第60話 おわび
第60話 おわび
その後、俺達は田本の治療も兼ねて、エトの別荘に招待された。この近くに大きな病院が無いことと、お詫びを兼ねてうちの医療班で治療をさせていただい、という申し出により、その行為に甘えることになった。
京治さんは、田本の無事をみんなに伝えてくるとのことで、その場で別れることになった。美由さんもかなり心配していたようで、早く伝えないと自分も探しに行くと言い出しかねない、と笑っていた。
田本がすみません、と謝ると「無事だったんだから気にしないで」と京治さんは優しく田本の肩を叩いていた。その代わり美由からビンタ食らったらごめんね、と付け加えてあははと笑いながら……。
それを聞いた田本の表情が真っ青になったのに、俺が少し笑ってしまったのは言うまでもない。
……エトの別荘は、京治さんたちの民宿と同じように町の丘に建っており、白を基調とした北欧スタイルのものだった。手入れされた前庭には、季節に合った色とりどりの花が咲いており、テラス席がいくつか置いてあった。風も心地良い冷たさで流れており、さっきの出来事でかいた汗を流してくれるようだった。
前庭からは海が一望できる。海は藍色に染まり、月の光を受けた部分だけ零れた宝石のように眩い光を放っていた。日中ならば、澄み渡る青色が一面に広がっている事だろう。
田本とエトは治療を兼ねて、屋敷の中へと通された。俺達はと言うと、松柳さんの案内で、前庭のテラス席に掛けてもらうように言われた。テーブルには、氷の入った水が瑠璃色のワイングラスに入っていた。カランコロンッと、氷がぶつかり合って溶け合う音が耳元を涼しくした。
「エトお嬢様を助けていただいた身として、こんなことしか出来ず、大変恐縮なのですが……」
と、松柳さんが一礼して指をパチンっと鳴らすと、どこからかお盆を持ったメイドさんが数人現れ、俺達の目の前に何かを出した。
「ご夕食もまだという話を伺いましたので、軽食をご用意させていただきました。おかわりもデザートもご用意してありますので、宜しければお召し上がりください」
松柳さんがそう言ってニッコリと笑い、また一礼した。どうぞ、と言われ、俺達は出された料理を覗き込んだ。それは、トマトとモッツァレラのジェノベーゼパスタだった。トッピングに、油でカリカリに焼いたベーコンが振りかけられ、その匂いが俺達の胃袋を刺激した。
確かに、田本を探すのに夢中で何も食べていなかったのは事実だ。しかし、たいしたことはしていないのに、ご馳走になっていいものなのか……。そう悩んでいる俺の思考をぶち壊すように、仁都は「ありがとうございますー!」と言って、手を合わせていただきます、と言い、パスタを食べ始めた。遠慮しないというか、躊躇いがないというか……こいつはどこにいてもマイペースだった。しかし、坂田も特に遠慮することなく、美味しいですね、と言いながら松柳さんに話しかけていた。
あれ……もしかして、遠慮してる俺の方がこの場合間違ってるのか……?そう思いながら、いただきますと手を合わせ、フォークでくるくる回して一口放り込むと、その美味さに思わず目を見開いた。
「……美味い」
表面がつるつるし、冷たく喉越しがいい平打ち面に、ガーリックオイルの効いたほうれん草のソースが、二口目、三口目と俺の舌を惹き付けて離さない。ガツンとくるガーリックオイルが鼻から抜け、その後を追いかけるようにほうれん草の苦味と甘味が二人三脚でやってくる。濃い味のように見えるが、新鮮で甘酸っぱいトマトの酸味と、モッツァレラの無垢な味わいがより味に深みを出してくれる。アクセントに入ったカリカリのベーコンは、噛み砕く度にじゅわりと溢れる肉汁が堪らなく美味しい。
まさにプロの技と言わざるを得ない、パスタだった。
いつの間にか、仁都は遠慮なくおかわりをしていた。こんな時でも通常運転な奴が羨ましかった。松柳さんも、嬉しそうに、かしこまりました、なんて言うし……。
