第59話 プレゼンと……?④
さて本日の私たちのメインイベント、第七レースだ。
今回はあれこれ手を広げず、潔く単勝で勝負する気だったが……。
出馬表に気になる馬がいる。
いや、あえて目に入れないようにしていたが、「気になる名前の馬」がいた。
「私に『買って』と主張してますね……」
「『サガミノーブル』か……」
「これは運命ですわね!」
これまでビギナーズラックの欠片も見せることがなかった相模は、この馬と心中する気のようだ。
「サガミノーブル」は現在、十番人気で単勝オッズは五十倍前後となっている。
あっ……千円札入れやがった。それで一食食べられるぞ……。
さて私はどうすべきか。
必勝法の条件を満たす馬、「ファールーダー」の単勝オッズは三番人気で五倍前後だが……。ちなみに「サガミノーブル」との組み合わせは馬連で百九十倍と軽く万馬券になっている。
「先輩、いくら買うんですか?」
「悩んでいるけど、当たったら一万円札が返ってくるから、単勝二千円分かな」
「私は当たったら五万円です!」
「お互い当たればだけどな」
「高貴の名に懸けて、今度こそ勝って見せます!」
ここまで相模は勝っていない。
運が悪いというより、ツキを貯めこんでいるんじゃないかという気もするんだよな……。よし、馬連も買っておこう。外れてもネタになるし。
ついでに他の馬との組み合わせも四通り追加し、合わせて五通り分を馬連で百円ずつ購入する。
「おっ!高貴にあやかる気ですね」
私が買った馬券を見て相模が謎の発言をする。
「いや、意味わからないから、それ」
「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものは義務を負う)です。先輩だってまだ勝ってないじゃないですか。運のお裾分けです」
「いや、確かに買ってないけど、俺はこのレースが本線だから」
たわいもない会話をしている内に発走時間が近づいてきた。
「さあ、観覧席へ行きましょう!」
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「よし、いい位置だ」
レースが始まり、馬群の先頭集団につけた「ファールーダー」を見て、なんとなく雰囲気で言ってみる。
「ノーブルは後ろの方ですね」
「脚質は『追い込み』だから、これでいいんじゃないのか」
「そうですね、高貴パワーを信じます!」
ついに謎パワーまで現れた。
レースは各馬の位置取りがほとんど変わらないまま最終コーナーをカーブし、最後の直線に入る。この競馬場の直線は長い。そして残り二百メートルを切ったところで、ファールーダーが先頭に躍り出た!
「よし、そのまま! そのまま!」
「あれ先輩の馬ですよね! そのまま、そのまま!」
その時、場内に実況が鳴り響いた。
『馬群の中からサガミノーブル、伸びてきた!』
猛烈な勢いで追い上げてきたサガミノーブルが、ファールーダーと馬体を併せ、直線で激しく競り合う。
「えっ? えっ? ノーブル来た! 来てます! 来てます!」
「えっ、嘘。あ、待て、抜いちゃダメ……いや、抜いていいのか!?」
そうだ、相模が勝つなら問題ない。それに私は馬連も買っている。
この二頭で決まれば万馬券だ!
『サガミノーブル、先頭でゴールイン! 二着はファールーダー、続いて三着は……』
「相模!」
「先輩!」
――どちらからともなく手を取り合い、そして、思いきり抱き合った。
電光掲示板に「審議」の青いランプがついていることにも気づかずに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なんなんですか……。私の何が悪いっていうんですか!」
まるで断罪された悪役令嬢のように、相模がやさぐれている。
サガミノーブルは直線で内側に斜行し、審議の結果、他馬の進路を妨害したとして五着に降着。私の夢見た万馬券と、相模のビギナーズラックは一瞬にして紙くずと化した。
……それでも私は繰り上がりで一着になった、ファールーダーの単勝馬券が当たっている。ちょうど一万円が払い戻された。
「まあまあ。こんなこともあるさ。これを飲んで落ち着け」
スタンドの売店で購入した、キンキンに冷えたビールを手渡すと、相模は一気に飲み干した。
「もう一杯……」
「わかった、わかった。ちょっと待ってな、今買ってくる」
やれやれ、しょうがない。
まあでも、勝負事に慣れていないから仕方がないか。
それに今日、競馬場に誘ったのは自分だし、とことん面倒を見てやろう。
ふと、物語で出会う悪役令嬢を助ける主人公も、最初はこんな気分なのだろうかと場違いなことを考えてしまう。
「さてと……つまみも買っていこうか」
独り言ちて場内を歩きながら、途中、見かけたもつ煮にも惹かれたが、焼きそばとアメリカンドッグを二本買った。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ビールと一緒にアメリカンドッグを渡す。
「落ち着いたか?」
「はい、なんとか。気持ちを切り替えて次は勝ちます!」
まだ闘志(投資)は衰えていないようだ。
「じゃあ、必勝法を授ける」
「えっ?まだあったんですか」
「全部買え」
「?」
「全通り買えば必ず当たる」
「!」
