第56話 せいぎのみかたに、なれたのなら
第56話 せいぎのみかたに、なれたのなら
……息が苦しい。想像以上に、自分には体力が無いらしい。自覚はあったけど、高校生になってこんなにも体力が無いのは、些か、いや、かなり問題かもしれない。
こんな事になるなら、仁都と一緒に朝のランニングでもしておけば良かった。彼は毎朝欠かさず、1時間ほど近所を走り回っている。それはこの旅行の時も同じで、山道が気持ち良かったと朝一番にいい笑顔で言ってくれた。流石である。まあ、もし一緒に走ったとしても、結果は目に見えているんだけど……。
情けなさすぎて、一周回って口角が上がる。この旅行が終わったら、俺も朝のランニングに付き合わせてもらおうかな……きっと死んじゃうかもしれないけど。
そうぼんやりと考えていると、俺の横にいる小さな彼女は、心配そうに俺を覗き込んだ。
「ソウゴ、だいじょうぶ?」
肩で息を切らしているからか、彼女は眉を下げて俺の頬に自分の手をあてた。小さな柔らかい手がひんやりとして気持ちがいい。反対に俺は、自分でも分かるくらいに体温が高い。汗も留まることを知らずに垂れてくる。
その点、彼女は凄かった。今ここまで逃げてきても息一つ切れやしない。子供の体力は無限大と言われる理由がなんとなく分かった気がした。
汗臭くないかな、なんて余裕のある心配をしながら、俺は大丈夫、と笑った。
「ごめんね、エトちゃん。少しだけ……休んでもいいかな?思ったよりも、ソウゴお兄さん、体力が無いみたい……」
そう言うと、彼女はうん、と頷いて顔を下げたあと、何か思いついたように顔を上げ「じゃあ、いまは、エトがソウゴをまもってあげるね!」と眩しいくらいの笑みを見せた。そして、キリッとした顔を見せ、真剣な眼差しで周囲を監視し始めた。まるで、小さな兵隊さんだ。思わず、ふふっと笑ってしまう。
「ありがとう。頼もしいね」
「だって、ソウゴのためだもん!」
「じゃあ、頑張って回復させないとね」
「あ、じゃあ!エトがまほうをかけてあげる!えーっと……いたいのいたいのとんでいけー!」
その使い方はちょっと違うかな、なんて言いかけたが、一生懸命な彼女が可愛らしくて、それだけで充分俺には効果があった。つくづく、彼女は小さい頃の俺の妹に似ている。思わず頬が綻んでしまった。
今、俺たちは山中の途中の草むらに隠れている。誘拐犯の男をどうにかして振り切ったのは良いものの、完全に迷子になってしまい、尚且つ俺の体力にも限界が来たので、俺たちはまだ人が隠れられそうな整地された草むらに身を潜めていた。
振り切ったとは言え、必ずしも追ってこないとは限らないし、諦めるとも思えない。あいつらの狙いは、彼女なのである。俺の事なんかどうでもいいし、あの様子だと最悪殺されかねない。
一刻も早く、警察に駆け込まなければならない。切羽詰まった状況が続いていると分かっていても、体はそうそう言う事を聞いてくれない。普段から体との意思疎通がちゃんと取れてないからだよ、なんて仁都に言われる未来が見える。それに同意するように、正解、と坂田が冷たい目で言うと思うし、雀宮くんは正直者だから何も言えないような顔をするんだろうな。
頭の中は段々と冷静になってきている。あの3人のことを思い浮かべる程スッキリしてきている。
ふと、こんなことを考えてしまう。
……もし、彼女の隣にいるのが俺じゃなくて、あの3人の誰かだったら、もっと早く助けられたのではないか。
坂田曰く、俺の悪いところは、劣勢な状況下になるほど自分を責めてしまうところらしい。だけど、頭では理解していても、現実は目に見えて分かっている。
今ここにいるのが、仁都だったら誘拐犯なんてすぐにやっつけてくれるだろう。
雀宮くんは、仁都並みに強いし、ああ見えて物事を冷静に判断して的確なアドバイスを出してくれる。
