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かぜをつむぐ.四


 しばらくして襖が開いたので振り返ると、葵がお膳を持って入って来るところだった。後ろにモコと、それに明日香と伊吹の姿もある。おやおやと思った。


「何だか賑やかではないか」

「お邪魔します」


 と明日香が照れ臭そうに笑いながら言った。ジュースのボトルだの、スナック菓子だの、的屋の食べ物だのが入った袋を携えている。私服の着物姿だから、何となくそのちぐはぐさが面白い。


「貴君たちもまだいたのだね」

「剣舞連の片付けまで終わったらまた来てって言ったんすよ、あたしが」


 と葵が言いながらお膳を置いた。明日香が荷物を置きながら言った。


「三人で打ち上げでもと思ってたんですけど、来たら葵がモコを捜しに行ってていなくて」

「ごめんってば」

「別に責めてないよ」

「直会に交ざってたんですけど、せっかくなんで僕らもこっちに交ぜてもらおうかなと思いまして」


 と伊吹が座布団を並べながら言った。彼は甚平を着ている。

 こんなどたどたしたおやじと座を交えて面白いか知らないが、向こうがいいならば別に私は構わないので、いいよと言った。

 シナトベさんがきゃっきゃと宙で回った。


「やーん、若者ばっかりでわたしまで若くなったみたいな気分だわ」

「そいつは無理がありませんか」

「お黙り」

「シナトベ様もいらっしゃるなら、お膳がもう一つ要るかな。僕、貰ってきますよ」


 と踵を返し掛けた伊吹をシナトベさんが引き留めた。


「いいのいいの、わたしもうお腹はいっぱいなの。そっちのお菓子で十分よ」


 それで私とシナトベさんはお酒を注いで、子どもたちはジュースを注いで、杯を掲げてお目出度うをした。何がお目出度いのかなぞはどうでもいい事である。明日香が私の周りをちらちらと見た。


「貧乏神さんはいないんですか」

「いないよ」

「いつも一緒なのかと思ってました」

「そんな事はない。貴君、あんなのに心を許しちゃ貧乏になっちまうぜ」

「そうですか? わたしは別に……ねえ?」


 明日香は隣の伊吹を見た。伊吹は頷いた。


「何か、僕らはおかげ様だったんで」


 葵が薄笑いを浮かべた。


「見せつけてくれるね、このバカップル!」

「ち、違うって」

「いいわねえ、若人は。見ててにやにやしちゃうわ」


 とシナトベさんがポテトチップスをかじった。ずっと食べている。どうも普段はしかつめらしく祀られているせいか、ジャンクフードに飢えている節がありそうである。


「幸兄はどこで何をして何樫さんに会ったんすか?」


 と葵が言った。


「僕がガラクタ亭にいたら来たのだ。ウィスキィを立て続けに三杯飲んでひっくり返った」

「そりゃ何とも」

「ガラクタ亭かあ。わたし、まだ行った事ないなあ」


 と明日香が言った。葵も頷く。


「何か、ちょっと近づき難い感じがするよね」

「子どもの行く所ではあるまい」

「喫茶店なのにですか」


 と伊吹が言った。この三人はまだガラクタ亭には行った事がないらしい。


「実態は酒場の様なものだ」

「そうなんだ。幸四郎さんは馴染みなんですかね?」

「僕は別の時にお会いした事はないが、店長とも店員の大助君とも見知りの様だったからね。酒を飲む前から出入りしていたんじゃないか」


 尤も酒を二十歳まで待たねばならない合理的な必然性はない。あれは道徳を説く大人の都合である。国によってその年齢が上下する事からもよく解る。私は七つの頃から飲んでいる。だからこんな大人になるのだと言われても返す言葉はない。しかし酒の味わいというのが解るのは、やはり子どもでは無理だろうとも思う。

