黄泉返りの魔王 17
帝都サンタル・ルージュは威容を誇る都市であった。
それは認める。事実から目を逸らすほど愚かなことはないからだ。
オルタンシアにも引けを取らない、いや、規模に置いて遙かに超えている。
なにせ峠を越えて見下ろした平野のすべてが都市だったのだ。
スケールがまるで違っている。
「水は水質に目を瞑れば大丈夫そうですが、食料は……周辺から掻き集め続けているんですかね」
リディアーヌが眼下の光景にそんなことを呟く。
確かに周辺の山間部からいくつも川が流れ込んでいて、都市の中には湖もある。
水に困ることは無さそうだ。
問題はそう、リディアーヌの言うとおり食料だろう。
事前に聞いていた話では、帝国領土の気候は小麦の育成に不向きだ。
森の恵みに頼って生きていると聞いていたが、それだけでこれだけの都市が維持できるものなのか?
「中に入れば分かることもあるんじゃないですか?」
リディアーヌに返答する形になったからか、シルヴィが丁寧な口調で言う。
「そうですね。おそらく、しかし、それは……」
リディアーヌはまだぶつぶつ言っているが、シルヴィの言うことが正しい。
「馬を進めます。舌を噛みますよ」
俺はリディアーヌが口を閉ざしたのを見て、馬に進むように命令した。
山道を下るというのは、魔法馬であっても気を遣う作業だ。
ぶっちゃけ馬車ごと浮かせて降りるほうがよっぽど楽だしな。
魔法で馬車にブレーキをかけながら、蛇腹状に折れ曲がる下り道を降りていく。
下山も終わりという辺りでようやく坂道はなだらかになり、建物がぽつりぽつりと建っているようになる。
だが建物以上に多いのがボロいテントのようなものだ。
「正規の帝都市民ではないでしょうね」
「不法流民ということですか?」
「おそらくは。治安の良くない地域だと思います。何があって止まらずに駆け抜けてください」
「アンリ、敵意を向けられてる。前方」
言ってる傍から、建物の陰から朽ちた丸太のようなものが路上に倒れてきた。
完全に倒れてしまう前に魔法障壁で支える。
目には見えない障壁で支えられた丸太は、斜めの状態で固定されたように止まった。
一方で止まらなかったのは野盗の類いたちだ。
丸太が倒れると同時に飛びだしてくる手筈だったのだろうが、丸太が倒れなくても止まれなかったに違いない。
うーん、無視しよ。
俺は野盗たちにそのまま馬車を突進させる。
魔法馬なので突然人が目の前に飛びだしてきたところで、なにも関係がない。
案の定、馬車が減速もせず突っ込んでくるのを見ると、野盗たちは慌てて進路から逃げ出した。
丸太の横を駆け抜けたところで障壁を解除。
後ろで丸太が地面に倒れる音がする。
「そんなに積み荷がいい馬車に見え……るかあ」
元はボロ馬車だけど、今は王国の紋章が入った高級な布地で飾られている。
形が幌荷馬車っぽいのも良くなかったかもしれない。
「というか、ただの野盗じゃなかったかも」
とはシルヴィの言。
「どういうこと?」
「根拠はいくつかあるけど、まず武装が片手剣に統一されてた。あと持ってないはずの盾を意識した構えだった。かけ声も無く飛びだしてきた。練度が高くて、統率された小隊だと感じたわ」
「帝国軍?」
「うーん、正規軍かどうかは分からないけど、そういう集団に見えたってだけ」
「小隊ごと離反したとかなんかな? 分からんけど。流石に帝国軍が野盗紛いのことはしない……よね?」
ぶっちゃけあの使者を見ているので不安ではある。
「アンリ様、先入観は持たないようにしましょう。ここは帝国。王国とは違う常識がある国なのです」
リディアーヌの言葉は彼女自身にも向けられているような気がした。
「そうですね。分かりました。シルヴィもありがとう。俺は気付けなかった」
「いいのよ。お互いに違うことができたほうが幅が広がるわ」
「そう言ってもらえると助かる」
魔法の力は万能ではない。
発動まで一瞬の隙があるのは変わっていないし、以前より自由度が増したと言っても、俺の想像力に縛られている。
そして魔法を除いた俺の能力は高いとは言えない。
知識、判断力、応用力、体格、肉体を動かす技術、技、武術、いずれも良くて同年代の平均程度だ。
前世の知識チートとかはどうなった?
「アンリ、嫌な感じがずっと消えない……」
ネージュが言う。
感知能力はネージュが飛び抜けて高い。
彼女が不穏な空気を感じ続けているということは、まだ脅威は去っていないということだ。
「狙われてる?」
「それもある。けど、もっと広い感じ……」
「帝都自体が不穏ってことか」
「帝国の地方は疲弊していました。私はてっきりその富は帝都に集中しているものだと思っていましたが……」
リディアーヌが言葉を切る。
確かにこれまで通ってきた帝国のあらゆる町は疲弊していた。
そうでなければ何度も襲われていただろう。
それほどの敵視を受けながら、実際の襲撃を受けたのは今が初めてだ。
それは帝国地方の人々が憎き王国の馬車であっても襲うほどの気力を維持できていなかったからだ。
「その帝都がこの有様ということは……」
リディアーヌは表情こそ歪めないが、その瞳は燃えるようだった。
荷台を掴む手には、彼女らしかぬほど力が込められている。
彼女は生まれながらの王族である。
民衆を導く者として強い使命感を持っている。
「王国と帝国は決して相容れない」
故に彼女は許せない。
民衆を菜種の如く絞り尽くす、そんな国家の在り方を。




