◇◆ 十二 ◆◇
これまで、私はタイムリープは無意識に起こるものだと思っていた。事実、ただ寝ていたらタイムリープをしていた。しかし、明子とのやりとりを経て、意図的にタイムリープができないものかと考え始めた。そして、ここ数日間、何度か試しているうちにそのコツをつかむことが出来た。
飛びたい時期のイメージをぼんやりと脳内に展開させ、それと同時に全身を虚脱させて意識を遠くへ飛ばすのだ。言葉にするとこの程度のことかと思うかもしれないが、実際は難しい。始めは全然上手くいかなかった。しかし、一度コツをつかんでしまえば容易い作業となった。
意図的にタイムリープができるようになった今、もう誰も私を止めることは出来ない。結局、都合が悪ければリセットしてしまえばいいのだ。悩むことなんて何も無い。
あれから、私は仕事のミスを無かったことにした。長期間にわたる新規顧客獲得の活動に私のミスが蔓延っていたため、その修正には骨が折れた。しかし、苦労の甲斐あって無事に理想的な着地を見せた。結果、今はこれまで以上に過ごしやすい環境を手に入れた。職場での重苦しい雰囲気は微塵もなくなり、何より私は仕事ができる人間として一目置かれる存在であり続けることができた。
こうして完璧な仕事人としての地位が確立されると、自然と私の周りに人が集まってくるようになった。その中でも、一番多かったのが仕事の相談だった。もちろん本当の私はそこまで仕事ができる人間ではない。分かるものについてはいいとして、分からないものについてはタイムリープを活用してなんとかした。今の私のキャラを考えると、分からないものがあってはいけないのだ。そうしてさらに信頼を勝ち取ることができた。すると、今度は仕事の相談だけでなく、ただの雑談なども増えていった。昔の私は、社員同士の雑談は仕事をサボっているだけじゃないかと考えていた。しかし、今置かれている私の環境下において、社員同士の雑談が互いの距離を近くし、一緒に仕事をしていく上でやりやすくなる効果があるのだということを知った。
中には若い女の子が私に擦り寄ってくる場面もあった。私自身が目当てなのか、私の持つ地位やお金が目当てなのかは分からない。正直、女の子にチヤホヤされるのは、男として嫌な気はしなかった。しかし、私にはそれ以上の欲は無く、のらりくらりと躱していた。この時点で、職場における不満はほぼ全て解消されたと言っていい。業績も人間関係も、元々いた時間軸に比べれば圧倒的に改善された。
今回の「職場環境改善」によって、私はタイムリープについてさらに理解を深めることが出来た。そして、ここで出来たことは、別の場面にも応用出来るはずだと自然に考えるようになった。この発想に至るまでにそこまで時間は要しなかった。
次の対象は金だ。
私の取り巻く環境を考えると、金さえ手に入れば間違いなく勝ち組の人生を歩むことができる。こうして私に足りない物がまた一つ無くなっていくのだと思うと、ふつふつと笑いがこみ上げてきた。
手っ取り早く、かつ合法的に金を手に入れるには、宝くじが一番都合がいい。今回はそれを狙うことにした。
宝くじには、ただ買うだけのものと、自分で番号を決めるタイプのものがある。本来どちらも確率の世界になるわけだが、今の私から見て後者は絶対的に当たる宝くじとなる。
今回のタイムリープでは、前回のロト6の記録を参考に確実に当てにいこうと思う。ロト6は01~43までの数字から6つ選ぶというもので、1等の当選金は約1億円である。当選者が出なかった場合は、当選金は次回へとキャリーオーバーされ、最大で4億円にまで膨れ上がる。昔と違って、今は週に2回行われるようになったため、なかなかキャリーオーバーしにくくなった。しかし、ここ2年くらい1等が一度も出ておらず、ずっとキャリーオーバーされていた。そして、前回ようやく4億円が出た。それまで溜まっていた鬱憤を晴らすかのようだった。
私は過去の資料を見て、しっかりとその当選した番号を脳内に記憶した。
02、13、25、29、33、39だ。
「おに、いさん、にこ、にく、サザン、サンキュー」
意味をなさない文章だが、これで間違いなく覚えることができるだろう。
今回は元々の当選者と私の二人が一等当選を取るシナリオだ。大金を手にしたら何をしようか。想像するだけで心が躍る。
目を開けると、ベッドの中にいた。一瞬、タイムリープを失敗したのかと思ったが、枕元にある時計を見て、三日前に飛んだのだということが分かった。
この日は休日出勤だったが、確か半ドンだったはずだ。明子も用事があるとかで、家を空けていた。私はすぐに出勤する準備をすると、いつも通りの流れで家を出た。
