第59話 むかしのはなし
第59話 むかしのはなし
「……!!お嬢様!」
「あ、エイイチロウ!」
……あれから数分後。坂田と京治さん、松柳さんと黒スーツの護衛の人たちがやって来た。ご無事で何よりです、と松柳さんは一番にエトを抱きしめていた。彼女の存在を確かめるように強く抱き締め、「ほんとうに良かった……」と呟いては目に薄らと涙を浮かべ、微笑んでいた。
それにつられてか、周りの護衛の人たちも昼間のように大泣きし始めた。見た目は屈強なのだが、エトのことになると繊細になるようだ。
まあ、この人達にとっては、エトはただの護衛の対象じゃなくて、それ以上に大切な存在であるのだろう。
松柳さんや護衛の人たちにとってエトがどんな存在かということに対しても、また、彼女にとって彼らがどんな存在かということに対しても、大人とか子どもとかというのは、関係の無い世界なのかもしれない。
……そんな感動の場面とは反対に、一番の怪我人であるはずの田本は、出会い頭、坂田に思いっきり頬を叩かれていた。バシィィンッ、と地を叩くようないい音が響き、この2人を除く俺たち3人は息を呑んでその様子を窺っていた。
坂田の目が怒りに満ちていたのだ。普段気だるそうにしているあの彼が、眉間にシワを寄せて怒りを露わにしているのだ。
以前、ファミレスで仁都と坂田が喧嘩したのは見ていたが、そんなもんが子猫のじゃれ合いに見える程、この場の空気は重苦しかった。
しかし、その空気を分かっていたのか、田本は少し首を傾げ、苦い顔をして笑った。
「……ごめん」
そう言うと、「……許すかよ」と重く唸るような低い声でそう返した。それで許されると思うのか?とでも言いたそうに、坂田はずっと田本を睨み続けていた。今にでも殴りかかりそうな勢いだ。いや、一度はビンタしたのだけれども……。
流石にこれは止めるべきではないのかと、俺は身を乗り出そうとすると、仁都と京治さんがそれを引き止めるように俺の肩を叩いた。今は、口を出さない方がいい。2人はそんな顔をした。
「……雀宮くん、これは彼らの男同士の話し合いだからね。そっと見守ってあげよう?」
「でも……」
「大丈夫だよ、すーちゃん。そーちゃんは、これでも理性を保ってるはずだから」
「安心して」と、仁都は笑った。この先の展開が分かっているのか、二人とも目線を坂田と田本に向けていた。
「それに、ほんとにそーちゃんが怒ってたら、ビンタなんて生温いもので終わってないしね」
クスッと笑いながら仁都がそう言うと、俺は血の気が引く感覚を覚え、それと共に胃がキリキリとした。ただでさえ、友達同士の喧嘩に関わったことも、それを見たこともない俺が、正常な思考回路でこの状況に立ち会えるはずがなかった。
俺の胃が破壊される前に、この重たい空気を最初に破ったのは、坂田だった。歯をギリッと少しだけ噛み締め、拳を握り直すと口を大きく開いた。
「……屈め」
……坂田を除く俺たち全員、「は?」と言う顔をしてしまった。仁都も京治さんも驚いた顔をしている。二人が予想していた展開とは少し違うらしい。
「え、なんで……?」と田本が返事をすると、先程よりも重低音は声ではっきりと言った。
「……いいから、屈め。殴られたくなかったらな」
坂田の口から出たとは思えない乱雑な言葉遣いだった。流石にそれ以上追求するのはやめた方がいいと思ったのか、田本は言われた通りに屈んだ。すると、坂田はそのまま自分の胸に田本の頭を抱き寄せていた。
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「……頼むから、こんなこと……もう二度としないでくれ」
震えた坂田の声が、俺の頭の上から溶けるように零れてきた。俺の頭を抱き締める手は、今にも崩れてしまいそうな勢いで震えていた。
「……ごめん」と、もう一度謝ると、「ごめん、じゃなくて返事ははい、だろ……バーカ」と、ぶっきらぼうに返されてしまった。鼻水を啜る音と、嗚咽混じりの声が耳元に届いた。
「……うん、もう二度と……しないから」
そう言うと、彼は鼻でフンッと笑った。
「……だーから、"はい"だって言ってんだろ」
「あたたたっ、坂田やめて。耳引っ張らないでよ」
「うるせぇーよ、こんにゃろ」
