◇◆ 十四 ◆◇
気づけばタイムリープをしていた。
今回は自分の意志ではなく、無意識のタイムリープだった。
今、私は全く記憶の無い部屋の中におり、スーツ姿で椅子に座っている。目の前には中年の男性が二人、そして私の横に知らない人が四人座っている。中年男性と私達五人の間には約五メートルほど距離があり、この状況から私は面接を受けているのだと思った。
それから、男性が私達に対して「それでは自己紹介をお願いします」と言ってきた。幸いにも私は五番目だったので、他の四人の発言内容を聞いて、それに合わせる形で自己紹介をした。彼らは出身大学と自己アピールを中心に自己紹介を行っていた。その内容から、今いる私の状況は、学生時代に就職活動をしていた場面なのだということを悟った。
この会社の採用面接は、元々の世界で実際に受けた面接なのか、それともタイムリープの末に受けたことになった面接なのかの判断はつかなかった。とにかく、全く私の記憶には残っていない。そのため、どういう分野の会社なのかすら分からなかった。しかし年の功というべきか、とりあえず面接官からの質問には無難に受け答えをし、なんとか面接を切り抜けた。元々の世界で三十年以上生きてきた私には、この程度の処世術は当たり前のように身についていた。
面接を終えると、私はすぐ近くの喫茶店へと入った。店内はそれなりに混んでおり、辛うじて席が一か所空いていた。
席に座ると、カバンの中から手帳を取り出した。当時はスケジュールを全てここに書いていた。携帯電話で今日の日付を確認して、手帳を見てみると、今日は午後二時から私が前にいた会社「ヘッドツイート」の面接を受けることになっていた。店内に掛けられていた時計を見ると、今は午前十一時過ぎだった。ここからヘッドツイートまではどんなに遅く見積もっても一時間で着く。そのため、私は面接までの間、ここで時間を潰すことにした。
そういえば、明子との出会いはこの就職活動だった。
ヘッドツイートの面接を受けていた時、同じグループに明子がいた。そして面接後、意気投合して食事に行くことになり、それがきっかけとなって交際へと漕ぎ着けたのだ。残念ながらヘッドツイートには私だけが採用になり、明子は落ちてしまった。私は落胆した明子を励まし、支えた。そして、別の会社の内定が出る頃には二人の絆はより深まっていた。
明子と結婚した直後は、幸せの連続だった。色々なところでデートを繰り返し、たくさんの思い出を作った。周囲からは理想的な夫婦だと言われた。だが、その裏側で仕事の忙しさから互いにすれ違いが増えていった。始めはそれでも二人の時間を作ろうと躍起になっていた。その甲斐もあって、何とか二人の愛は保たれていた。しかし、それは無理をして作り出したものであり、結局長くは保たなかった。そして私達は次第に互いに距離を作るようになり、元々私がいた世界では仮面夫婦の状態になってしまった。はっきり言って、口にこそしなかったが、当時は互いにどうでも良い存在であり、居ても居なくても変わらなかった。別に仲が悪かったとまでは言わないが、互いに求める程の存在でもなかったということだ。別れるなら別れるで、全然構わなかった。
それを考えると、就職活動での明子との出会いを無かったことにしてしまえば、彼女と一緒に生きていくという選択肢が消える。そして、きっと別の人と出会い、また別の形で幸せを手に入れることができたといえるだろう。
しかし、これまで行ってきた何度かの過去改変で、私と明子の間にあった隔たりは消え失せ、その代わりに本来持つべき絆が生まれた。その証として娘も授かった。この状況を客観的に見て、私は人並みに幸せを享受していると思う。
だというのに、何故このような場面にタイムリープしてしまったのだろうか。タイムリープをし始める前の段階では、私はそこまで意識はしていなかったが、明子との結婚を後悔し続けていたのかもしれない。しかし、今の私は明子との家庭を持ったことに満足している。もしかしたら、始めの段階での後悔の残滓が、こうやって私をタイムリープさせたという可能性もあり得る。それが真実なのかは分からないのだが。
「…」
――今ならやり直せる。
ふと黒い考えが頭をよぎる。
もしかしたら、もっと良い女性が現れるかもしれない。過去改変によって得たこの幸せと、保証は無いがこれから出会うであろう魅力的な女性達との幸せ。このアンビバレントな選択肢をどう捉えるか。
考え始めた直後は、何馬鹿なことを考えているんだと思い、一旦止めた。しかし、人間とは何故こんなにも欲深い生き物なのだろうか。選ぶべきでない選択肢が頭からなかなか消えて無くならない。あの今の家庭に満足していると言った自分は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。自分勝手な話だが、難しい選択を迫られていると感じていた。
店員を呼んで、ホットコーヒーを注文すると、すぐに持って来てくれた。