午前中の仕事は私にとっては二度目なので、効率化してこなすことができた。確か始業してから数十分後に、部下がちょっとしたミスをしでかすのだ。私は記憶を頼りにその先回りをし、部下がミスをするのを防いだ。そういったこともあり、午前の仕事はこれまでに無いくらい早いペースで進んでいた。機転の効いた私の行動に、周囲からは感謝の言葉が溢れた。しかし、私にとってそんなことは重要なことではなく、愛想笑いで合わせただけだった。始めから私の心はここにはなく、これから起こるイベントのことしか考えていなかった。
お金というものは、こうまで人の心を不安定にさせるものなのだろうか。
早く買いに行きたい。
頭の中には、ただそれだけがぐるぐると渦巻き、常に私を急かしていた。その気持ちが、私をいつも以上に集中させ、仕事を高速化させた。しかし、どこかふわふわとした感覚が漂い、何をしていても心臓の拍動音が聞こえていた。
午前の仕事を片づけると、私はバタバタと帰る支度をした。そして、そこに至るまでに起こり得る全てのリスクを排除し終えていたので、何の障害もなく職場を後にすることが出来た。
ビルを出てから、私は売り場へと急いだ。建物を出て青空の下に身を晒した瞬間、浮いてしまうのではないかと錯覚するほど体が軽く感じた。始めは普段と変わらないペースで歩いていたのだが、その軽さ故に自然と足早になり、気付いたら無意識に走っていた。
売り場に着くと、汗が大量に吹き出した。全身が汗だらけになっていた。スーツのポケットにハンカチが入っていたが、私はそれを忘れてスーツの袖で額の汗をぬぐった。周りの目など、今は気にしていられるほど余裕がない。そんなことよりも、今は目先のことが大切なのだ。
受付では、記憶にある通り02、13、25、29、33、39を選んだ。何度も心の中で「お兄さん、二個肉サザンサンキュー」と復唱をしていたので、まず間違えることは無かった。
私は「当選券」を鞄へと入れると、自宅へと向かった。道中、周囲の人達が私の鞄を狙っているのではないだろうか、と何度も思った。大金へのチケットを持って歩いている今、何もかもが疑わしく見えていた。私は鞄を両腕で抱えるようにして持つと、周りを気にしながら歩いた。端から見ると不審者は私の方なのだろうが、私はこの勝利へのチケットを死守できるなら他はどうでもいいとさえ思っていた。
自宅の玄関まで着くと、ようやく鞄を両腕から解放した。鞄には特に手汗の跡が付いており、このとき手の平から大量の汗をかいていたことに気付いた。
私は鞄から鍵を取り出すと、すぐに玄関の鍵を開けた。
家の中に入り、ドアを閉めて鍵をかけた瞬間、これで勝ったと思った。それまで苦労してきたことが全て報われるのだと思うと、解放感とともに脱力感が襲ってきて、私はその場にしゃがみこんでしまった。
しばらくして私は室内に入ると、台所で水を一杯飲んだ。そして深呼吸を一度すると、クローゼットへと向かった。スーツから室内着へと着替えるとき、私は手の平以外にも尋常じゃないほどの汗をかいていたことに気付いた。わきの下だけでなく、それこそ下着や靴下の先まで汗だらけになっていたのだ。そこで、私は一旦全てを取り替えることにした。極度の緊張からか、手が震えていた。
ロト6はすぐにインターネットで当選番号が発表されるので、あとはそれを待つのみだ。そのため、特に何を予定していたわけではないので、とりとめもなく自宅で時間を潰すしかなかった。
時間が過ぎるのが非常に遅く感じた。何度も時計に目がいくが、時計の針は全く進んでくれない。気を紛れさせようとテレビをつけてみたり、インターネットをしてみたりするが、どちらもあまり効果は得られなかった。時間が過ぎるのを待つのがこんなにも苦しいものなのかと思ったが、どうすることもできなかった。家の外に出られるなら、いくらでも暇つぶしの方法はある。しかし、何が起こる分からない以上、それはできない。必然的に、私はただ自宅で過ごすしかなかった。
そして、ついに発表の時刻となった。それまでに、私は当選結果が見られるようブラウザを立ち上げ、ウェブサイトを開いておいた。そしてドキドキしながらF5を押した。するとウェブサイトは更新され、私がここ数時間ずっと待ちこがれていた結果が現れた。
瞬間、この日一番の緊張が訪れた。手が震え、心臓の拍動が加速した。私はその勢いに任せて、画面を見た。
「…えっ………なんで!?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
時間が、空間が、全てが止まったかのような錯覚に陥った。
そこには、私には想像もしていない事態が起こっていたのだ。
当選番号が、全く違っていた。
「嘘だろっ……」
何がそうさせたのか、全く検討が付かなかった。何度も番号を見比べたが、やはり違っていた。
無意識に頭を抱えてうずくまる。
私のタイムリープには欠陥があるのだろうか…。それとも、何か致命的なミスをした…?
