註
永禄三年(1560年) 正月二十七日 京 内裏 紫宸殿 河鰭実初
前の年の十二月に、本願寺が門跡になった。
実初は、その沙汰を人づてに聞いた。取次に、河鰭の名は入っていない。入れる筋を、作らなかった。
三年前に町の質屋へ一言だけ言い、あとは向こうが年ごとに続けた。続けたものが勤めになり、勤めが格になった。
銭では出ぬ、と申したのは本当である。本当だが、出るところまでは行った。
空は、晴れていた。
実初は、寅の刻に起きた。起きたときには、もう起きていた。眠っていない。
緊張ではない。前の晩に、六の巻をもう一度繰ってしまった。繰る必要はなかった。役は全部埋まっている。
二十五になる。
紫宸殿の南庭に、幔幕が立った。
幔幕は、大喪で使ったものの縁を切り直したものである。切り直した跡は、遠目には見えない。近くで見れば分かる。近くで見る者は、その日、庭にいない。
高御座が据えられた。
実初は、それを末席から見た。
式は、辰の刻に始まった。
始まってから、実初は数え始めた。癖である。数えたくて数えたのではない。頭が勝手に、九冊を追い始めた。
省くべき儀は、二十七あった。
このうち、今日省いたのは九つである。
二十四年前、三条実香は二十七のうち幾つを省いたか。九冊には十四とあった。今日は九つで済んでいる。
五つ、多く挙げられた。
代用は十一である。屏風は内蔵寮の古いもの。幔幕は縁の切り直し。舞は、一つ省いてある。
省いた舞のところで、次第が一つ飛んだ。
飛んだのが分かるのは、省いたのが自分である。庭にいる者のうち何人が気づくかを、実初は数えようとして、やめた。
式は、進んだ。
順は、八の巻のとおりである。実初は、次に何が来るかを全部知っていた。知っているとおりに来た。来るたびに、頭の中で一つずつ消していった。
消しながら、実初は、自分が式を見ていないことに気づいた。
見ているのは、順である。順が合っているかどうかだけを見ている。高御座も、幔幕も、楽も、目に入っているのに、見ていない。
一つだけ、目に入った。
高御座の東の柱に、鳳凰が据わっている。金が剥げて、下の木が出ていた。
二十四年前も、同じところが剥げていたと九冊にある。実香は「塗り直さず、そのまま用ゆ」と書いた。塗り直す銭がなかったからである。
剥げたところに、朝の光が当たっていた。木は、飴色をしていた。
二十四年、誰も塗り直していない。実初も、塗り直さなかった。
二十四年前、実香も同じだったろうか。
同じだったろう、と実初は思った。
――そして、あの方は、そのうえ主上のお顔も見ていない。
実初は、そこで一度、目を上げた。
高御座は遠い。少将の座からは、御装束の色くらいしか分からぬ。それでも、目を上げた。
二年三か月前、践祚の日に、実初はこの方の前に座った。四十一であられた。いまは四十四である。
あの日、実初は六十日と申した。
六十日ではなかった。
実初は、指を折った。折ってから、折るまでもないことに気づいた。何度も数えている。
弘治三年十月二十七日から、永禄三年正月二十七日まで。
二年三か月である。
八百二十日を超える。
六十日と申した男が、八百二十日待たせた。
実初は、そこで初めて、式のあいだに感情らしいものを感じた。感じたが、それが何なのかは分からなかった。
悔いているのとは違う。恥じているのとも、少し違う。
あの日、口が先に出た。
目の前におられる方は、二十四年、何もせずに座っておられた。その方が初めて日にちを尋ねられた。誰も日を言わなかった。誰も知らなかった。
自分は、知っていた。八の巻に六十日と書いてある。
書いてあることを言った。書いてあるのは「物が揃うている場合」の日数で、その但し書きも実初は覚えていた。覚えていて、言わなかった。
言えば、その場で数字が消える。
消してはならないと思った。
――思ったのではない。口が先に出た。
実初は、そこを言い直さないことにした。
二年三か月、何度も言い直そうとした。数えて申したことにすれば、少しは楽になる。楽になるが、それは嘘である。
嘘を申した者の書いたものは、後の世で使われない。
自分でそう言った。
式は、巳の刻を過ぎて終わった。
終わって、庭から人が引くとき、実初はしばらく動かなかった。感慨ではない。次にすることが、頭の中でもう始まっていた。
