66
「というわけでな、この手袋はミシュリーが私のために縫ってくれた唯一無二の逸品なんだ!」
「へえー」
もはや見慣れたカリブラコア家の一室。親友の部屋で自慢の刺繍を見せびらかす私に対し、しげしげと手袋を観察していたサファニアが頷く。
「なるほど。どうりでこの手の甲の部分の刺繍からは名状しがい執念を感じると思ったわ。これ、呪いの文様だったのね」
「おまじないだっつってんだろ」
大天使の手縫いに対してまさかの曲解を始めたサファニアに、ついつい淑女にあるまじき汚い言葉が出てしまった。
だがサファニアはそれでもひるんだ様子はない。自分の言葉をまったく省みることのない態度で、うさんくさそうに私の顔を見る。
「というか、それでまず私のところに来るなんてどういう嫌がらせかしら。私に呪われろとでもいうつもり? あなた私に何の恨みがあるのよ。やめて頂戴。さすがにひどいわよ」
「だからおまじないだって何度言ったら分かるんだ?」
「ごめんなさい。たぶん何度言われても分からないわ」
強情だ。ジト目でにらみつけてやったが、目を細めてにらみ返してくるサファニアに意見を翻す要素はない。
はあ、とため息を吐いて説得を諦める。
「まったく……天使が呪いなんて作成するわけないだろうが」
「あなたって妹離れが済んだとか言ってるけど、基本的に妹大好きで盲信をやめないわよね。妹離れって結局何だったの」
「私がミシュリーを大好きなままミシュリーを過保護にすることをやめた結果だけど?」
私がミシュリーが大好きだなんて、五歳の時に初めて出会った時から変わらない。ミシュリーのためにミシュリーを過保護にするのをやめたのであって、思いの大きさが減ったことなんてないのだ。
だから周りに対しての妹自慢はやめるつもりは一切ない。私の中でミシュリーの比重が最も大きく締めているのは変わりようのない事実なのだ。
素直な私の答えに、今度はサファニアが諦めるように息を吐いた。
「あっそう。……まあ、でもこの手袋は少しうらやましいわ」
「だろう?」
何せ愛する妹からの贈り物だ。嬉しくないはずないし、他人から見て羨まれないはずがない。
喜びで頬を緩ませる私に対して、サファニアは予想を裏切ることを言いだした。
「いえね。これの製作過程をよく考えてみれば、私が呪われる要因もないのよね。これ、きっとこの手袋の刺繍部分に口付けたやつに呪いを受けさせるやつだと思うのよ。……やっぱり欲しいわね。ものすごく効果がありそうだし」
「お前は何を言ってるんだ……」
目に羨望の色を浮かべているあたり、本気で言っているらしい。根拠のない妄言を信じ込んでしまっているとは、我が親友ながら不憫だ。引きこもりすぎて思考回路がファンタジーに寄りすぎている。
「間違いないと思うわよ? だって妹さん、あなたとシャルル殿下のやり取りを聞いた時に刺繍のインスピレーションが落ちて来たんでしょう?」
「そ、そう、だけど」
サファニアの妄想には呆れたが、手の甲の口づけを思い出して頬が紅潮した。
「ま、まあ、確かにシャルルにキスされた時はびっくりしたけど……」
「あ、そういえば……ふっ」
無意識に手の甲を撫でていた私の態度に、なぜかサファニアが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ねえクリス。人のことをさんざんな目に合わせて童話なんて子供だましだみたいなことを言っていたわりに……やっぱりキスで解決したじゃない」
「ぐっ」
偶然をかざしてきたサファニアに歯噛みをする。
「ま、結局はクリスなんてお子様向けの童話並に単純だっていうことね」
「ぐぬぬ……!」
鼻歌交じりで上機嫌になり始めたのはむかっ腹が立つが、事実が元なだけに迂闊に反論できない。
別に、あれだ。手の甲のキスは最後の置き土産みたいなもので、その前のやり取りこそが私の中に合った溝を埋めてくれた。だからサファニアの言葉だって見当違いだって言ってやればいいのだが、あれだ。いきなりあんなことをされたらびっくりして、あの時のことばかり印象に残ってしまうのは仕方のない事だ。サファニアも体験してみれば分かるのに、と歯ぎしりしたところで名案を思い付いた。
サファニアは自分が経験していない人の失敗を平気であざ笑えるやつである。だが、そのくせ自分は未知の体験に打たれ弱い。
ふむ。
なら、ちょっと試してみるか。
「サファニア」
「なに、クリ――」
サファニアが反応するのに合わせて、手を取ってひざまずく。そっと口づけして見せれば、呼びかけた言葉は途中で途切れた。
「どうだ? びっくりす――」
いたずらっぽくからかおうとした台詞を思わず途中で切ってしまった。
ちらりと上目遣いで様子をうかがってみたら、まったく驚いている様子はなかった。予想外に余裕の顔で、慌てるどころか愉悦に唇を釣り上げている。
冷ややかに大人びて、怪しいほど魅力を漂わせたサファニアがゆっくりと足を組む。
「この姿勢はいいわね、クリス。今度からこれを私たちの挨拶にしましょうか。私いま、すごく気分が良いわ」
「お前は何様だ!」
「あうっ」
どこぞの女王様みたいなことを言い始めたサファニアのおでこに、問答無用でびちんとデコピンをくらわせる。
「な、なによ……あなたがいきなりやったことじゃない」
痛みに弱いサファニアは弾かれた額を抑えて不服そうにこっちを見ているが、さすがに今のはない。
「やかましい。なんだ今の悪い顔は。なんで運命がお前を悪役令嬢にしなかったのか不思議なくらいだ」
「運命? ていうか、なに、悪役令嬢って。何の悪役なの?」
「なんでもない」
適当な言葉でサファニアの不審そうな目を振り払う。どうせ運命のことを話したって、全力でバカにされるだけだ。
「なによ、気になるじゃない。悪役令嬢……私の知らない本でも読んだの?」
「だからなんでもないって言ってるだろ」
あながち間違いでもない推測を、ひらひら手を振って追い払う。サファニアは不満をそうに唇をとがらせたが、しぶしぶ引き下がった。
「そう……。なら、ボードゲームでもやる?」
「ん、いや」
自分で言いだせるようになっているあたり、サファニアも亀の歩みながら成長している。
とはいえ、今日は部屋にこもりきりになる気はない。実はここに来る前に、ちょっと面白い話を聞いたのだ。
「今日は外に出てみないか?」
「いやよ」
「そうかそうか」
お出かけの提案を即答で否定した襟首を、スマイルのままわしづかみにして言い直す。
「今日は、外に出るぞ」
「いーやーよー!」
駄々をこねるサファニアの意見なんて聞く気は最初からない。ずるずると首根っこを引きずって、私はカリブラコア家の馬車を用意してもらうよう手配を始めた。




