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◇◆ 五 ◆◇

それから私はデスクへと戻り、メールチェックの続きを行った。普段通りの作業だというのに、これまでの件が妙に引っかかって頭から離れず、作業効率は低下していた。

デスクの整理整頓、仕事の失敗のフォロー、平塚さんの態度の変化、池田さんの退社……思えば、不思議なことが立て続けに起こり過ぎている。正直、何が起こったのか全く理解できていない。脈絡が全然掴めていないのだ。

あれから午前の仕事を通常通りこなし、午後は外回りをした。今日は珍しく直帰できたのだが、私の心が休まることはなかった。どうしても気になって仕方がなかったのだ。

今日一日を過ごして、やはり私が知っていること、覚えていることが他者のそれとは異なることが多かった。これはちょっとした勘違いのようなレベルではなく、間違いなくその差は大きいものがあった。

一般家庭が夕食の時間を迎える頃、私は自宅で一人考え耽っていた。どうしたら上手く整理して考えられるのか、模索をしていた。そして私は、通勤中に電車内で読んだ記事のことを思い出し、鞄から新聞を引っ張り出した。あのときは、ただ不思議にしか感じなかった。しかし今思えば、この新聞には新しい記事が多すぎたような気がする。

改めて端から見ていく。すると、思いもしない記事が載っていた。死んだはずの芸能人が特集されていたのだ。もちろん、死者に対する特集ということではない。現役での活動の様子についてまとめたものだった。私の記憶では、既に亡くなって何年も経っていたはずだ。今朝は急いで読んでいたため気づかなかったが、私にとって変だと感じる記事が結構あった。

結論。やはり、何かがおかしい。

私の周囲で、私と同じような状況に陥っている人は一人もいない。私のデスクの近くの人達にそれとなく雑談がてら話を振ってみたが、みんな、こういった事実が当たり前なのだという振る舞いであった。誰一人として混乱している者はおらず、この現状に対して何の疑問も抱いていない様子だった。

逆に、私だけが変なのだろうか。

一瞬、私が以前に見た、パラレルワールドを舞台とした映画を思い出した。その作品では、何がきっかけになったかは覚えていないが、世界や人物はそのままに全く別の世界へと迷い込んでしまうのだ。幸運にも紛れ込んでしまった世界に主人公の理解者がいたため、彼の協力を得て元の世界へと戻るための模索をすることになる。そして映画の終盤では、何とか自分の世界へと戻ることができ、ハッピーエンドを迎える。

これはあくまでもフィクションの話として作られたものだ。だが、私の目の前にある現実は、この世界観に似たような雰囲気を醸し出している。現実的に考えてあり得ないが、百歩譲ってそういった状況に紛れ込んでしまったとしても、映画のような主人公を理解してサポートしてくれる人間が私にはいない。そう考えると、映画よりも絶望的な状況にあるように感じる。

だが、このメルヘンチックな考察を採用することは、あまりにも乱暴すぎる。

「………」

天井を見上げる。こんなとき、普段とは違う所へと目が行ってしまう。

……私は何かの病気にかかってしまったのだろうか。こんな症例を聞いたことはないが、もしかしたら非常に希な精神疾患なのかもしれない。そうでないと、この状況を上手く説明することができない。だが、こんなに冷静に考えられているのに、本当にそんな病に罹っているのかは甚だ疑問だ。

結局、私の今を説明できる決定的な材料は見つかっておらず、着地点を探しても見つからない状況にあった。

…色々と考えていたら、空腹になってきた。

ふと時計に目をやる。そろそろ夕食の時間だ。

妻はまだ帰ってきていないので、私は近所のコンビニへと足を運ぶことにした。いつも行くコンビニとは違うので、私は何を買うか少し迷った。しかし結局、いつも通りのり弁当を購入して帰ることにした。コンビニから帰宅してしばらくしても、妻が帰って来る気配はなかった。そして、相変わらずの孤独な夕食となった。


翌日、私は久しぶりに会社を休んだ。電話では、上司は明らかに渋っていたが、何とか納得をしてもらった。あれから考えて、結局医者に診てもらうことにしたのだ。そして、診察開始時間直前を狙って、最寄りの心療内科である赤須クリニックを訪れた。

建物の中は、清潔感に保たれた白を基調としたデザインだった。私は受付で手続きを済ませると、所定の場所で名前が呼ばれるのを待つことにした。周囲を見渡すと、先客が数人いた。

受付をして二十分程度してから、私の名前が呼ばれた。促されるままに診察室へと向かうと、少し太った男性の医者が椅子に腰を掛けていた。

「こんにちは。どうぞ、こちらにお掛けください」

「失礼します」

「今田さんですね?」

「はい」

「担当をします赤須と申します。今日はリラックスをして、思っていることを全て吐き出してくださいね」

赤須医師は優しい口調でそう言うと、笑顔を作った。

「それでは具体的な内容に入っていきます。最近、精神的に苦しいと感じたことがありましたか?」

「嫌な思いをすることはありましたが、そこまで強調する程でもなかったように自覚しています」

「そのことが原因で例えば食欲が無くなるとか、そういった日常生活のレベルでの変化はありましたか?」

「いえ、ありません」

赤須医師は適宜質問をしていき、その都度私は正直に答えた。特に答えに困る質問はなく、受け答えは最後までスムーズに進んだ。その結果、特に問題なしとの回答を得た。

ここ最近のことを考えると、私自身に何らかの原因があるように思えてならないのだが、専門家はそれを否定する結論を出したのだ。私は赤須医師に対して最近の出来事を全て話したのだが、それらは私の考え過ぎから来ていると言われただけだった。

これで、私が何らかの精神疾患に罹っているということは否定された。

だとすれば、この現象をどう捉えたらいいのだろうか。

一安心する一方で、私の混乱は深まるばかりだった。


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