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第52話 おねがいだから

 第52話 おねがいだから



「エトちゃん……どこに行ったんだ?」


 商店街の出口で立ち止まる。そこは祭りの出入口にもなっており、赤いカラーコーンには、『車両進入禁止』と書かれた紙が貼られていた。屋台の食べ物のソースの匂いや、甘い匂いがぐちゃぐちゃと混ざって、脳内にこびり付く。


 額から出る汗を拭いながら、周りを見渡した。見ても見ても、周りにはそれらしき子がいない。そもそも、エトの髪は銀色だ。目に付けばすぐにでも分かるものなのだが……。


 走り続けていたからか、喉に唾液か張り付いて呼吸がしづらい。普段から、運動をしていなかった為か、こんなところで要らぬダメージを受けていた。

 探し出すと啖呵を切ったはいいが、情けないことに体力はもう限界だった。

 坂田に、勉強だけじゃ体に良くない、と皮肉を言われたことを思い出し、呆れたように笑った。


「あはは……坂田、怒ってるだろうなぁ……」


 膝に両手をおいて、ケホケホッと咳払いをする。運動音痴特有というか、気持ち悪くて頭がガンガンと鳴り響く。ああ、辛いなあ。こんなことになるなら、体育真面目にやっておけば良かった……。


 何回か深呼吸を繰り返し、頬を叩いて喝を入れた。


「……ダメだよ、今ここで休んでいるわけには、いかないよ」


 そう言って、鉛に落ちたように重い足に鞭を打った。上体のバランスが崩れそうになったが、なんとか反対の足て堪えることが出来た。明日、筋肉痛くらいで済めばいいけど、なんて思いながら周りを注意深く見渡していると、大きな公園が目に入った。


「……自然、公園?」


 自然公園と書かれていたそれは、山と一体化している大きな公園だった。中は普通の公園に比べて木々が多く、外灯も点々とついているのだが思ったよりも人通りが無かった。

 公園とは言うが、遊具があるのではなく、ベンチが等間隔に置かれているだけだった。あくまでもコンセントが自然、ということなのだろう。


 入口付近に置かれたマップを眺めていると、所々に建物があるようだった。小さな湖もあるようで、白鳥のボート乗り場、なんてものがあった。


「白鳥の、ボート……」


 そう呟いた途端、俺の胸に何かが突き刺さる痛みを感じた。嫌に、呼吸が荒くなる気がした。思い出したくない記憶が、体中を駆け巡った。


 なぜか、嫌な予感がして、俺は足早に白鳥のボート乗り場へと向かった……。


 周りと世界が遮断されたそこは、静寂に包まれていた。ボートに波を打っては返す水の音、周りの森から聞こえる虫の音が風に乗って心地よく響いていた。

 水辺が近いからか、吹く風がひんやりとして涼しい。全身にへばりついた汗を剥がすように体全体をすり抜ける。

 湖は月の光に照らされて、キラキラと反射していた。深い藍色に染まり、月の光を歪ませてはいろんな形を作っていた。


「……エトちゃんー?」


 呼びかけてみるが、返事はない。ボート乗り場の管理小屋には電気がついていない。小窓から覗くが、営業が終了したのか中には誰もいなかった。そもそも、月の光以外に周りを照らすものがない。

