第1話『覚醒』
精霊暦800年。
時は過ぎた。
ミッテエルン森林、奥地。
生き生きとした血脈のようなツタが木々の隅々に這い、ポチャン……と水たまりに水滴が滴る。
肉付きが良く強靭な毛皮に覆われた巨大な猪は森林の大地を闊歩し、狡猾な大蜥蜴がひっそりと茂みの中へ潜み、それを狙い見る。
渓流は岩の隙間を滑るように流れ、まるで絹糸が機織りされていくかのような美しさが下流にまで続いていく。
自然は変わらない。
だが、目覚めるものはあった。入り口の倒壊した、かつては竜神の祭壇が置かれていた遥か深い洞穴の奥。
ぴくり、と指が動く。
筋肉の動きが少しずつ蘇り、呼吸が始まる。パキパキと関節が再生していく音を響かせ、ソレは少しずつ目覚めていった。
「ここは……」
色素の抜けた白い髪、紅色と銀色のオッドアイ。
長らく日を浴びていないのか、肌は死人のように青白く、唇も乾いていた。身にまとう服は破れかぶれで、せいぜいが腰蓑程度の布しか残っていない。
「お、れは……」
青年は指を開いたり、閉じたりをにぎにぎと繰り返す。そして拙い足取りで祭壇から降りると、洞穴の外へと歩き始めた。
ぺた、ぺた、と素足が石を叩く音がいくつも繰り返されていく。洞穴の中は不思議なほど生気がなく、虫一匹もいなかった。まるで、固く閉ざされた聖域のように。
ぺち。
行き止まりには大量の岩が落ちており、とても出れそうにない。ずいぶん長い間崩落したままのようで、岩の隙間には苔のようなものが這っているのがわかる。
出口は恐らく、ここだけだ。青年は困ったような顔を見せるが、ふと指を一本立ててみる。
青年は少し離れ、指先の照準を合わせていく。
目標は……無数の岩。
「クラルス・アウローラ」
ドォォォンッッ!!
一瞬にして白い閃光が迸ったかと思えば岩が砕け、人一人は十分に通れる程度の円穴が空く。そして岩の隙間から外の風が一気にして流れ込み、青年の白髪を流れるように揺らす。
「射程はせいぜい5メートルが限界か……」
指をぱきりと鳴らし、青年は岩の隙間をゆっくりと歩み出ていく。
名が、どうにも思い出せない。
いや、それ以外の記憶も定かではない。俺が誰だったのか、はたまた……どこで生まれたのかすらも。
ただ、なぜか先程の魔法は上手く使うことができた。脳裏に刻まれた、本能のようなものなのだろうか。
「ひとまず……この森を抜けよう。何か見つけられるものが、あるかもしれないし」
記憶が、自分の歩んできた軌跡を取り戻したい。
今思うのは、それだけだ。