少し冷静に考えるべきだ。
私はそう思い、コーヒー片手に周囲へと目をやった。
このお店は、外から中が見えるように、ガラスをたくさん利用していた。照明も細部まで行き届くように配慮されており、いわゆる昔ながらの如何にもタバコの煙が似合うような喫茶店とは真逆の作りをしていた。愛煙家が煙たがられる現代のニーズを反映したということなのか、そういう時代になったのだということを改めて感じさせた。
平日のこの時間帯でも、客は常に訪れていた。年齢層は比較的高く、こういう店を休憩所代わりに利用しているような印象を受けた。そのため中高年の利用者ほど回転率は高く、逆に大学生ぐらいの若者は読書や勉強をしている人が多く、長時間ここに居座るつもりなのが見て取れた。私も大学生の頃はよくそういう目的で喫茶店やファミレスを利用していた。特に試験の前は友人と一緒に缶詰めになって勉強をしていたことを思い出す。
人間観察をしていると、心が落ち着いてきた。そして、今一度私がいる状況を客観的に考えてみた。すると、私の中に充満していた黒い影はすぐに消えていった。
私の頭の中から、陽菜の顔が離れなかったのだ。私は我が娘に強く諭されたように感じた。あの顔を見て、切り捨てることなど誰が出来るものか。明子や陽菜を絶対に裏切ることはできないというのに、何故私は変な考えを持ってしまったのだろうか。私は、自分で自分を殺してやりたい気持ちになった。あの何気ない日常が、私にとって一番の宝物なのだ。
そうして、タイムリープしてきたものの、私は過去を事実通りになぞる決意をした。
これは推測でしかないが、恐らく前回の経験から、一度戻った過去にはもう戻れないのだと思う。過去改変にやり直しは効かないのだ。明子とのやりとりによっては、未来がガラッと変わってしまう。もし明子との関係が消滅してしまったら、未来に予定されていた陽菜との出会いは当然なくなる。
本当ならこのタイミングでタイムリープを終了して現代へと戻れたらいいのだが、残念ながら私はそのやり方を知らない。だから、慎重に慎重を重ねて行動していくしかない。
時計は午後一時を指していた。
私は蒸し暑さを我慢しながらスーツの上着を羽織り、ヘッドツイートが入っているビルへと向かった。
エントランスに入ると、立て看板に矢印とともに「株式会社ヘッドツイート二次面接会場は四階です」と書かれていた。それにしたがってエレベーターで四階に上がると、採用担当と思われる若い男性社員が誘導をしていた。この会社は私が以前勤めていた会社だ。もちろん、彼が誰かは知っている。今は如何にも下っ端のような振る舞いをしているが、数年後には後輩に対して威張るようになる。
三十名ほど収容できる会議室のような部屋へと通されると、別の社員が出迎えてくれた。そして、番号札を渡された。私の番号は十九番だった。この番号順に面接に呼ばれるのがこの会社の方式だった。
室内では、既に先に付いていた就活生が何人か座っていた。部屋に入る瞬間、明子がいるのではないかとドキドキしたが、まだ着いてはいなかったようだ。私はこの段階ではまだ明子の存在そのものを知らなかったので、こういった形で二人の出会いを振り返るのは不思議だが面白い感じがする。変な話、ワクワクする感覚が湧いてきていた。
しかし、何があろうとも決して目的を忘れてはいけない。あくまでも過去をなぞって、ついさっきまで生きていた現代へと戻るのだ。
「あ」
私が到着して数分後に、明子―――当時は西山さん―――が入ってきた。少し急いで来たようで、額に汗が滲んでいるのが遠目でも分かる。明子は空いている席に座ると、ハンカチで汗を拭いていた。
直後、採用担当者の社員が室内へと入ってきた。
「本日はお忙しいところ弊社の採用面接にお越し頂きましてありがとうございます。受付で配布した番号順に面接室にお呼びしますので、それまではこちらで待機をしていてください。宜しくお願い致します。それでは早速、一番から五番の方、どうぞ」
そうアナウンスされると、緊張した面もちで就活生達が席を立った。そして、部屋を出ていく後ろ姿を他の就活生の視線が追っていた。
待っている間、周囲を見ても全部で二十名程度しかおらず、この中から私が採用されると分かっていても、緊張してしまっていた。待機組の間では何も会話は無く、携帯電話をしきりにいじったり、本を読んだりと個々で過ごしていた。結局、私は最終組で呼ばれ、明子も予定通り同じ組に入っていた。
面接室に入ると、三人の面接官が既に座っていた。席に座ると、早速面接が始まった。
「では、私から見て一番左の方からAさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんとします。これから質問をしていきますが、質問ごとに回答順を変えようと思います。緊張していると思いますが、リラックスして受け答えして頂ければと思います。早速ですが、自己紹介をお願いします。EさんからAさんという順番でいきたいと思います。Eさんお願いします」