坂田は坂田で、芸能界で色々と叩き込まれてるから、ちょっとやそっとじゃ負けないし、それなりに臨機応変に出来たと思う。
男の俺から見ても頼りになる3人だ。そんな3人と比べたら、俺はなんて無力なんだろうかって思う。RPGとかで言う、後方支援、回復役とかでしか役に立たない。物理攻撃も出来なければ魔法攻撃も出来ない。
現に、一人の女の子すらまともに救えていない。『優等生』なんて、ただの飾りだ。本当に必要な時に役に立たないなんて、それは優等生じゃない。優等生であっても、本当に必要な時に発揮できない。頭が良いだけの優等生は、誰も救えないのだ。
「……ごめんね、エトちゃん」
もう何度目か分からない謝罪だった。いや、謝罪と言うより懺悔に近いものだった。彼女に対してか、自分に対してか、最早それすらも分からなくなっていた。俺は、彼らのような正義の味方になんてなれないのだ……。
「……ねぇ、ソウゴ。どうしてさっきからエトに、"ごめんなさい"ばっかりしてるの?」
俺が顔を下に向けていると、その頭上から彼女の声が降り注いだ。顔を上げると彼女は、少し不満そうに口を尖らせていた。怒っているのだろうか、少し頬を膨らませて両手で髪の毛を束ねて怒っている。
え、な、なんで怒ってるの……?
「えっと……ちゃんと、エトちゃんを助けられなくて、申し訳ないなって思って……」
あはは、と引きつった笑いを見せながら誤魔化そうとすると、エトちゃんはさらに頬を膨らませ眉を不機嫌そうに下げた。
「……なんで、もうしわけない、っておもうの?ソウゴ、エトのことたすけてくれたよ?それなのに、どうしてそんなこというの?」
彼女には俺の考えが全て見透かされているように見えた。ぐうの音も出ない、情けない俺に嫌気が差したのだろうか。「……でも」と言いかけたその時、彼女はやれやれと呆れたようにため息を一つついた。
「……エトね、たすけにきてくれたのがソウゴでほんとうにうれしかったの」
……思いがけない彼女の言葉に思わず顔を上げた。木々の合間から入り込む、月光に照らされたその姿は、まるで天使のようにも見えた。
「もちろん、エイイチロウやSPのひとでもうれしかったとおもう。だけどね、エトはそれでもソウゴがきてくれてうれしかったの」
そう言う彼女は後ろを向いて、指で宙を描きながら話を続けた。
「ソウゴは、ずっとわらってくれてた。エトがなかないように、ずっとわらって、エトをはげましてくれた。おおきなおとこのひとから、エトをまもってくれた」
くるりと体を反転させ、美しい白銀の糸を翻し、エトはめいっぱいの笑顔を見せてくれた。
「……だからね、ソウゴはエトの"せいぎのみかた"なの!」
……その瞬間、心の中にある枷が一つ外れた気がした。彼女にとってこうあるべき、そう押し付けていたのは自分だったのだ。彼女にとっては、強いとか弱いとかそういうのでは無かった。『田本宗吾という人物だからこそ良かった』その言葉は彼女が思っていた言葉で、俺が一番欲しかった言葉だったのかもしれない。
それをこんな小さな女の子から貰うなんて、人生何が起きるか分からないな。
彼女はそう言うと、「だから、あやまるのはきんし!」と人差し指を作って口元で✕印を作った。いーっ、と唇を伸ばしながらえへへと笑う姿は、幼い子供そのものだった。それがあまりにも愛らしく、俺はそっと彼女の頭を優しく撫でた。
「……うん、分かったよ。ソウゴお兄さん、もう謝らないよ」
『エトちゃんの正義の味方だもんね』
そう言うと、彼女はうん!と大きな返事をした。こんど、あやまったらはりせんぼん、のますからね!と言われてしまった。それはそれで、恐ろしいものである。それだけは、お許しを……!なんて、笑ってしまった。
……しかし、そんな束の間の休息も長く続くことは無かったのだった……。




