第50話 さんさいうどん
第50話 さんさいうどん
「エト……?」
……それは、確かにエトだった。後ろ姿から見える銀色に輝く細い糸が、絡むことなく宙を沿うようになびていた。あんなに綺麗な色は、人工的に染めたとしても表現出来ないはずだ。
どんなに綺麗な色も、一つでも違う色か混ざっていればもうその色にはならない。それは、俺がよく知っていた。
だからこそ、確信していた。
でも、エトはどうしてこんな所に……?
追いかけようと足を踏み出し、一瞬目を離すと、もうその場にはエトはいなかった。人の波に紛れて見えなくなっただけかもしれない。だけど、不思議なことに妙な違和感を覚えていた。
【確かにそこにいた】はずなのに【まるで最初からいなかった】かのように、心の中になにかモヤッとした気持ちが残った。
「……見間違いか?」
思わず口に出してしまった。見間違いにしては、何故か気持ちが落ち着かない。胸騒ぎ、というレベルでは無いのだが、言葉に出来ないもどかしさを感じていた。
しかし、そもそも見間違いの可能性もある。俺がその姿を見たのは一瞬だけ、しかも後ろ姿なのだから、今考えれば確信するほど説得力のある材料はなかった。
それに、エトがここにいたからなんだと言うのだろう。彼女だって遊びたい年頃だ。祭りに来ていたって当たり前だ。
……でも、妙に感じるこの嫌な感覚はなんなのだろうか……?
なんて、ぼーっと考えながらエトのいた場所を眺めていると、「どうしたの?」と田本が話しかけてきた。まだ、その後ろでは坂田と京治さんが正座をしながら、美由さんの説教タイムを受けていた。横から仁都が二人の間に入って宥めているようで、これはまだまだ長期戦になるなと見て見ぬふりをした。
「雀宮くん、ボーッとしてたみたいだけど……何かあったの?」
「あ、いや。大したことじゃないんだ、なんか、そこにエトがいた気がして……」
「え?エトちゃん?」
「まあ、見えたのは一瞬だったから見間違いかもしれないけど……」
「んー、でも、エトちゃんも子どもだし、こういうのに来てそうだけど」
「だよなあ……」
「……でも、なんかその顔、納得してないって感じだね?」
「んーまぁ、昨日のことがあるからなあ……」
昨日のこと、と言うと田本はその意味が分かったのか、ああ、なるほどと困ったような笑みを浮かべていた。
「確かに、ちょっと心配かも」
「好奇心が服を着て歩いてるもんだよな、エトは」
「もしエトちゃんが自分の妹で昨日みたいなことが起こったら、死に物狂いで探しちゃうかも」
「あー、妹さんと似てるからか」
「うん。だからこそ、なんて言うのかな、あれくらいの歳の女の子は目が離せないんだよね」
そう言いながら、苦い笑みを浮かべた田本の顔は、どこか疲れたような寂しそうな顔をしていた。
以前、田本の家庭内事情を教えて貰ったことがあるからか、なんとなく察しはついた。田本も家族のことでそれなりに苦労していることが……。皮肉にも、それが田本の人間らしさを表していることが……。
「……なんて、俺がいうとかなり危ない人に見える?なーんて……」
田本はあはは、と照れながら笑った。
「……フツーにお巡りさん案件だな」
「あははー……だよねー、自覚はしてる。過去にそういうことあったし」
「……は?」
「あ、違う違う!この前、仁都と2人で女の子が泣いてたから泣き止むまで一緒にいたら、通報されそうになったってだけだから!俺らはロリコンじゃないから!」
「……」
「黙らないでよ雀宮くん!あ、引かないで!お願いだから!」
必死に俺の袖を掴み、懇願する田本に笑いを堪えつつそんなやり取りをやっていると、どこからかバンバンッ、と空気が破裂するような音が鳴った。
すると、地元の人たちがそれぞれの屋台に一斉に動き出した。どうやら、鬼灯祭開始の合図のようだ。時計塔の時刻も夜の七時を指していた。
時計塔のある広場から、店街全体へ、順々に提灯の灯りがつく。鬼灯を象ったそれは温かみのある橙色を灯し、祭り特有の幻想的な風景を醸し出していた。
………様々な想いが飛び交う鬼灯祭が、今、始まったのだ。
「こんにちは~!山菜冷やしうどんいかがですか~?!」
「暑い夏にもピッタリですよー。この祭り限定ですよー」
「あ、冷やしうどん一つですか?ありがとうございます。一杯、六百円になります~」
俺以外の、三人の声が店先から元気よく聞こえる。接客慣れをしている坂田を中心に、仁都は持ち前のポテンシャルの高さ、田本は持ち前の紳士スキルを生かし、着々と人を呼び込んでいた。主に若い女性客を中心にだったが。