今日の記を作らねばならぬ。省いた九つと、代用した十一を、全部書く。
書けば、この御即位が完全なものでなかったことが残る。
残さねば、次の代がまた二十一年待つ。
実香は、それを十九年かけて書いた。書き終えても、渡す相手がいなかった。
実初には、いる。
いるが、まだ生まれていない。
庭を出るとき、後ろから声がかかった。
「少将どの」
山科言継であった。
「終わったな」
「はい」
「幾つ省いた」
「九つにございます」
「二十四年前は」
「十四にございました」
言継は、うなずいた。
「五つ、増えたか」
「増えました」
言継は、それ以上何も言わなかった。言わずに、庭のほうを見た。実初も見た。
幔幕を、下役が外し始めている。縁を切り直した跡が、光の加減で見えた。
「少将どの」
「はい」
「あれは、大喪のときのじゃな」
「はい」
「よう気づかれなんだな」
「気づいた者は、おりましょう」
実初は答えた。
「気づいて、言わなんだのだと存じます」
言継は、笑った。
「そういうものじゃ」
実初は、頭を下げて、庭を出た。
出て、御所の門のところで一度立ち止まった。
忘れ物をしたような気がした。何を忘れたのかは、すぐには出てこなかった。
出てきたのは、家に着いてからである。
二十四年前の御即位で、費えを立てて返らなかった二家がある。
その帳が、今日の記のどこにも載らない。
永禄三年(1560年) 正月二十八日 京 内裏 ほか 河鰭実初
叙任は、翌日であった。
従四位下、左近衛権中将。
父の官である。父は正四位下・左近衛中将で、あと一段ある。あと一段あるが、権中将は中将である。
二十五になる年に、そこへ届いた。
沙汰を受ける場に、主上がおられた。
通常なら、おられない。叙任の沙汰は執奏を経て下るもので、当人が御前に出る筋ではない。この日は、即位の翌日という理由で、まとめて御前に出された。
実初は、平伏していた。
名が読み上げられた。
読み上げられて、頭を下げたまま、次を待った。次は下がる合図である。
合図の前に、声があった。
「六十日と申した男か」
実初は、動かなかった。
「はい」
「二年余りであったな」
実初は、そこで、言葉を探した。
探して、なかった。
申し訳ございませぬ、では足りない。足りないうえに、詫びれば、主上が咎めておられることになる。咎めておられるのかどうかを、実初には測れない。
測れないものに、返事はできない。
「……はい」
主上は、それ以上仰せられなかった。
次の名が読み上げられた。
実初は、下がった。
御所を出て、しばらく歩いてから、実初は自分がまだ何も考えていないことに気づいた。
数えていない。数えようとしても、何を数えればよいのかが出てこない。
二年余りであったな。
一言である。置かれたものを、実初は持って帰るしかなかった。
三条邸へ行ったのは、その日の午後である。
実香は、去年の二月に没した。九十一。屋敷は、いまも三条家のものである。奥の一角だけが、そのままになっていた。
実初は、取次に断って、渡り廊下まで入れてもらった。
戸は、閉まっている。
十四年前、この戸の前に二刻立ったことがある。あのとき実初は十一で、庭の敷石を数えていた。四十一あった。
いまも四十一である。
実初は、戸の前に座った。座って、しばらく黙っていた。
中に、誰もいない。誰もいないところに向かって喋るのは、実初の性に合わない。合わないので、しばらく座っていた。
それから、声に出した。
「昨日、御即位が挙がりました」
返事はない。
「省いた儀は、九つにございます。大殿の御代は、十四でございました。五つ、多く挙げられました」
実初は、順に報告した。
代用は十一。役は十一のうち、四家が京におらず、三家は近い筋で代え、近衛の大殿は京へお戻りになりました。日取りは、八の巻のとおりにございます。
全部言い終えるのに、四半刻かかった。
言い終えてから、実初は、いちばん言いに来たことをまだ言っていないことに気づいた。
言うのを、後回しにしていた。
「大殿」
実初は、そう呼んだ。
「主上に、お目にかかっておきました。践祚の日に」
戸は、閉まったままである。
実初は、それ以上何も言わなかった。
立ち上がるとき、膝が少し笑った。十四年前と同じであった。あのときは寒くて笑った。今日は、寒くない。
夕方、実初は御即位の記を書き始めた。
