あの日のこと
時間測定をした次の日。
事務所の定休日なので又賀は初めて、一人で安粋銭湯に訪れた。
「あら、今日はしゅうちゃん一人?珍しいね。」
銭湯のおばちゃんが、笑顔で迎えてくれた。
「お久しぶりです。」
又賀は、頭を下げた。
「少し、悩んでることがあって...銭湯に入りながら考えたらなんか浮かんでこないかなーって...。」
「ふふ。」
銭湯のおばちゃんは口を隠しながら、笑っていた。
「なにか変でしたか...?」
「いや...昔のひなちゃんみたいだなって。」
おばちゃんの言う『ひなちゃん』とは天羽のことだ。
天羽日向の日向の部分を取ったのだろう。
「天羽さんですか?私が?」
「昔のひなちゃん、何かわからないことがあるとすぐうちに来てね。何時間も湯船に浸かって、考え込んで、なにか思いついたら牛乳飲んで帰るっていうのを繰り返してたのよ。」
「そうなんですね。天羽さんも悩んでたんだなぁ...。」
「...悩んでると思うよ...。」
さっきまでのおばちゃんとは思えないほど、声色が変わった。
又賀は突然の変化に困惑した。
「何かあったんですか...?」
「ひなちゃんは何も言ってくれなかったんだけどね...。三年前かな...。」
ーー三年前の12月27日、クリスマスから少し経った安粋銭湯。
街がいまだにカラフルに彩られる中、街から少し離れた場所にある安粋銭湯は客もいないまま、普段通り営業していた。
おばちゃんは、カウンターで新聞を読んでいた。
ガラガラガラ
いきなり銭湯の扉が開いた。
開いた扉の横には天羽の姿があった。
「…あ、ひなちゃん!久しぶり!また来てくれた....の...。」
「...久しぶり。」
おばちゃんは天羽のただならない様子に言葉が詰まった。
天羽の目は真っ赤に腫れていて、目の下には深いクマができており、ずっと俯いていた。
「ひなちゃん...何かあったの...?」
「...何でもないよ。」
絶対に、何でもないはずがない。
直感でそう思った。
「ひなちゃん...!」
「...。」
天羽は無言のまま更衣室に向かっていった。
数分後、天羽が出てきた。
髪を乾かさないまま、足元がふらついていた。
「...ひなちゃん!牛乳...いる?」
天羽に聞きたいことはたくさんあったが、聞かないほうがいいと思った。
一旦、落ち着かせたほうがいいと思い、いつも風呂上がりに飲む牛乳を提案した。
「...今日はいいや。...代金、ここに置いとくね。...ありがと。」
天羽は必要以上のお金を置いて、お釣りをもらう前に帰っていった。
「ひなちゃん...。」
「...天羽さん、大丈夫だったんですか?」
「まぁ…それからまた一か月後くらいに来てくれてね。その時には平気そうだったのよ。それに...。」
「それに?」
「あの日を境にね、ひなちゃん、壁がなくなったというか...自分の内の部分をひけらかしてくれるようになって...。」
又賀は少し驚いた。
「昔はそうでもなかったんですか?」
「そうなのよ。あの日以前なんてひなちゃん、自分の仕事すら教えてくれなくてね。まさか、探偵なんて。びっくりしちゃった。」
天羽にもそんな過去が、と又賀は思った。
「え?けど探偵事務所は銭湯の隣に...。」
「三年前のその日からから数ヶ月後に、うちの隣の土地に建物が建ったんだけど、それがひなちゃんの事務所、『天羽探偵事務所』だったのよ。引っ越したんだって。」
又賀はへぇー、と声を漏らしながら興味深く聞いた。
「ごめんね。無駄話しすぎちゃった。ごゆっくりね。」
「いえいえ。じゃ、お邪魔しますね。」
又賀は更衣室で服を脱ぎ、一人ぼっちの大浴槽に浸かった。
又賀は立ち上る湯気を眺めながら、依頼のことについて考えた。
「佐藤環奈さん...どうやって連れ去られちゃったんだろ...。
やっぱ、天羽さんが言った様に、後ろからの音は井原さんの勘違い、もしくは別人で、佐藤環奈さんが橋から落ちちゃって、たまたま警察の捜査範囲を越えて見つかった...。
はぁ...なんかこの事故...いや、事件なのかな。都合の悪いことばっか起きてるよなぁ...大雨で視界が悪かったり、そのせいで川の流れが速かったり、雷で街全体が停電しちゃったり。」
又賀の体はお湯によってどんどん赤くなっていった。
「もし、佐藤環奈さんが無事に橋を渡り切っていたとしたなら...橋を渡って、3分後の上り坂の後の5分間の国道、この間での犯行...。視界不良の中、二人で下校する向かい合う自転車を捕まえて、橋の上では停車せずに自転車を投げ捨てる。そしてその犯行も誰からも気づかれずに完遂する...。」
わからなさ過ぎて、又賀はあー、と意味もない声を銭湯に響かせた。
「後ろの音が別人…。別人としたら誰だろ。井原さんみたいな駅に向かう人…もしくは…。」
又賀の頭にはとある仮説が浮かんだ。
「後ろの人が…犯人だったり…ってまさかだよね。」
それこそ不可能な犯行だろう、と思って考えるのをやめた。
「はぁ〜…のぼせちゃったな。出よ。」
又賀は浴槽から出て、あがり湯をし、更衣室に向かった。
ロッカーに着替えと、又賀のスマホが置いてあった。
「ん?天羽さんから電話来てるじゃん。珍しい。」
又賀は天羽に電話を掛け直した。
「もしもし?天羽さんどうしたんですか?」
「柊華ちゃん今どこ?ニュース見れる?」
「はえ?ネット記事なら見れますが…。」
又賀は電話を繋いだまま、記事の見れるアプリを開いた。
「え…?」
又賀は言葉を失った。
「川の下流で見つかった遺体、佐藤環奈さんじゃないらしい。」
「え?なん…なんで今まで勘違いされてたんですか?」
又賀は突然の情報に困惑していた。
「川の流れが強くて、歯や骨が岩に砕かれてボロボロだった…いや、犯人が意図的に歯や骨を粉々にしていてたと言った方がいいかな。DNA鑑定が遅れたらしい。けど、所持品は全部、佐藤環奈さんのものだった。」
「と言うことは…。」
又賀は息を呑んだ。
「誰かが悪意を持って、死体をすり替えようとした。」
「ただの事故じゃないようですね…。」




