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主様ぬしさま!」


 優しい微笑みを浮かべたリナリアが、豊かな胸を揺らして駆け寄ってくる。

 うっかりそちらを凝視してしまい、隣のレーグネンに爪先で蹴られた。


 昼下がり、魔王城を眼下にのぞむ丘は、春らしい色彩で彩られている。

 その間を縫ってこちらに向かってくる、ひときわ鮮やかに咲く緋色の花は、レーグネンの傍に立つオレにも目を向け、にっこりと笑った。

 長い間、オレに対しての冷たすぎるほど冷たい対応に慣れていたので……正直、怖い。


「あら、ヴェレ様も……こんなところに二人きりでいらっしゃるなんて、本当に仲のよろしいことですね」

「……あ、あぁ……」

「リナリアよ、皆はもう揃ったのか?」

「いえ、それが……」


 レーグネンの問いかけに、リナリアは肩を落とし、上目遣いにこちらを見る。


「玄武将軍から電信がありまして」

「ふむ?」

「『聞けば聞くほどヴォーダンの祠とやらが面白そうな気がしてきたので、ちょっと行ってきます』……だ、そうで」

「あのバカ……!」

「昨夜、ヴェレ様とお二人で酒の肴にそんな話をされてたのは小耳に挟んでいたのですが……やはり、お止めしておいた方が良かったでしょうか」

「ヴェレ! あなたが煽ったのか!」


 怒りの矛先が何故かこちらに向けられた。

 リナリアは、と見れば先程まで悄然とした様子をしていたと言うのに、レーグネンの視線が外れた途端、しらっとした表情をオレに見せている。目が合った途端、ざまあみろと唇だけで言われた。


 ……どうも、新しいリナリアは底意地が悪いらしい。

 上辺はオレにも丁寧に接しているように(少なくともレーグネンには)見えている分、非常にやりづらい。

 そもそもオレはこういう腹芸が得意ではないのだ。昔は、得意だと思い込もうとしていたが、幻想だった。そのことをこの1年と数ヶ月で嫌という程思い知らされた。


「マズいな。もうアイゼン達は来ているのか?」

「いえ、それが……飛竜騎士団は到着しているのですが、白虎将軍とフルート嬢からは、少し遅れると連絡が入りまして」

「アイゼンめ……! またいちゃついて時間を忘れておるのだな……これさえなければ、魔王の職務など早々に押し付けて隠居を決め込むモノを!」


 レーグネンは唇を尖らせているが……まあ、多分無理だろう。

 アイゼンも私生活を整えれば仕事を押し付けられることを理解していて、あえて避けようと乱れた生活をしている感がある。嫁入り前のフルートがその噂に巻き込まれるのは兄として思うところがなきにしもあらずだが……ぶっちゃけ、本人が好きで巻き込まれに行ってるのだから仕方あるまい。


 ……と、いうことで朱雀将軍を廃した魔王領四神将軍は、1人減った以外は相変わらずだ。

 レーグネンは相変わらず魔王を名乗りたがらないのだが、他の2人に押し付けられ、いつの間にやらかれこれ1年、延々と「魔王代行」をしている。

 あれから1年。最近になってようやく領内がある程度落ち着いたこともあり、今日は記念に外で飯でも食うか、とこんな丘の上に集まることになったのだ。

 ならば、この状況でのシャッテンの外遊……いや、逃亡は、ヴォーダンの祠など何の関係もなくタイミングのみが計画的である、ような気がする。


「シャッテンもアイゼンも……全く! リナリア、先に戻って準備を始めておいてくれ。俺もすぐ戻る」

「はい、主様ぬしさま


 にこにこと上機嫌に返したリナリアが、オレの横をすり抜けて戻っていく。

 オレに向けて一瞬だけ、ひどく顔をしかめていたように見えたのは――多分、気のせいではないのだろう。

 再び2人だけが残された。

 沈黙が落ちる。


 事が片付いた後も、壊れた複製装置の修理手配だとか、国境の朱雀兵の掃討だとか、領内の権力掌握だとかで、何となく目の前の問題解決に振り回されて、こうして一緒にいたワケだが……これもまた潮時なのだろうか。


「ヴェレ」

「ああ」

「あなたより先にシャッテンが北の民の元へ赴くことになるとは」

「そうだな」

「……と、すると、あなたもそろそろ一族のことが心配になってきたのじゃないか」

「ああ……まあな」


 国境線で朱雀兵を引き付けてくれていたシャルム王子のところへ、魔王軍が加勢に行ったタイミングで、テオやシェーレとは会って話をすることは出来た。

 だが……本当は、何より会話をしなければならない相手が残っている。

 一族の長――オレの父親だ。

 その面倒さを思って、無意識に空を仰いだ。

 そんなオレの仕草をどう取ったのか、レーグネンの方は逆に地面に視線を落とす。


「例の複製装置な」

「ん?」

「直るには直りそうだが、いつ直るのか分からんくてな。まだ誰にも言っていないのだが……もしかすると、マズいかも知れん」

「……マズい?」

「具体的には……直す前に、俺が死ぬかも」


 つまり、それくらい時間がかかる可能性がある、ということだろう。

 ちなみに、飛竜のような大型は別にして、魔物でもオレ達と同じくらいのサイズ――つまり、レーグネンやアイゼンのような者達は、本来の寿命もそう変わらないらしい。

 ……ということは、複製装置が直る前に魔物達は絶滅する可能性がある、ということで。


「……それ、マズくないか」

「かなりマズいな」

「どうするんだ」

土人ドワーフ達の腕次第だ。壊れているのは内部構成プログラムなのだからして……知識のない者には何ともならん」


 すっぱりと言い放ったレーグネンが、顔を上げた。


「そんなこんなな状況だから、俺もあなたの面倒を最後まで見切れるとは思えぬ。関係を修復したとは言え、シャルム王子率いる王国民と北の民の衝突もまだ問題はあるだろう? 魔王領と共倒れするつもりがないなら……あなた、好きなとこ行って良いぞ。ここまで手を貸して貰ったことには恩を感じておる、飛竜騎士に王国まで送らせるくらいはしようじゃないか」


