オレの目の前に顔を俯かせているのは半年前オレが中学生をボコった時にいた女の子だった。
「……もしかして、半年ぐらい前の?」
「そうです。その時、助けて貰ったのは私です。その時、お礼を言わずに逃げてしまった事をずっと気になっていて。でも、私とは違う学校で、どう探していいのか分からなくて……」
「私も、それを聞いたのが最近でした。娘から話を聞いて、色んな人に聞いて回っていたら灰原さんのお子さんではないかと聞いて……」
「それで、その、わざわざ家まで?」
「ご迷惑だと思ったのですが、どうしてもお礼を言いたいと娘が。それと、そのせいで敦獅君にはご迷惑をかけたとも聞いたので、謝罪をしに」
芳江さんはそう言うと再び頭を下げた。娘の方も一緒になって腰を曲げた。
「お礼を言うのがこんなに遅くなってしまい申し訳ございませんでした。これは、ほんの気持ちです」
「あの時、逃げちゃってごめんなさい……それと、助けてくれてありがとうございました」
二人に謝られ、同時にお礼も言われてしまい正直どう言えばいいのか分からなかった。困ったオレは母さんを見る。
呆然とするオレの代わりに母さんが口を開いた。
「そんなっ、お礼だけでも十分すぎるのに謝らないでください! そもそも、ウチのバカ息子がすぐ手を出したのも原因なんですし」
母さん、バカ息子は言い過ぎなのでは……いや、まぁ否定しないですけども。
「いいえ、話を聞く限り敦獅君にはなんの非もありません。それなのに、当事者である娘がいないせいで敦獅君にはご迷惑をかけたのは本当です」
芳江さんはニコッと笑いかけながら続けた。
「敦獅君。真奈美を助けてくれて、ありがとう」
「………」
その言葉に、胸がぎゅぅ、と引き締められる感覚に陥った。この感覚、つい最近感じた覚えたがあった。
同時に、頭にシルバーの顔が思い浮かんだ。
「あの、ありがとう」
暴力は絶対にダメだ。異常なまでの強さは人に恐怖しか与えないのだと思っていた。
けど、けれどシルバー___
それだけじゃなかった。
こみ上げてくる何かを漏らさないように唇を噛む。
こういう時、どう言えばいいか分からない。けど、シルバーが教えてくれた。
そう、こういう時は。
「どう、いたしまして」
笑えばいいんだ。
☆☆
「……良かったわね敦獅」
親子が去った直後、静かになった玄関で母さんが言った。気のせいじゃなかったら鼻声になっていた。
オレは素直に頷いた。
親子を見送ったオレと母さんは、リビングへと戻る。
「……母さん」
「ん? 何」
戻る途中、オレはある事を聞くために喋り出す。
「……明日、午前中にジムに行っていいかな?」
「え……?」
母さんが目を丸くさせて、素っ頓狂な声を出す。こんなに驚く母さん見るのは珍しい。
当のオレはというと、母さんから目を逸らして自分の両手を眺める。
暴力は嫌いだ。異常なまでの強さはもっと苦手だ。
でも。
悪い事ばかりではないようだ。
数秒、固まっていた母さんは次にはにっこりと笑いながら口を開いた。
「えぇ! いいわよ! きっと皆喜ぶわ」
子どものようにはしゃぐ母さんを見て、オレは苦笑いを浮かべるのであった。
アバター名『ファング』 所持金9500E
レベル:13 HP:1200 MP:420
STR:60 INT:30 VIT:70 AGI:60 DEX:20 LUK:20 TEC:20 MID:20 CHR:20
装備:ファイターグローブ ナイフ 冒険者の服
控え装備:なし
保持スキル:【体術】Lv2
控えスキル:【ナイフ】
スキルポイント4




