黄泉返りの魔王 20
アルブル帝国の帝城はサンタル・ルージュの内壁の中央にさらに高い壁に囲まれている。
そこは城、というよりは小さな街くらいの規模があり、俺たちは馬車に乗ったまま案内人の先導に従って進む。
サンタル・ルージュに到着した翌日のことである。
昨日も帝城を訪ねはしたのだが、当然ながら日時の約束をしたものではないと追い返され、最高級の宿を取った俺たちに、その日のうちに翌日に会えると連絡が来たのだ。
「想定より動きが早いですね」
リディアーヌがぼそりと俺に聞こえるように言う。
彼女の予測では少なくとも数日は待たされるはずだったからだ。
つまり使者の帰還を待つことと、降雪が始まって俺たちの帰国が難しくなることの両方を狙ってくる、と。
確かにこちらが皇帝に面会するまえにあの使者が帝都に戻ってこられても困る。
まあ、ガラットーニ辺境伯に足止めをお願いしてあるのでどちらにしても数日は大丈夫だろう。
「あまり深く考えていないのでは?」
俺が言うとリディアーヌは少し考え込んだ。
「あるいは逆で、アンリ様の魔法に今すぐ頼りたい何かしらの事情があるのかもしれません。余裕の態度を見せてはいても、実際には崖っぷち。よくある話です」
「それを引き出すことができれば会談を上手く運べそうですね」
「いえ、場合によっては踏み込まないほうが良いかもしれません。例えば、ですが、レギュムとの戦争に巻き込まれてはたまりませんから」
「それは確かに」
帝国の東側には魔族の寄り集まりであるレギュム連合国が存在する。
王国にとって帝国は魔族の侵攻に対する防波堤だ。
自らが波に身をさらしては意味が無い。
帝国がヤバいということは王国もヤバいのだ。
とはいえ、自分から巻き込まれに行く必要もない。
王国としては帝国が魔族との戦争で適度に疲弊し続けている状態がもっとも望ましい。
前を馬で進む案内人には聞こえないようにそんな会話をしているうちに、俺たちは帝城の前に到着した。
馬車を預かると言われるが、断って魔法馬を消し、馬車を魔法で収納する。
その場にいた帝国人たちは飛び上がるくらい驚いていたが、これくらいはまあ、見せても良い範囲だろう。
侮っていてもらいたいが、まったく相手にされなくとも困る。
馬と馬車を一瞬で消す――ように見えた――デモンストレーションの効果か、俺たちは豪勢な個室へと通された。
王国にもこういうVIP待遇のための待合室はあるが、俺は使ったことがない。
まあ大体俺が勝手に執務室まで行くからな。
「花の王女殿下と、魔法使いだけが謁見を許されました。後の方はこの部屋でお待ちください」
執事のような人にそう言われ、シルヴィはともかくネージュは反発するかと思ったが、そうでもなかった。
彼女らは要望を受けて、適当にその場でくつろぎ始める。
俺とリディアーヌは服装を整えて部屋を後にした。
帝城の謁見の間の作りは王城のものと大差なかった。
大広間の奥が一段高くなっており、そこに統治者のための席がある。
王国とのささやかな違いを上げるとすれば、中央の席がひとつしかないところだろうか。
王国では国王と王妃の席が並んでいる。
今、その席には年老いたひとりの男の姿があった。
老いのためか痩せ衰え、帝国の獅子と呼ばれたその面影はもはや無いが、その目だけが鋭さを失っていない。
老いてなお他者を圧倒する存在感は、確かに皇帝という名に相応しく見えた。
広間の左右にも椅子が並ぶ。
貴族たちだろうかと一瞬だけ思ったが、そこに座る面々を見てそうではないとすぐに分かった。
幼い子どもの姿まであるからだ。
皇族ということで間違いないだろう。
とすれば椅子に座らずその後ろに立っている人々こそが、この国の貴族たちだろう。
後は護衛として所々に騎士が立っている。
彼らが手にしているのは完全金属製のハルバードだ。
槍であり、斧であり、鎚でもある。