……かく言う俺は、全く接客に向いてない、尚且つ、お客さんに中学生か小学生かに間違われ、からかわれて回転率が悪くなったので裏方に。
裏方と言っても簡単な仕事ばかりではない。ゴミ出しや、食材の補充はもちろんの事、この屋台に隣接して食事のできるフリースペースがあるので、そっちの片付けや清掃が待っていた。
ちなみに、俺達の仕事は接客とその裏方の仕事とのみ。実際に作るのは地元のおばさ……いや、お姉さんたちと美由さん、京治さん。まあ、高校生がやれることなんて限られてるよなぁ……。
この屋台が販売しているのは、『山菜冷やしうどん』だ。一杯、六百円で昆布と鰹節が効いた少し色が濃いめの出汁に、うどんの上には山菜となめこ、わらび、ひめ筍、刻んだ青じそが盛り付けられている。
あとは色味に梅干しと大根おろしがのっていた。
テーブルに天かすと紅生姜を用意してあるので、好きなだけセルフでかけられる。
試食て食べたのたが、鰹節と昆布の相乗効果により効いた出汁がうどんに絡んで美味しかった。少し濃いめの色の出汁なのだが、意外と塩味があっさりとしていて鼻から抜ける香りがなんともたまらない。
うどんも、コシが強いので噛みごたえ抜群。うどんも名産品とのこと。うどん表面が出汁で黄金色にコーティングされて、麺一本の最初から最後まで楽しめる。
山菜等の食感もたまらない。様々な食感のハーモニーに、梅干しの甘酸っぱさが、ああ、夏だなあと感じる。天かすや紅生姜によってまた恐ろしく化けるのだ。試してみる価値はある。
……なんて、思わず解説してしまいそうになる位には美味しかった。うちでも帰ったら姉貴に作ってみよう。残念ながら、具材はスーパーで買ったものになるからここの美味さには負けてしまうが………。
片付けをしながら、お客さんの美味しそうに食べる姿を横目で見る。大人から子供まで、誰もが笑顔になっている姿に思わず頬が綻んだ。何よりもキラキラとしていて、心が温かくなる。不思議と後半戦も頑張ろうと思えるくらいの元気を貰い、テーブルを拭いていると、自分の目の前に大きな影が、覆う。
「おねーさん。なにしてんの?」
そう言われ、顔を上げるとそこには自分と同い年位の男性が数人いた。髪を染めていて、耳にはピアス。祭りによく現れる典型的なチャラい男たちだった。肌が黒く焼けており、海かどこかに遊びに行っていたと推測できる。
全員、背も高く、体格もいい。
「あの……何か用ですか?」
「うわ、マジで可愛いじゃん!」
「いやー、ごめんね~?こいつがお姉さんに一目惚れしちゃったみたいでさ~!」
「おいやめろよ~!!アハハッ!!」
そう言うと、その中の金髪の男が歯を浮かせたような笑いを見せてきた。そうすると、ほかの人達も悪ノリしたかのように笑い出す。
うわー……面倒臭いのに捕まったー……。
久しぶりに心の中で反吐が出そうなため息をついた。旅行中くらいは何も起こらず、平和に過ごせると思ったのに……最悪だ。
つーか、俺、お姉さんじゃねえんだけど……。
「……一目惚れは有難いんですけど、今仕事中なんで」
目を合わせないようにそっぽ向くと、余計に煽ったのか相手は「可愛い~!」と茶化しながら煽ってきた。
「えー、連れないこと言わないでよ~!少しだけ!少しだけでいいから遊ぼうよ~?」
「遠慮します」
「まあまあ、今日は祭りなんだからおかたいこと言わずに~!」
「俺たちと遊ぼうよ~!」
そう言うと、一番近くにいた相手の男が、俺の肩をしっかりと掴んでそのまま引っ張ってきた。不意打ちだったからか、体がフラついてしまった。すると、待ってましたと言わんばかりに腕を掴まれてしまった。不覚にも利き腕だった為、バランスがうまくとれなかった。
「ほらほら、遊びましょーよー!おねえ~さん??」
「やめろっ、つーか俺はお姉さんじゃ……!!」
そうやって腕をふり払おうとしていると、もう片方の腕にも男の手が伸びてきた。やばい……!!これはまずいぞ……!!と、身の危険を感じたその時だった。
「……あのさぁ、この子は、俺らの大事な子なんだけど~、触んないでくれる?」
そう後ろから聞こえたのと同時に、体が後方に持っていかれた。俺の腕を掴んでいた相手の腕も何故か解け、俺は空を描きながら後ろにいる人物に体を預けた。俺を包み込んてしまいそうな、その体は何度も感じたことのあるものだった。