式の次第を書いた。列に立った家を書いた。用いた物を書いた。省いた儀を九つ、代用を十一、全部書いた。
書いたものは、いつか誰かが読む。読んで、次の代で使う。
使えるように書くのが、この家の役である。
書き終えたのは、夜半を回ってからであった。
実初は、筆を置き、それから、もう一度取った。
最後に、一行足した。
足したのは、次第でも、物でも、役でもない。この御即位とは、直接の関わりがない。関わりのないものを記に入れれば、後の世の者は註だと思う。
註でよかった。
なほ、天文五年御即位の折、帳外に立てし二家あり。
河鰭季富、山科言継。——その帳、いまだ返らず。
実初は、それを二度読んだ。
二十四年である。
父は、天文五年に立て替えた。額は書いた。書いたが、載らなかった。帳外だからである。帳外のものは、どこにも載らない。載らないから、返らない。
父は、その年の冬に死んだ。三十五であった。
載った。
返らない。位にもならない。この一行で銭が動くことはない。動かないものを、いま実初は書いた。
書いても、何も変わらない。
変わらないが、二十四年、この一行はどこにも無かった。
実初は、記を閉じた。
永禄三年(1560年) 正月二十九日 京 河鰭邸 河鰭清子
弟が母屋へ来たのは、明け方に近い刻であった。
清子は、起きていた。四十三になる。近ごろは、夜中に一度目が覚める。目が覚めると、そのまま朝まで起きている。
「姉上」
「はい」
弟は、記を持っていた。
「これを」
「見てよろしいのですか」
「はい」
清子は、受け取った。受け取って、いちばん後ろから開いた。
癖である。この子の書いたものは、いつも最後に大事なことが書いてある。あの正月から十四年、そうであった。
最後の一行を読んだ。
清子は、しばらく、その一行を見ていた。
――載りましたか。
そう思った。
父の名である。河鰭季富。天文五年の御即位に費えを立て、帳の外に置かれたまま、二十四年、どこにも書かれなかった人の名。
清子は、その父の顔を覚えている。この子は、覚えていない。
覚えていない子が、書いた。
「実初」
「はい」
「これは、どこへ出すのです」
「内蔵寮に納めます。写しを、家に置きます」
「読む人は」
弟は、少し間を置いた。
「すぐには、おりませぬ」
「では、何のために書いたのです」
弟は、答えなかった。
清子は、それでよいと思った。
答えられないのではない。答えると、それが目当てだったことになる。この子は、目当てを口にするのを嫌う。十一のときからそうであった。
清子は、記を膝に置いた。
十四年である。
この子は、十一のとき、家督もなく、加冠役もなく、装束もなく、銭もなかった。いま、中将である。父と同じ官に、父より十年早く届いた。
それは、それでよい。よいが、清子が思っているのは、そこではなかった。
父は、十一箱を書いた。生涯、勘定だけを書いて死んだ。
読んだ者は、死んだ年に生まれた子ひとりである。八年、誰も開けなかった。埃が積もっていたと、この子は言っていた。
この子は、書いた最初の日から、読む者がいた。
自分である。
清子は、それに十四年、気づいていなかった。気づいていなかったのは、当たり前のことだと思っていたからである。
弟が書いたものを、姉が読む。当たり前である。
当たり前でないことを、清子は父で知っている。
「実初」
「はい」
「わたくしは、いつまでも読めません」
弟が、顔を上げた。
顔を上げてから、何も言わなかった。言わないのを、清子は見ていた。
この子は、いま数えている。数えて、答えを出して、それを口に出すかどうかを迷っている。迷っているうちは、出さない。
「よいのです」
清子は言った。
「返事は、要りません」
「……はい」
「ただ、憶えておきなさい。あなたは、読む者を作らねばなりません。わたくしのほかに」
弟は、頭を下げた。
下げたまま、しばらく上げなかった。
清子は、記を返した。返すとき、指が触れた。この子の指は、十一のときから冷たい。
蔀の隙から、外が白み始めていた。
永禄三年(1560年) 五月 京 河鰭邸 河鰭実初
五月、尾張の桶狭間で今川義元が討たれた。
実初は、帳に一行だけ記した。討ったのが誰であるかは、名しか知らなかった。
名しか知らぬまま、書いた。
第三部第三章『六十日』 了
『書かねば、残らぬ』 完