ある種、帝国を象徴する武器だと言っていい。
帝国はハルバードを装備した騎兵で北方諸国を蹂躙したからだ。
しかし数が多いですわ。
見世物として呼ばれたとは分かっていたが、こうも客を呼ばれるとは思っていなかった。
それこそ皇帝がこっそり楽しむ程度かなと予想していたのだ。
以上、謁見の間に入るときにちらっと見えた光景だ。
皇帝の許しがあるまで顔を上げてはならない俺は、下を向きながら、事前に教えられた位置まで大広間を前に進む。
そこで片膝をつき、手を胸に当てる。
見えてはいないが隣でリディアーヌも同じ仕草をしているはずである。
これは王国式だ。
何もかも帝国式で進めると、王国が帝国に服従しているかのようになるからな。
立ち並ぶ貴族たちがざわついた。
王国のガキどもが帝国に楯突いたなどと思っているのだろう。
だが現在の王国と帝国の立場は、どちらが上でどちらが下ということもない。
国力差こそあるものの、対等なのだ。
これまでの使者がどういう態度だったかは知らないが、俺たちは王国の流儀に則ってやらせてもらう。
「面を上げよ」
低くしわがれた声が耳に届き、俺はようやく絨毯の模様から目を離すことができた。
だがまだ喋っていいとまでは言われていない。
真面目な顔で皇帝の膝辺りをぼんやりと見る。
視線を合わせたら不敬とか言われそうだしね。
「若いな、それと美しい」
美しいはリディアーヌに向けてに違いない。
では若いがかかっているのは俺? リディアーヌ? それとも両方?
少なくとも皇帝が若さに対して思うところあるのは分かった。
「それでお前が王国の魔法使いか?」
質問されたので答えようと思ったが、そんな俺の前の前にリディアーヌの手のひらが掲げられた。
喋るな、という意味だろう。
「彼こそが私の婚約者にして、世界にたった一人の魔法使い。アンリ・ストラーニ男爵です。この度は私の婚約者へ会談の申し入れをいただき、誠にありがとうございます。許可も得ずに付いてきてしまいましたが、この場へと招いていただいたことも重ねて感謝いたします」
「南の大森林で起きた大氾濫において、町を守るのに多大な功績があったと聞いた」
「その通りでございます」
「王国の王太子に協力し、100層を超える大迷宮を討伐したとも聞いた」
「間違いございません」
「伯爵家に拾われた平民のようだが、今では男爵か。いずれは伯爵か?」
「そこまでは分かりかねます。ただ伯爵位は武勲によって得られることになっており、アンリ様の功績は必要に足りると私は思っていますわ」
「まずはその力が見たい」
「如何様な趣向をお望みですか?」
「生き延びよ」
皇帝が手にした王笏を床で打ち鳴らすと、控えていた騎士たちがずいと前に出てくる。
数は30人くらいだろうか。
おそらくは近衛の精鋭たち。
彼らはハルバードを構え、突進してくる。
武器の無力化が一番有効だが、すでに装備状態の装備に命令は届きにくい。
魔力でごり押しもできるが、この手を見せてしまうのもな。
時点は結界で身を守ること。
リディアーヌの安全を最大限に考えるとこれになる。
障壁と違って、結界は全方向に対して隙が無い。
代わりにこちらからも攻撃ができない。
魔法障壁は貫いて攻撃できるのに、なんでや。
次が魔法障壁の使用だが、これは派生パターンが多すぎて、どう使うかでちょっと迷う。
普通に考えたら純粋に壁として構築するわけだが、他にも拘束や拷問など、使い方があまりにも広い。
などと考えていたら騎士の一人がもう目の前に迫っていた。
こうなるともう魔法障壁の通常使用ですよね。
俺たちと騎士の間に発生した魔力障壁が見えない壁となって、突進してきた騎士を弾き返す。
勢いよく仰向けに倒れた騎士は冑の後頭部を押さえてのたうち回った。
あ、そっちのが痛かったのね。
まあ、確かに頭から落ちてたわ。