「……仁都っ」
見上げればそれは仁都だった。俺の肩全体を腕でしっかりと抱きしめ、離さんばかりに固定した。見上げても表情は分からないが、腕の力を察するに、あまり機嫌の方は宜しくないと言える。
突然のことに、戸惑う男達は負けんとばかりに吠えてきた。
「はぁ?先に予約してたのは俺ら何ですけどぉ??」
「あとから横取りとかダッサ。その子は俺と遊ぶんでぇ、そっちこそ返してくださ~い。アハハッ!!」
煽りに煽られ、諦めずに俺の腕をとろうとするが、その瞬間風を切るように相手の腕が弾き飛ばされた。それはまるで、かまいたちが横切ったかのように、刃物を持たない腕落としだった。当然、相手は唖然とした後に徐々にやってきた痛みに耐えられなくて悲鳴をあげた。
「……ほんっと、よえー犬ほど、よく吠えるよなぁ?ああ?」
声色がおかしいですよ、仁都さん。元不良の本気怖いです。冗談抜きで。さっきの行為は、仁都がやったのかもう片方の腕で、やれやれと言うように手を出しては煽っていた。
……そうだった、こいつ、夏休みの時もこんな感じで相手のこと圧迫しては制圧してたんだっけ……。
相手は完全に怯みきってる。青ざめてるどころじゃない。本能でこいつに逆らっちゃいけないってなってる。おい、さっきの威勢はどこ言ったんだよ。
「……あれあれー?子犬みたいに震えちゃってるけど、もうすーちゃんのことはいいの~?」
そう言って、ニコッと笑顔を向けているのだろう。笑えば恐怖が増す。男達は、あっ、あっ、と嗚咽を漏らしたあと「すみませんでしたー!!!」と、忍びも驚きの速さでその場から退散して行った……。
「すーちゃん、大丈夫?!何もされてない?ごめんね!俺が見てなかったから!」
「あ、いや大丈夫……つーか、さっきのって……」
「さっきのって?」
「ほら、あの……腕のやつ……」
「ああ!それは大丈夫!手加減してあるから、跡が残るくらいだから大丈夫だよー!」
うわ~……それ、どこかで聞いたことのあるセリフだわ~……。
骨を折らなかっただけ感謝して欲しいよねぇ!と腕を組みながら頬を膨らませているが、全く可愛くない。恐ろしい言葉が聞こえた気がするが、聞こえなかったことにしよう。耳掃除しなきゃなあ……。
そう思っていると、あらかた落ち着いたのか、坂田と田本がこっちに来た。一部始終を見ていたようだ。
「大丈夫~?すずめくん」
「ああ、特に何も」
「女の子に間違われてて大変そうだったね」
「……見てたんなら助けてくれよ、田本」
「助けようと思ってたら、もう既に仁都が行ってたから……」
「最早セコムだよ、こいつ」
そう言って坂田は、えへへーと何故か褒められていると思っている仁都を引き気味で見ながら言った。
「どちらかと言うと、すずめくん助けてるよりも、仁都が男達をボコボコにしてるようにしか見えなかったんだけど……」
「あははー、ついうっかり」
「うっかりレベルじゃないんだよねぇ……」
「ってか、あの状況でビビらないすずめくんも肝が座ってるけどね」
「あははー、ついうっかり……?」
「誤魔化し方が双子みたいだぞ、お前ら」
なんてやり取りをしていると、「すみませんっ!」と、何やら切羽詰まった大きな声が聞こえた。なんだ?と後ろを振り返ると、体を丸め込み、膝に手をおいて息を切らした男性がいた。
黒く長い髪を一つに縛り、それが首筋から肩に流れていた。
「えっとあの……大丈夫ですか?」
と、田本が声をかけたところ、その声はっ、と言ってガバッと顔を上げた。
「その声は……!ソウゴ様、ですか……?!」
その人物は、昨日であったエトの執事、松柳永吉さんだった。しかし、昨日の時とは違い、服と髪が乱れボロボロになっていた。そして、呼吸を整えながら必死に喋りかけた。
「あのっ……!お嬢様を、見かけません、でしたかっ!?」
「エトちゃん、ですか?いえ、見かけてませんが……」
田本がそう言うと、松柳さんは顔を覆って落胆のため息を零した。
「そうですか……。ありがとうございます……」
「なにか合ったんですか?」
「……それが」
そう言いかけて、口を一旦つぐみ、しかし、歯を食いしばって言いにくそうに答えた。
「エトお嬢様が……いなくなったんです……!」
そう言う、松柳さんの目には嘘をついているような様子はまるで無かった。本当に、いなくなった。そう言われているように、俺と田本は感じた。
……そして、これが悪夢の始まりとなったのだった……。




