黄泉返りの魔王 16
どこかのタイミングで国境線を跨いだはずだ。
とは言っても、それは王国の主張するものでしかない。
帝国はシクラメンを王国が支配していることを、武力による不法占拠と主張しているからだ。
この一帯の国境線は曖昧で、国境線上に検問があるようなこともない。
俺たちの馬車はするすると帝国最初の町であるオルムの近郊に辿り着いた。
時間はまだ日が傾き始めた頃と言った感じで、魔法馬の有用性が示された形だ。
王国の意匠が施された布で飾られた俺たちの馬車はよく目立った。
悪い意味で、よく目立った。
帝国はシクラメンの領有を主張しているとは言え、そこには王国の軍隊が駐留している。
当然ながら最寄りのオルムは王国軍を迎撃するために城塞都市へと立て替えが進んでいる最中だった。
そこには王国に恨みを抱く兵士がいて、民衆がいた。
皇帝からの書面を免罪符にして、入市するが、それで向けられる視線の質が変わるものではない。
幸い、俺たちの行く道を塞ごうという者は現れなかった。
通りには沢山の人が居たが、俺たちを見るとさっと離れていって道ができる。
「あんなに小さな子どもまでこの馬車を睨み付けてくるということは、反王国教育が行われているのでしょうね」
「そうなのですか? 間違った知識を国民に与えることの意味が分かりませんが」
「そうでもありません。事実など、いかようにもねじ曲げられるものです。そもそも個人間ですら記憶の食い違いは発生いたしますよね。それが国家間で起きないはずがないのです。そして為政者はそれを意図的に起こすだけのこと」
そう言ってからリディアーヌは優しい笑みを俺に向ける。
「金属書を研究しているアンリ様が一番良くご存じなのではないですか?」
俺は押し黙る。
そう、正しいことが記憶され、記録されて後世に残るとは限らない。
魔法使いに生み出された魔法生物たちは、魔法使いが滅んだ後、自分たちこそが人であるという歴史を積み上げてきた。
魔法使いの存在は秘匿され、あるいはその痕跡を処分し、その存在自体を無かったことにしようとした。
そして自分たちこそ人間である、という間違った認識は、この世界の人類に完全に根付いてしまっている。
嘘が世界の常識となることなど珍しくはないのだ。
オルムでは宿を取った。
最上級の宿で、部屋がいくつもあり、話しをするために部屋の外を経由して会いに行く必要がない。
資金は冒険者ギルドでベヒーモスの肉を売った。
オルムは人口に対する食料生産量が著しく低い。
状況はシクラメンと同じだ。
民だけではなく、兵士も飢え気味であり、大量の肉が穫れるベヒーモスの死体は歓迎されて、大量の金貨と引き換えることができた。
「この感じなら、資金に困ることはなさそうですね」
最強種の死体ならまだ山ほど収納魔法に眠っている。
というか、できる限り処分していきたいよね。
「アンリ様、食料の供出はほどほどに抑えてくださいね。こちらの手札が霞んでしまいますので」
「そうですね。シクラメンに対するオルムの兵士が、肉を食べて元気になるのは確かに困ります」
「アンリが本気でやれば、この冬餓死する帝国民をゼロにできる」
「だから、やらないからね」
できるかできないかで言えば、できる。
多くの人を救うことができるだろう。
だが俺は博愛主義者ではない。
自分、家族、婚約者、友人、知人、王国民、その後にようやく他国民だ。
さりげなく友人を入れたけど、いるのかって?
そんな悲しいことを聞くなよ。
俺はお前を友人にしてもいいんだぞ?
一方で宿のグレードを下げてまで、帝国の民を困窮させようとも思わない。
必要な経費分は売ってしまうことにしよう。
俺たちは翌日からやや強行軍という程度の早さで帝都サンタル・ルージュを目指し、それでも予定の2週間をかけて到着した。
ほらね、やっぱり予定には余裕を持つもんなんだよ。