 微笑む表情はあまりに自然だったから、多分……1年数ヶ月前のオレなら、その言葉をそのまま受け取っていただろう。

 自分は人の表層しか見抜けない底の浅い人間だという自覚もないままに。

 まあ、今でも底が浅いのは相変わらずだが……。


 だがそれでも、多少は分かるようになった――なった、と思う。

 少なくとも、この傲岸不遜な魔物将軍については。


 例えば――政治的な話をしているはずのレーグネンの身体が、魔王の――女性のままだなんて、言葉にならない他の要素に導かれて。


 オレは少し考えて、そしてレーグネンから再び空へと視線を逸らす。


「あんた、実験したいって言ってただろ」

「実験?」

「いやほら、つまり、その……種を掛け合わせて」

「…………ああ!」


 えらく長い沈黙の後で、レーグネンが手を打った。

 忘れていたらしい。

 答えが返ってくるまでに、緊張で詰まっていた息を吐く。


「あんたも自覚はあるだろう。混ざった後からずっと、あんたの身体は心に引っ張られてるんだ」


 レーグネンは返事をしなかったが、頬が赤いのが肯定の証だ。

 自分でも気付いているのだろう。とうの昔に。


「あんたがここ1年、しばらくその……女のままなのは、多分」

「……多分、なんだ」

「多分……オレがいるからだろ、ここに」


 蹴られた。

 無言で蹴られた。

 しかも、靴の踵の底の分厚いとこで蹴られた。


「あなたがいるから何だ! 俺は知らんぞ!」

「痛てて……だから、好きなんだろ」

「っ……知らん!」


 再び蹴られた。

 蹴られた足を逆に引っ掛けて、これ以上の大きな動きを止める。

 絡めた足から視線を上げると、目の前にいたのは、可愛らしいとしか言いようのない弱々しさで、オレの足を細かく蹴りつける魔物だ。

 紅の瞳を別離の予感と羞恥に潤ませながら、「この! この!」と八つ当たりを続ける――オレの、何より愛しい――。

 目の前の身体を、両手で引き寄せた。


「実験、しようぜ」

「この! この――……は?」

「したいんだろ、実験。オレとあんたで、子どもが作れるかどうか」

「あ、ま……まままま待て! 違くて! その……もうそういうほら、実験みたいなのはその……夜とかあの……もう、既に、してる……」


 段々小さくなる声を、腕の中に閉じ込める。

 慌てるレーグネンとは逆に、オレの方は今回ばかりは余裕がある。

 何せ、この1年、考えないようでいて考えていたのだ。


「まだ結果が出てない」

「……でも……つまり、1年経ってもその……出来ないってことは、つまり……その……」

「結果が出るまで、実験は終わらないだろ」

「……それは、あの……じゃあ……」


 まるで、ゆっくりと朝が来たみたいだ。

 オレの目を覗きこむ紅が、少しずつ輝くから。


 その唇が花開くようにほころぶ前に、黙って口付けた。

 柔らかい感触に溺れる前に、辛うじて働く頭でふと考える。


 本当のことを言えば、知っているのだ。

 例の装置……実は、もう直っている、ということを。

 かつ、レーグネンがそのことを知っていながら、オレに黙っているということも知っている。

 直ったと言ってしまえば、安心したオレが王国に戻るとでも思っているのかも知れない。

 いや、はっきりとは分からないが……もしかすると、レーグネンも「オレが知っている」ということを知っている可能性もある。


 その辺りで、裏の裏の裏を読むことを放棄した。やはり、オレにはこういうのは合わない。

 どっちであろうと結局、求められているのはオレの愛だけだと分かったところで、大人しく手のひらで転がされることを受け入れることにした。


 さあ、オレの父親には何と説明しようか。

 魔王領に遠征に赴いたはずの息子も娘も、魔物に絆されて戻ってこないとなれば、向こうもさすがに何か言ってくるはずだ。


 ……ま、何とか乗り切るしかない。

 だましだまし、のらりくらり。

 腹芸は苦手だが、適当に切り抜けるのはどうやら得意な方だと、これもこの1年で気付いたことだ。

 何なら、親父にもう1人作ってもらっても良いだろう。弟妹が増えるのは大歓迎だ。


 大体――そう。

 やっぱり、オレ達の間にも出来るかも知れない。

 何となくそんな気もする。

 常に一つではなくても、ふとした時、心を重ねられる関係なのだから、いつかきっと。


 結論が決まったところで、再び、与えられる快楽を素直に受けることにした。

 皮膚1枚を隔て永遠に溶け合うことのない微妙な距離を、溶けあうことが出来ないからこそ、ありがたく感じるために。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

またどこかでお会い出来れば嬉しいです。

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