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◇◆ 十一 ◆◇

「いやー、今田君にしては珍しくやっちゃったね」

「…申し訳ありません」

「これまで色々と貢献してきてくれたから、今回は厳重注意で留めるけれども、次はないと思わないと駄目だよ」

「はい…」

「とりあえず、こっちで今後の対応を決定するから、しばらく待っててくれるかい。後で声をかけるよ」

「宜しくお願い致します。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

深々と頭を下げ、上司の元を去る。

過去を改変して自分の業績が上がったとしても、私自身の人間性や能力が変わったわけではなかった。

私はあれから日々を忙しく過ごしていた。仕事ができる人のところに仕事は集まってくる。この現実では、ここに至るまでの過程で、私は仕事ができる人間であるという認識を周囲から持たれている。そのため、私が通常こなす内容以外に、イレギュラーで別の仕事が舞い込んで来ることがあるのだ。そういった中で、私は多くの仕事を抱えつつも、なんとか一生懸命こなしてきた。しかし、やはりボロが出てきた。

どんなに理想的な環境にいたとしても、いずれは実力のなさが露呈してくる。頭では分かっているつもりだが、本来仕事ができる人にとっての「ありえないミス」は、私にとっては「よくあるミス」なのだということを再認識させられる。

席に戻り、仕事を続ける。

「はぁ…」

「どうしたんですか?」

平塚さんだ。

「いや、ちょっとポカをしちゃいまして」

「ポカっていうと?」

「生命保険の契約書類にミスが見つかりまして」

「あれまっ。それはヤバいですねー」

「私、その箇所の記載の仕方をずっと勘違いしていたみたいで、これまで私が契約を取ったお客さん全部に一部訂正をお願いして回らないといけなくなってしまったんですよ」

「それは一大事ですねぇ。でも、今田さんみたいなエース級の人でもミスとかするんですね」

「エースなんかじゃないですよ。私だって人間ですから、ミスくらいしますよ…って言い訳ですね。情けない限りです」

「まぁ、そういうときの仲間じゃないですか。きっと今田さんのミスを誰かが埋めてくれてると思います」

「だとすると、なおさら申し訳なさが出てきますね」

ふと過去改変する前の池田さんとのやりとりを思い出していた。あのときは、仕事の失敗を池田さんにフォローしてもらったんだっけ。

どの世界にいても、私はこうやって迷惑をかけて生き続けていくのだ。たとえタイムリープをしたとしても、結局は同じような結末をたどってしまうように思えてならない。

自然と苦笑いが出る。

「ちょっと待っててくださいね」

平塚さんはそう言うと、席を立った。

「え?あ、はい」

しばらくすると、平塚さんはホットの缶コーヒーを買ってきてくれた。

「はい、どうぞ」

「あっ、すみません」

「コーヒー飲んで、少し頭の中をリセットしてから仕事再開した方がいいんじゃないですか?」

「それもそうですね…」

ふと視線を下へ落とす。

なんだか手元にある缶コーヒーは、いつも以上に温かく熱を放っていた。池田さんとの間でも同じようなことがあったが、そのことを思い出しつつ、平塚さんへ感謝をした。私は、これが仲間なんだと思った。

私はしばらくの間、缶コーヒーを飲むことなく、手で握りしめていた。


翌日。

出社すると、同期の山下が私のことを待っていた。

山下も私と同様に中途入社で、たまたま同じ年齢だった。妻子に恵まれ、上の子は来年小学校に入学するらしい。

「今田、ちょっといいか」

「ああ、何?」

「昨日の件の話なんだけど」

「昨日の件?」

「ああ。契約書類関係で『重大な』ミスをしただろう?」

山下は「重大な」をやけに強調しながら私のことを睨んだ。

「……ああ、やっちまった」

「あのせいで、俺まで訂正に駆り出されることになっちまったよ」

「申し訳ない」

「俺は俺で色々とスケジューリングしてたんだよ。仕事もプライベートも。なのに、お前のせいで全部台無しだよ」

「…」

「短期間でお前のケツを全部拭くために、空いてた時間が全て無くなったよ。家族旅行もキャンセルだわ。どうしてくれるんだよ、お前」

「いや…そしたら、俺一人で全部書類の訂正をして回るよ。お前には迷惑はかけない」

「全国に散らばってる客全部をお前一人でか?そんなことしてたらどんなに時間があっても足りないだろ」

「そうかもしれないけど」

「だから俺達が駆り出されることになったって理解できないかなぁ?」

「分かったよ。そんなに言うなら、俺一人で何とかするよ」

「言ったな?じゃあ、やってみろよ。課長には俺から報告しとくから」

「よろしく」

そこに、上司が出社してきた。

山下はそれを確認した後、もう一度こちらを睨んでその場を去った。

彼がそういう態度をとるのも仕方のないことだと思う。私は彼に対して一人で何とかすると言ってしまったが、実のところ、これは一人の力で解決できることではないし、そういう意味で、きっと彼に迷惑をかけることになるだろうと思っている。というか、そうせざるを得ない状況になってしまっている。先ほどはああいうやりとりをしてしまったが、私は今回の件に関して、最終的にそういう結論に達するのだと感じていた。私の犯してしまったミスによって、どれだけの人間が動くことになるのか、そしてそれによって生じる損失はどのくらいの額になるのか。考えただけで恐ろしくなる。