自己紹介は誰もが予想できることだったので、みんなスムーズに行うことができた。
見てみると、真ん中に座った面接官が中心となって話を進め、両隣の二人が記録をつける担当のようだった。私は、他の就活生が話している間、当時の面接がどんな感じだったかを思い出していた。
実はこの面接官の仕事、過去に一度だけやったことがある。当日に採用担当が病欠をしたため、代打で入れられたのだ。当時の就活生はそんなことも知らずに一生懸命受け答えをしていたが、私は割と適当にこなしていた。実際の採用面接なんて、その程度のものだ。就活生からすると、人生を決める一大イベントなのだろう。しかし、こちらはそこまで強く力を入れていない。面接を通して人間性が見えることはほぼ無いと言ってもいい。そのため「人として歪んでいないか」というごく当たり前のことを確認する程度にとどまっていた。結局、採用の可否は偉い人たちが決めることであり、私達は彼ら彼女らを精度の低いふるいにかけているだけなのだ。
ヘッドツイートの質問事項は基本的な内容ばかりで、グーグルの採用試験のような奇抜な質問は全くなかったはずだ。その知識が私自身を落ち着かせた。
「次に、弊社を志望した理由をお答えください。AさんからEさんの順番でいきます。では、Aさんお願いします」
このAさんが明子で、私はDさんだった。
「わ、私は、大学でITについて学んできました。それを活かす職種を希望していまして、御社を志望しました」
それからBさん、Cさんが答え、私の番となった。
「では、Dさん」
「はい、私が御社を志望致しましたのは、御社が風通しの良い社風であるということがあります。私は若手とはいえ意見は何でも言っていきたいと考えておりますので、私の求める将来像と御社の相性が良いと考え、志望させて頂きました」
「以上で、面接を終了します。荷物の忘れ物がないよう、気をつけてお帰りください。どうもありがとうございました」
面接にかかった時間はおよそ二十分程度で、かなり消耗する内容となった。
私としては具体的な発言を思い出せれば良かったのだが、あまりにも昔のことだったので全く覚えていなかった。そのため、この採用担当の好みに合わせて答えた。彼のことも良く知っている。
「失礼致します」
面接室を出ると、体が軽くなったように感じた。この程度のことで緊張するほど、私は若くはない。しかし、今回に関しては普段と話が違う。私の取る一つ一つの行動によって、未来が変わってしまう可能性があるのだ。その恐怖心が常に私の中にあり、緊張感を生んでいた。
「あの」
「…はい?」
少し脱力していると、後ろから声をかけられた。女性の声だ。私は声の方へ振り向くと、そこには明子がいた。一瞬ドキッとしたが、すぐに脳内を冷却し、落ち着かせた。
「さっきの受け答え凄かったですね!何社も回ってるんですか?」
「いや、全然ですよ。まだ少ししか回っていないです」
「そうなんですかー。私もあのくらい言えるようになりたいです」
「いやいや、あ、お名前は何でしたっけ?さっきの面接では確かAさんでしたよね?」
「西山です」
「僕は今田って言います。西山さんだってしっかり話せてたと思いますけど」
「私はもう緊張しっぱなしで、自分で何を言っていたかすら覚えてないですよ」
「あー、でもそれって結構あることですよね。よく分かります」
「今田さんもそういうことあるんですか?」
「全然ありますよ。僕もどっちかって言えば緊張しいなので」
「それであれだけ言えれば十分じゃないですか」
「そう言ってもらえて嬉しいですけど、自分じゃまだまだですね…あ、そうだ。今時間ありますか?」
明子は腕時計を見た。
「はい、ありますけど」
「せっかく会ったんだし、これも何かの縁ということで、喫茶店でお茶でもしませんか?」
私はそう言いながら、なんてベタなナンパだと思った。恥ずかしい話なのだが、これも事実だ。本来ならもう三十年以上生きているというのに、こんな古典的なナンパをしなければならないということに、私は恥ずかしくて爆発しそうだった。しかし、なんとかそれを表情に出さなかっただけ努力はしたと思う。
「いいですね!今田さんの就活の話とかも聞きたいです」
「確か、駅の近くにあったはずなので、行ってみましょっか」
「はい!」
こうして、私は明子と出会ったのだった。
こう当時のことをリアルに振り返ると、今でも明子にドキドキしてしまう。こんなに可愛かったっけ…なんて思ってしまう自分がいる。今回のタイムリープ、扱いが非常にデリケートだが、これまでで一番楽しく感じている。やはり、これが明子の魅力なんだと思った。
明子と喫茶店に入るところで、テレビのスイッチを切るかのように意識が途切れた。
気づけば布団で寝ていた。現代に帰ってきたのだ。
しかし、この現代は私の知っている現代ではなかった。