そう言うと、笑いながら両手で俺の頭をくしゃくしゃに撫でた。折角の美貌も台無しだな、そう笑った彼は、そのまま俺を抱き締めた。怪我をした腕を避けて触れたその温もりは、僅かに熱を帯びていた。
「……ほんとに、心配したんだからな」
その声は涙に混じり、触れれば壊れてしまいそうな位に優しくて、胸の奥底から熱い何かがこみ上げてきた。そして、それと同時にどこか懐かしく感じ、目頭が熱くなった。ふわりと香る彼の香りに、俺は思わず目を閉じた。
……そう言えば、彼はあの時と同じように泣いていたんだっけな。
それは、俺が妹を助け、救急隊員にある事を聞かれ、こう答えた時のことだった。
"……妹さえ無事なら、それで良かったんです"
少し赤く濡れた手が生臭く、頭も体もズキズキして痛かった。どうして俺がこんな目に遭うんだろう。本当は泣きたくて仕方がないのを堪えて、それでも精一杯笑顔を作った。そうしたら誰も怒らない。そう思っていたからだ。
……だけど、とある男の子だけは怒っていた。
『なんで……なんだよ……!』
その男の子の顔は今でも覚えてる。キッとこちらを睨みつけ、眉間にシワを寄せながら、小さな拳を握り締めて、俺の代わりに泣いていた。
『なんで妹がよくて!お前は傷つかなきゃならないんだよ!?』
それは大きな声で、俺の心を代弁するように、俺の両親と俺に言い放った。その男の子は、頬に大きな擦り傷を負っていた。それは、俺を誘拐犯から庇う時に出来た傷だ。
当時、その男の子は今と違って黒髪で俺よりも背が大きかった。ドラマの撮影か何かで偶然、誘拐犯に殴られていた俺を見かけ、止めに入ってきてくれた。しかし、大人の力に子どもは勝てない。それを分かってか、機転を利かせ、彼が派手に暴れたおかげで騒ぎとなり、周りの人たちが警察に通報してくれたのだ。
そして、俺は男の子と昔からの顔見知りだった。
『なんでお前はいつもそうやって笑ってんだよ!!!痛いなら痛いって言えよ!!』
ぶっきらぼうに怒声を浴びせるその姿も表情も仕草も、俺は昔から見ていた。手当をしている救急隊員のことを無視し、ズカズカとこちらに歩んできた。こらやめなさい、と止めに入る救急隊員をも払い除けて、彼は俺の肩を掴んだ。
『……お前さぁ、どうしていつもそうなんだ!!』
クワッと噛みつかれそうな程大きな口で怒鳴り声をあげた。その迫力に圧され、俺は硬直したまま動けなかった。
『顔色ばっかり窺って、言いたいこと言いたい癖に全然言えなくて……それでもお前、子どもかよ!!』
そう言うと、肩を力強く押しながら顔を伏せた。ぐぐっと押されるその手は段々と力を帯びていた。
『なんでなんだよ……』と震えた声でそう言い、俺の肩から手を離すと、そのままそっと俺を抱きしめた。背が小さかった俺は、彼の胸の中に顔がすっぽりと埋まった。脈打つ心臓の音がやけにうるさくて、暑苦しかったのを覚えてる。
そして、俺を強く抱き締めながら、彼は涙混じりに言った。
『……お前だけが傷ついていいわけがないだろ。本当は痛かったんだろ、辛かったんだろ?なあ……?』
そう言うと、彼は鼻水を啜りながら優しく頭を撫で、子どもを落ち着かせるように言った。
『……本当に心配したんだからな』
そう言われた瞬間、どこかで栓をしていた心の叫びが、吐き出されるように口からどんどん零れた。子どもみたいに大きな声で泣き叫び、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになり、言葉にならない声と嗚咽が零れた。まるでダムの決壊とでも言うように、俺は溜め込んでいた全てを吐き出したのだ……。
……その時の温もりは、今でも覚えてる。それは両親よりも、妹よりも、誰よりも温かくて優しくて……。
……今みたいに、坂田に甘えて泣いていたことを。
「……坂田、汗くさい」
「俺に心配かけさせた罰です〜。ってかいい香りじゃん?」
「え〜……冗談は顔だけにしてよ」
「は?」
「すげー腐ったみかんみたいな臭いする」
「お前なぁ〜!!」
坂田は俺から離れると、思いっきり耳を引っ張った。痛い痛いと言いながらも、そのやり取りがちょっと嬉しくて、不覚にも涙を流していた。
彼がいる有り難さに今回も感謝しながら……。