仕事を開始してから数時間後、私は上司の元へ呼ばれた。そして、やはり営業総がかりで全国に訂正しに回ることが決定したことを伝えられた。私はそのことを聞いた瞬間、山下の顔が脳裏に浮かんだ。これで彼にも迷惑をかけることが確定してしまったのだ。

この日は、これから迷惑をかけてしまう同僚に対して頭を下げに回った。多くの方はこちらを気遣うことを言ってくれたが、中には激怒している方もいた。私がしでかしてしまったことなので、仕方がないことだ。山下はというと、冷たい視線をこちらに浴びせかけるだけで、一言も口を開くことは無かった。「お前は口先だけなんだな」とでも言いたげであった。

どこかで挽回しなければ、タイムリープを始める前のように、また会社での立ち位置が悪くなるだろう。結局私はそういう人間なのか。人の器はあらかじめ決まっていて、どんな裏技を使っても器以上のものは全てこぼれ落ちてしまう。そういうことなのだろうか。

この日は多くの残務に追われることとなった。残業が長引くことが分かった時点で、明子には「今日は残業で遅くなるから、先に寝てていいよ」とメールをした。すると明子からはすぐに「分かったよー。無理しないでね」と返信があった。

ようやく帰宅できたのは日付が変わった午前一時過ぎだった。

「おかえり」

家のドアを開けると、すぐに明子が玄関へやってきた。

「あれ?起きてたの?」

「うん、帰って来るの待ってようと思って」

「なんかありがとな」

「ううん。残業お疲れ様」

明子はそう言うと、笑顔で私を迎え入れてくれた。私はすぐにシャワーを浴びた。そして寝巻に着替えてリビングへと向かった。明子はソファーに座り、テレビを見ていた。私はその隣に座った。

「今日さ、結構重大なミスをしちゃってさ」

「どんな感じの?」

「保険の契約書にお客さんから色々書いてもらうんだけどさ、そこにミスがあったみたいで」

「お客さんが書き間違えたってこと?」

「いや、俺が指示ミスしたってこと」

「あれまー…それは大変だね」

「うん。それで、全国に訂正しに回らなきゃいけなくなった」

「全国に…何人くらい?」

「だいたい二百人くらい…かな」

「それは大変だー」

「しかもさ、俺のミスで他の社員も総動員で動くことになっちゃってさ」

「それはキツイね」

「うん、やっちゃったよ」

「全部終わったらさ、動いてくれた人にお礼あげないと駄目だね」

「そだな。豪華なお菓子でも配って歩くことにするよ」

「…これからしばらくは仕事に時間取られそうだね」

「すまん」

「しょうがないよ。がんばって」

「ありがと」

「なんかさ、ミスを帳消しにできるような魔法があればいいのにね」

「そんなのあったら誰もミスしないさ」

「そりゃそうよね」

その後、明子と多少談笑した後、ベッドに横になった。寝室の明かりを消すと、すぐに隣から寝息が聞こえてきた。私はなかなか寝つけず、真っ暗になった天井を見上げながら考えていた。

今日は、重大なミスに辟易としてしまった。発覚した当初は、事の重大さに手が震えた。会社としての対応策が決定された今、もはやそれに従うしかない。私の前にレールがしっかりと引かれたので、その通りに動けばいいだけだ。

ふと明子の方を見る。

「ミスを帳消しにできる魔法…か」

心当たりはある。

これまで私は、無意識にタイムリープを行ってきた。私が意図的に行ったのではないが、私自身が強く望む場面に飛ぶことが多かった。よくよく考えてみれば、何をどうミスしたかは理解した。この知識を持って過去に戻ることができれば、全てが丸く収まる。そうすれば今日とは違う過ごしやすい今日が待っているはずだ。

このことが脳裏をよぎった瞬間、私は不安やストレスから解放された。

今、私がやらなければいけないのは、全国にお詫び行脚に回ることではない。別件で会社に貢献し、名声を取り戻すことでもない。タイムリープを、私自身の力で使いこなせるようにすることだ。それしかない。天が私に与えた能力なんだから、有効に使うべきなのだ。

そういう風に考えると、今日起こった出来事が本当にどうでも良く感じた。彼らは毎日を過ごすのに必死かもしれないが、私は違う。タイムリープさえ身に付けてしまえば、私は絶対的な成功者になることが約束される。

この瞬間、私の周囲で起こっていることは、些末なものに成り下がった。都合が悪ければ、その原因を取り除いてしまえばいいのだ。


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