その後に出されたデザートは、マンゴープリンとライチシャーベットの盛り合わせで、どちらも最高に美味しかった。漉してあるからか、滑らかな舌触りと雑味のないマンゴーの甘さと、ほんのり香るココナッツの風味が、これまたスプーンを掬う手を誘っていた。ライチシャーベットも舌の上で雪のように溶け、体の熱を一気に吹き飛ばしてくれるような酸味が堪らなかった。
時間があったら姉貴にでも作ってやろう、と黙々と食べ続けていた。
俺達が料理を食べ終わる頃に雑談をしていると、包帯をした田本が戻ってきた。本人はたいしたことは無い、と笑っていたが、一緒に出てきた医療班の人が言うには、田本の肩の骨はヒビが入っており、全治1ヶ月~2ヶ月ほどかかるとの事。
むしろ、これは不幸中の幸いだとのことで、本来なら肩が折れていてもおかしくないとの話だった。暫くは肩も腕も使えないとのことで、日常生活には多少影響が出るとのこと。定期的に通院して貰うことになるらしい。
「皆さん、地元の方ではないとのことだったので、こちらから皆様の地元の大きな病院の方に、紹介状を書かせて頂きました。治療費など全てはこちらが負担するように話しておきますね」
松柳さんはそう言って、医療班の人に手配するように告げた。エトを守ったお礼と、怪我をさせてしまったお詫びだという。最初は田本も断っていたらしいが、ならばご希望の金額を振り込むと言われてしまったようで、流石に折れてしまったらしい。
「現金、なんて言われたら恐ろしくて手をつけられないよ」
と、困ったように笑うと田本の横で「……ある意味脅迫だよな〜」と坂田は面白そうに笑っていた。確かにそうである、高校生に現金を振り込むなんて恐ろしいってもんじゃない。例え、医者の息子である田本でも、だ。
……だが、一つだけ気になる点があった。
「……田本、親御さんにはなんて説明するんだ?」
家族なら自分の息子が怪我をしたなんて聞いたら、気が気じゃないはずだ。実際、俺の姉貴なんか擦り傷作ってきただけで包帯とか言ってパニックになるレベルである。まぁ、うちに関してはそうなのかもしれないけど。
田本の両親だって同じように心配であるはずだ。
俺はそう思いながら尋ねると、田本は「んー……」と、少し考えた後に「大丈夫なんじゃないかな」と、俺が想像していたセリフとは真逆の返事が返ってきた。
「……は?なんでだよ?普通心配するのが親ってもんだろ?」
「それはそうなんだけど……ちょうど両親ともに2ヶ月くらい出張に行ってるから、大丈夫なんだよね」
「いや、だからと言ってそんな……」
「そうだよお前、”チエさん”にはなんて言うんだ〜?」
と、俺の言葉を遮るように、坂田は呆れ気味にため息をついて聞き返した。”チエさん”とは誰なんだと疑問に思っていると、チエさんは田本家の家政婦さんなんだよ、と坂田が教えてくれた。
「んー、流石にチエさんには言うよ。もし、出張と言いながら二人が帰って来ても困るし……誤魔化してもらうように言わなきゃ」
「でも、だからと言ってお前……」
「それにね、雀宮くん」
俺の言葉を切るように田本は少し声を張り上げた。
「……医者の息子が怪我をしたなんて聞いたら、情けなくなるでしょ?」
そう言って、これまでに無い位優しい笑みを俺に向けた。それは、俺の言葉を遠回しにお節介だと言うようにも見え、俺はそれ以上追及するのをやめ、そうだなと答えた。
誰にも知られたくないことがある。今の発言だけでも、充分田本の家庭環境が複雑なのが分かった。それに、この前田本を助けた時に言っていた言葉を思い出した。
【誰にも言わないでほしい】
きっとそれは、こういう意味でもあるのだろうと実感した。今はあえて触れることではない、俺は頭の片隅にそれをしまうことにした。
俺らがそんな会話をしていると、仁都と話していたエトがこちらに向かって駆けてきたのだった。