「成功体験だ!」
「!」
「当たったという成功体験が大事なんだ!」
「わかりました、やります!必ず当てて見せます!」
冗談だったのに……。いかん、相模はもう酔いが回り始めているな。
――次のレースで、相模は本当に全通りの単勝馬券を百円ずつ買った。
そして、七番人気の馬が勝ったことで四十倍ほどの配当を手にし、私たちは無事に祝杯を挙げることができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「かんぱーい!」
「相模の初勝利に、かんぱーい」
相模が勝利と勝利の美酒に酔いどれる前に、私は彼女を連れて競馬場を後にした。
電車に揺られてターミナル駅まで戻り、乗り換えついでに飛び込んだ居酒屋。
冷えたジョッキを合わせ、仕切り直しの祝勝会を始める。
「いやーこんな必勝法があったんですね、さすがです先輩!もう一杯!」
会話は普通にできているが、すでに正常な判断能力は失われている気がする。
あと飲むペースが早い。
「ねえ、そっちの席に行っていいですか」
「えっ?」
四人掛けの席に向かい合わせで座っていた相模から、思わぬ発言が飛び出る。
……酔っ払いには逆らわないでおこう。
「いいよ、おいで」
「『おいで』だって……先輩。キャハハハ」
あー、もう駄目だな。
相模が私の横に恋人座りし、頭を私の肩に寄せてくる。
髪からいい香りがした。
「ねえ、先輩」
「ん?どうした」
相模が私の目をじっと見つめてくる。
「私の」
「私の?」
「私のお父さんと寝たでしょ!浮気者」
完全に壊れた。
いや、それは相模の家へ泊まりに行った時のことじゃないか。
妹たちの教育に悪いからって、お父さんと布団を並べて寝るはめになったのは、相模家の家族会議の結果だろ?
「浮気者」
「浮気なんかしないよ」
「ホントに?」
「ホント」
「じゃあ、和泉ちゃんは?」
いや、それも和泉ちゃんの前で相模に叱られている私の姿を見た、石見と日向さんが作って流した「因幡が浮気して相模に怒られた」っていう噂だろ。
「いや、それも噂だ、噂」
「和泉ちゃんはダメですよー。あげられませんよー」
「はいはい、相模のものね」
ホント、和泉ちゃんのこと好きだな。
時々、扱いがアレだけど。
「じゃあ……『相模が一番かわいい』って言ってくれたのは?」
相模が斜め下から上目遣いで見上げてくる。
私はこの視線に弱い。
グラスの中のビールをあおる。
「……それは、本当だ。本当だよ、だから安心しな」
「なら、良かったです……」
――その後、しこたま飲んだ私は、記憶を失った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ハックション!」
次に意識が戻ったとき、私は自分の部屋にいた。
どうやら無事に帰ってこられたらしい。
が、うっすらと寒気を感じる。
どうやら十月だというのに、エアコンの冷房が強めにかかっているようだ。
ふと部屋の中を見渡すと、ベッドの中でタオルケットにくるまり、横向きに眠っている相模の姿が目に入った。
「もしかして……連れ込んで何かしちゃったか?」
何かって何をだ。独りごちて記憶を呼び起こそうとするが、脳みそはまったく頼りにならない。
――その時。
「……さん」
寝返りを打った相模からタオルケットがはらりと剥がれ落ち、その唇から、微かな声がこぼれ落ちる。聞き逃してしまいそうなほど小さな呟き。けれどそれは、間違いなく私の名前だった。
「先輩」と呼ばれるのは嫌いじゃない。
現実の社会人生活において、もはやフィクションの中でしか聞かないような響きだけれど、相模が呼んでくれるその響きには、私だけの特別感が詰まっていた。
それでも――ただ純粋に名前を呼ばれることの嬉しさには、到底敵わなかった。
――ひょっとして、夢の中ではいつも名前で呼んでくれているのかな?
私も今度、名前で呼んでみようか、「未来」って。
そんな甘酸っぱい思考に耽っていても、ある冷徹な事実は消えない。
……なんで私は全裸なんだろう?
ベッドの上の相模を見ると、彼女はちゃんと服を着ていた。
――そして、およそ一時間後、相模は目を覚ました。
「すみません、先輩。ご迷惑をおかけして……」
「いや、大丈夫だよ。特に変なこともしてないし」
多分、していないと思う。
……あと、とりあえず私は服を着た。
「それって、どっちの意味ですか?」
「どっちもだ。相模はおかしなことしてないし、俺もしていない」
「……そうですか」
「今度は、ちゃんとしよう。な?」
自分でも何か変なことを口走っている気がするが、もう気にしないことにする。
「ふふ、先輩、変ですね」
「正直、まだ酔いが残ってるんだ。相模は大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。若いですから」
「変なマウント取るなよ。それより、このまま泊まっていってもいいぞ?」
「うーん、家族に『今日は帰る』って言ってあるので、大人しく帰ろうと思います」
「そっか……。じゃあ、駅まで送っていくよ」
「ありがとうございます」
そのまま駅まで相模を送り届けた。
まだ残る酔いに身を任せ、帰宅した私は、早めの眠りにつくことにした。
――夢の中の私は、彼女をなんと呼ぶのだろうか。