 ポケットからスマホを取り出して、ライト機能をオンにする。心もとないが、これで探すしかないだろう。


「昔よく乗ったな、白鳥のボート……」


 ボート乗り場、という看板を指撫でながら、静かに呟いた。無機質な鉄の板でできた看板は体温を静かに奪っていく……。


 ……あれは、何年前のことだったろう。


 白鳥のボートがある公園で、昔は、妹といつもそこで遊んでいた。小さい頃から家族と行く場所で、通い慣れた遊び場でもあった。

 そのこともあってか、母親の方は安心して俺に妹を預けていた。

 俺も、二人だけで遊ぶのに慣れていたし、お兄ちゃん、だなんて言われて、少しだけ大人になった気がして嬉しかった。


 しかし、父親だけは俺のことを認めていなかった。子供だけで遊ぶことに、ではなく、妹を俺に預けることに。


 もう既に、この頃から父親とは関係が上手くいってなかった。俺よりも妹の方を大事にしていて、妹に何かあれば必ずその責任は俺に追及されていた。

 だけど、俺は昔から妹が好きだったからそんなのは気にしていなかった。


 だから、二人だけで遊ぶのは一時の安らぎだったというか、幸せな時間だった。


 ……だけど、そんなある日、事件が起こった。


 いつものように、公園に来て、ボートに乗ろうとしていた。今日は両親が仕事で留守だったので、俺と妹の二人っきりだった。

 俺が近場の自販機にジュースを買いに行ってる、その時だった。

 俺がボート乗り場に戻ってくると、妹がいなかった。隠れんぼかな?と思っていたら、どこからか、お兄ちゃんって声が聞こえた。

 声のする方へ走っていくと、妹が知らない男の人に連れてかれて、車に入れられるところだった。


「なにしてんだよっ!!!」と俺は持っていた缶ジュースを相手に投げつけ、防犯ブザーを鳴らしながら、相手が怯んでいるうちに妹を引っ張り出した。

 その当時は、冬場だったし、ボート乗り場には人が少なくて管理人の人も目を離していた。誰も助けてくれる大人がいなかったのだ。


 妹を助けて安堵したのもつかの間。その男の人は、俺の頭部を拳で殴ってきた。それだけじゃない。足や腕も殴ってきて、あちこちに痛みが響いた。

 でも、俺もやられっぱなしじゃなくて小枝とか石とかで応戦した。血が滴り落ちたその頃、妹が大人を何人か呼んでくれたおかげで助かった。


 頭部から血が零れ、手のひらが真っ赤だったのを覚えてる。そのうちに警察が来て、救急隊の人が来て、妹と俺は無事に保護された。両親も来て、妹は泣きながら抱きついていた。俺は、手当を受けながら救急隊の人に聞かれた。


『どうして逃げなかったの?』


 そう言われて、俺は父親と目が合ってしまった。父親は俺を許さないと言わんばかりの憎悪の目で見ていた。恐ろしくて思わず目を反らしてこう言った。


『……妹が無事ならそれで良かったんです』



「……ああ、懐かしいな」


 いつの間にか、皮肉かのように思い出に浸ってしまっていた。こんなことをしている場合ではないのに……。


「……お願いだから、エトちゃん」


 ……早く出てきてくれないか。


 そう思っていると、どこからか、ガサガサッという音がした。

 風が吹いているわけでの無いのに、それは草木が擦れるような音だった。

 音のした方を振り向くとそこには、月光に包まれた鬼灯畑が並んでいた。

 湖の真横に隣接していて、ボードに乗りながら鬼灯を楽しめるという、この町ならではの観光スポットなのだろう。湖に向かって列を作り、様々な大きさの鬼灯が、光を帯びたようにその朱を赤らませていた。

 まるで作を豊作を祈るかのように並ぶそれは、幻想的で美しいものだった。


 ……そして、その列の隙間から、光に照らされて白銀に輝く塊のようなものが見えた。それは、小動物のように体を震わせ、鬼灯の枝を持つ小さな手が見えた。


「エト……ちゃん?」

 

 俺はスマホをかざして、鬼灯畑の中へと入っていく。人一人分が通れるような深い溝が、通り道になっていた。丁度、影が綺麗に入るようだ。俺の立つ位置が光をまともに浴びる。

 目線を合わせるように、その場にしゃがみ込んだ。同じ目線になって、ゆっくりと微笑んだ。

 白銀に染まるそれは、儚くも美しく忘れられな色だった。

 ……そこには、俺の探し求めた小さな女の子がいた。


「……エトちゃん、みーつけた」

「……ソ、ソウゴ……?」


 彼女は目にいっぱいの雫を溜め込んで宝石のように零している。愛らしい、だけども一人ぼっちで辛かった寂しかったという気持ちが、その宝石に綴られていた。

 そして、エトは体を震わせ、静かに俺に抱きついてきた。


「うわあああん!!ソウゴ~!!ソウゴ~!!」

「ごめんね……怖かったよね。遅くなってごめんね」

「うわああーっ!」


 静かに抱き締め返して、そっと頭を撫でる。ふわふわと柔らかい毛並みから彼女の体温が伝わる。Tシャツの襟元に彼女の涙が染みる。


「こ、こわかったのっ!エトのパパとママがエトのこと呼んでるって、男の人にいわれて、それでっ!ついて行ったら、エトのこと連れ去ろうとして、それで、逃げて……っ!!」

「もういいよ、もういいんだよ、エトちゃん、大丈夫だから」


 こんなにも小さくて壊れそうな体に、不安や恐怖を与えていたのかと思うといてもたってもいられない気持ちになった。早く帰って彼女を安心させることが先決だ。


「エトちゃん、松柳さんが心配してたよ、俺と一緒に帰ろう?」

「うん、かえるっ。エト、おうちにかえりたい!」


 そう言って、俺が立ち上がった時だった。彼女は、俺の影を見てなにか思ったのか大声をあげた。


「ソウゴっ、うしろ!!」


 そう言われ、後ろを振り返った時だった。そこには、鉄パイプを持った男が、俺にめがけて振り下ろしてきたのだった。


 あ、やばい………。


 油断していた。そう思った矢先、ガンッという音がその場に響き渡った……。





久しぶりに言ってみようかな。


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