落ちこぼれ死神の犬日和と、陽だまりの記憶㈠
千年の地獄を耐え抜いた魂が、神々に抗い『陽だまり』の日常を守る!
俺の名はシジマ。かつては冥府に仕える、誇り高き……と言いたいところだが、実態は組織の末端でくすぶっていた、冴えない死神だった。いや、正確に言えば、死神としての適性を欠いた「落ちこぼれ(ドロップアウト)」だ。
そして今、俺は黒い豆柴「クロ」として、大学のキャンパスの芝生の上で、春の柔らかな陽光を全身に浴びている。あくびが止まらない。四月の風は心地よく、背中の黒い毛皮を通して伝わる太陽の熱が、凝り固まった魂を芯から溶かしていくようだ。鼻先をくすぐるのは、土の匂い、若葉の香り、そしてどこかの学生が広げている唐揚げ弁当の香ばしい油の匂い。実に、実になげかわしいことだが――最高に気持ちがいい。
目の前では、俺が護衛すべき三人の人間……いや、俺の「家族」たちが、他愛ないことで笑い合っていた。昨夜の激闘――荒魂との死闘が嘘のように、世界は平和を取り戻している。カイの覚醒した「言霊」の力が、破壊された街も、人々の恐怖の記憶さえも、すべて修復したからだ。彼らは今、ただの大学生として、講義の空き時間を楽しんでいる。
「クロ、眠いの? 目がとろーんとしてるよ」
ひかりが、俺の頭を優しく撫でる。その細くしなやかな指先が、絶妙な力加減で耳の後ろのツボを刺激する。
(くっ……そこだ、そこ……もう少し右だ……)
不覚にも、後ろ足が勝手にピクピクと動いてしまう。抗うことをやめ、俺はごろりと芝生に腹を出して寝転がった。「ヘソ天」というやつだ。こんなだらしない姿を、かつての同僚たちが見たら何と言うだろうか。「貴様、死神としての矜持はないのか!」「冥府の恥さらしめ!」と罵倒されるに違いない。だが、知ったことか。今の俺は、鎌を振るう冥府の番人ではない。相沢ひかりに撫でられ、高橋ソラに揉みくちゃにされ、高橋カイの足元で昼寝をする、一匹の幸福な犬なのだ。
ぽかぽかとした陽気に誘われ、俺の意識は自然と、あの遠い灰色の記憶へと沈んでいった。ここではないどこか。光も温もりもない、凍てついた過去の回想録。
冥府の深層、「黒き学び舎」そこで過ごした千年の訓練期間、俺は常に劣等生だった。
学び舎の教義は絶対だ。「強さこそが正義」、「感情は不要なノイズ」。訓練生たちは、来る日も来る日も、罪人の魂や悪鬼羅刹と戦わされ、その心を冷徹な刃へと研ぎ澄ませていく。傷ついても、仲間が倒れても、振り返ることは許されない。ただ前へ進み、敵を狩る。それだけが、存在を許される唯一の理由だった。俺は、戦闘技術自体が劣っていたわけではない。鎌の扱いや霊力の制御においては、むしろ上位の成績を収めていた。教官たちからも、その技量は認められていたはずだ。だが、俺にはどうしても捨てきれないものがあった。それは、教官たちが唾棄すべき弱さと断じたもの――「共感」だ。
決定的な出来事は、卒業を間近に控えた最終選抜試験でのことだった。任務は、地獄の最下層「焦熱地獄」の裂け目に巣くう、強力な怨霊集合体の討伐。俺は数人の訓練生とチームを組まされていた。だが、想定外の事態が起きた。怨霊の力が強大すぎたのだ。撤退戦の最中、最後尾を走っていた仲間の一人が、怨霊の触手に足を絡め取られ、瓦礫の下敷きになった。背後からは、黒い瘴気が津波のように迫る。
『見捨てろ、シジマ!』
通信機越しに、教官の冷徹な命令が響いた。ノイズ混じりのその声は、悪魔の囁きのように聞こえた。
『その者を助ければ、チーム全員が危険に晒される。一人の犠牲で多数が助かるなら、それが最も合理的な判断だ。切り捨てろ! それがリーダーの資質だ!』
他の仲間たちは、一瞬の躊躇いもなく走り去った。彼らの背中は「すまない」とも語っていなかった。ただ、「生き残るための最適解」を選んだだけ。それが、死神になるための「正解」だと知っていたからだ。
だが、俺の足は動かなかった。足元で、「助けてくれ」と俺の足首を掴む仲間の手。その震えが、恐怖が、直接俺の魂に流れ込んでくる。彼の目を見てしまった。死を前にした、根源的な恐怖に彩られた瞳を。これを見捨てて、何が秩序か。何が正義か。俺は、教官の命令に背いた。引き返したのだ。仲間を背負い、自身の霊力を限界まで爆発させて、迫りくる瘴気を鎌で切り裂き、強引に突破口を開いた。
結果、チームは全員生還した。誰一人欠けることなく。だが、帰還した俺を待っていたのは称賛ではなく、教官たちからの冷ややかな侮蔑の視線だった。
「貴様は、死神にはなれん」
教官は、俺の成績表に赤字で『失格』と書き込みながら、吐き捨てるように言った。
「その甘さが、いつか冥府の危機を招く。情に流され、合理性を欠く者は、我々の組織には不要だ。……消えろ」
そうして俺は、「Dランク」の烙印を押され、正規の部隊ではなく、誰も行きたがらない閑職へと追いやられた。配属先は、冥府の最下層、「遺失物管理倉庫」。そこは、死者たちが生前に遺した「未練」や「執着」が、物体となって流れ着く、巨大なゴミ捨て場だった。
薄暗く、カビ臭い倉庫。ここが俺の新しい戦場だった。だが、不思議なことに、俺にとってはこの場所が心地よかったのだ。棚に乱雑に積まれた、無数のガラクタたち。使い込まれた万年筆、片方だけの手袋、子供が描いた拙い似顔絵、古びたロケットペンダント。それらにそっと触れると、持ち主だった魂の記憶が、温かい光となって俺の中に流れ込んでくる。
万年筆からは、小説家を目指していた青年の情熱が。手袋からは、雪の日に恋人と手を繋いだ時の温もりが。似顔絵からは、母を慕う子供の無垢な愛が。学び舎が「不要」として切り捨てた、不合理で、非効率で、しかしどうしようもなく美しい感情の数々。俺は、来る日も来る日も、それらの想いに触れ、丁寧に埃を払い、整理し続けた。エリートたちは俺を「ゴミあさり」と笑った。だが、俺はこの場所で、自分が失いかけていた「何か」を、かろうじて繋ぎ止めていたのだと思う。この「想い」こそが、魂を魂たらしめる所以なのではないか、と自問しながら。
そんな俺に転機が訪れたのは、カイたちが七歳になる直前のことだった。突如、閻魔大王から直々の呼び出しを受けたのだ。千年ぶりに足を踏み入れた閻魔庁の玉座の間。あの圧倒的な威圧感の中で、俺はてっきり、これまでの職務怠慢を咎められ、魂ごと消滅させられるのだと覚悟していた。
だが、大王の口から出たのは、予想もしない言葉だった。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