心臓の鼓動が聞こえる。
変な汗が頬を伝う。
しばらくの間、室内では時計が刻むカチッカチッという規則的な音だけが響いていた。
「……………………」
目を覚ますと、現代に戻っていた。
ベッドに横になったまま、時計を見た。何度見てもここは現代だった。
言葉にならない叫びを心の中で爆発させ、私は横になったまま膝を抱え込んだ。
「意味が分からない…」
この半日過ごした努力は全て無駄になってしまった。期待をさせるだけさせといて、地獄の底へ叩き落とす。まさにそんな気分だ。
私は、当選番号が変わるような何かをしてしまったのだろうか。
過去に戻り、ただ午前中の仕事を仕上げてロト6を買っただけだ。それだけの操作で当選番号が変わってたまるものか。
この変化によって、私は何を得て何を失ったかは分からない。強いて言うなら、大した損害ではないが、はずれ券を購入した分の金額を損したくらいなものだ。しかし、私にとっては大きな損失だ。何のためのタイムリープだというのか。
「…そうだ」
当選番号が違った瞬間は全てが終わったかのように思った。この歯がゆい気持ちをどう消化すればいいのか皆目見当も付かなかった。
しかし、よくよく考えてみればタイムリープでやり直せばいいだけだということに気が付いた。どの条件が原因で当選番号が変更されたかまでは特定できていないが、何度もやり直しながら見つけていけばいい。莫大な金額を手に入れるために、私はこの程度の苦労は厭わない。
深呼吸を一回だけして、私は目を閉じた。あの時間、あの空間へ再チャレンジするのだ。いつもと同じように過去へと飛ぶ準備をする。
「……………………?」
しばらくして、目を開けた。日付を確認するが、まだ現代のままだった。
確かにいつもの感覚がなかったので、変な気はしていた。今回の件で注意が散漫になったのか、前回と同じ時間に飛ぼうとしても何故か飛べなかった。精神状態が左右するのだとすれば、タイムリープは意外とデリケートなのかもしれないと思った。それから私は何度も繰り返し挑戦をした。しかし、どうしても前回と同じ時間帯に飛ぶことは出来なかった。そのため私は試しに前回よりも若干遡った時間帯に飛んでみることにした。
目を閉じ、イメージをし、再び目を開ける。今度はいつもの飛ぶ感覚があった。
時計を見ると、三日前、ただし前回よりも三十分早い時間であった。
「よし!」
今度は飛ぶことが出来たのだ。
いつもならまだ寝ている時間だが、今はなんだか無性に目が冴えている。前回の失敗について、何が原因なのかは不明なままだ。しかし、恐らく私が余計なことをして本来の未来が歪められたのだと思う。私はそれを教訓にして、今回は普段通りの流れにするため、当時と同様にベッドに横になっていた。体をちょうど時計が見える位置にして、時計を見ては目を閉じるという動作を繰り返していた。そして、タイムリープをしてから約三十分が経過したとき、一瞬の浮揚感を覚えた。
私は、現代へと戻ってしまっていた。