 シナトベさんが口を開いた。


「行っちゃ駄目よ、あんなろくでもない所。幸四郎も悪い場所を覚えちゃって」

「シナトベ様はお嫌いっすか」


 と葵が言った。シナトベさんは口を尖らした。


「店長がろくでなしなのよ。絶対幸四郎にも悪い影響を与えてるに違いないわ」

「そうなんですか? 逆に興味湧くなあ」


 と伊吹が面白そうに言った。葵がにやにやしながら伊吹を小突いた。


「こら、いぶきち。あんたがぐれたら明日香が悲しむぞ」


 伊吹は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。


「そういうつもりじゃ……」

「真面目に取るなってー」

「でも、ちょい悪くらいなら、いいよ」

「何言ってんだよ、ならないよ」

「おっ、惚気ますなあ」

「違うって、もー」


 と明日香は頬を染めてはにかみながら、狸姿のモコを膝に乗せて撫でた。


「けど幸四郎さん、随分荒れてたみたいだね。あんなにへろへろなの初めて見た」

「だね。なんか、大学行ってちょっと変わっちゃったのかなぁ? 幸兄」


 と葵が寂しそうに言う。伊吹が頭を掻いた。


「本質はそう変わらないと思うけど、綾科と他所じゃ色々価値観が違うみたいだからな。こんな風に神様と気軽に話したりできないみたいだし」


 皆の視線がシナトベさんに集まった。チョコレート菓子を口に詰め込んでいたシナトベさんは、口をもぐもぐさせながらピースサインをした。高校生たちはくすくす笑う。

 伊吹がジュースのお代わりを注ぎながら言った。


「高校出たら、どうなるだろ。俺、他所で馴染めるかちょっと心配だよ」

「もう進路の話が来るもんね。まだ高二って思ってたけど」

「あっという間だよ。だって二年になって、もう夏休み終わっただろ? 気づけば卒業だよ、きっと」

「やだー、もっと高校生活満喫したいよう」


 と葵が投げ出した足をばたばたさせた。


「葵は結局家を継ぐんだよな?」

「ま、一人娘なんで。継ぐまでに大学行ったり他の仕事経験したりはしときたいけど」

「考え方が大人だね、葵は」

「でも、未来が決まっちゃってるってのも、少し窮屈じゃないか? 俺らにはよく解らないからそう思うだけかもだけど……あ、いや、別に風宮の家が悪いってわけじゃなくて」


 伊吹はシナトベさんをちらと見ながら慌てて言った。シナトベさんはくすくす笑う。


「いいのよいいのよ。ま、若者は色々好奇心があるものね。葵も家を継ぐ他にやりたい事あるんじゃないの?」

「ないわけじゃないですけど、あたし綾科好きなんで。ほら、おぼろだって退魔師になるのが決まってる様なもんだけど、別に窮屈そうじゃないでしょ?」

「あいつの場合は立場でどうこうじゃなくて才能の話だからちょっと別じゃないか? あいつがわざわざ退魔師にならないでも他にも退魔師はいるわけだし」

「そうだよ。葵の場合は他に継げる人がいないし……あ、でも葵だって双子様が見えるんだから、才能も十分って事だよね」

「んー、まあ、窮屈といえば窮屈かも知れないけど、逆に安泰といえば安泰でしょ? 分家とはいえ風宮一門にいられるわけだし、本家の人は基本神職だけど、あたしはもう少し自由が利きそうだから。勿論神社の奉仕もしたいけど」

「んふふ。葵は良い風を紡いでくれそうね」


 とシナトベさんが言った。風神さんにそう言われて、葵は照れ臭そうに頭を掻いた。


「きょ、恐縮っす……そういや、おぼろ来なかったね。マッチもいなかったし、仕事かな?」

「そうみたいだよ。マッチ、風の祀り行きたかったって文句言ってたもん」

「なんか、マッチもずるずるおぼろに付き合わされて退魔師方面に行っちゃいそうだよね」

「あー、なんだかんだマッチ優しいもんね。テンコさん、だっけ? あの伏見の狐の。何か面倒見る相手が増えたとか何とかぶつぶつ言ってた」

「わー、大変そう。慶介さんも手ぇ焼いてるんだろーね」

「でもやりたい事のある奴とか、得意な事が解ってる奴は凄いよな。俺、自分が得意な事ってよく解らないよ。お囃子は仕事にはなりそうもないし、他に取り立ててやりたい事って思い当たらないし」

「いぶきちは進路まだ迷い中?」

「迷い中。でも進学かなとは思ってて、一応夏休みにオープンキャンパスって行ってみたよ。な、明日香」

「うん。関東方面のをいくつか行ったよね」

「えー、二人でお泊り?」


 とシナトベさんがにやにやしながら言った。伊吹は大慌てで手を振った。


「違います違います。僕は父さんの友達の家で、明日香は親戚がいて」

「でもおんなじ大学見に行ったんしょ? 決めたの?」


 と葵が言った。


「まあ、そりゃ……いや、行くかはまだ決めてないけどね。何か、凄かったな。俺、自分が浮いてる様な気がして、落ち着かなかったわ」

「わたしも。着物着てるのわたしくらいで、何か悪い事してるわけじゃないのにドキドキしちゃった。伊吹みたいに制服持って行けばよかったよう」

「な。まあ、わざわざ他所に行かないでここで就職してもいいんだけど……」

「でも一度くらいは綾科の外で暮らしてみたくない?」

「そりゃ興味はあるけどさ」

「スマホが使えるんだよね。その親戚の家に泊まらせてもらった時に触らせてもらったけど、なんか目がちかちかしちゃった。あんな小さなので全部できちゃうの凄いよね。動画とか次々色々見れて、ずーっと見ちゃうの解る気がする」

「あー、幸兄も言ってたわ。綾科はスマホ使えないから嫌だって」

「けど、なんか、アプリだっけ? SNS? 何か色々あり過ぎて、見てないと落ち着かなくなっちゃうらしいよ。俺、何か使いこなせる自信がないなあ。時間を浪費しそうで」

「でもいつでも連絡できるって、ちょっとうらやましいよね……」

「へいへーい、隙あらば惚気るのやめてくれなーい?」

「ちがーう! もー、いちいち結び付けるなー!」


 赤くなった明日香は葵の脇腹をつついた。葵はけらけら笑いながら身をよじる。伊吹は面白そうに笑っている。シナトベさんはその様子を楽しそうに眺めながらスナック菓子をかじっている。私は手酌でちびちびと杯を舐めている。

 お膳の上は茄子と高野豆腐の炊きもの、鯵と胡瓜の三杯酢、タコの子の醤油漬け、オクラとモロヘイヤと蔓紫のとろろ、夏野菜の精進揚げなんかが並んでいる。風宮にいい料理人がいるのか、今日は祭りだから誰か雇ったのか知らないが、酒肴に事欠かず、味も大変いい。

 高校生たちは私をそっちのけで話しているが、別に話に入らずとも、賑やかなのを眺めて酒を飲むだけで面白いから構わない。解らぬ話に無理やり入る方が面倒である。


 段々と夜が更けて来て、伊吹があくびをしながら腕時計を見た。


「そろそろお暇しないと」

「あ、もうそんな時間か。明日学校だしね」

「葵、ありがと。お疲れ様。また明日ね」

「うん」

「何樫さん、おやすみなさい」

「気を付けて」


 それで高校生たちが出て行った。葵もモコを抱えたまま見送りに行った。

 シナトベさんは流石にもうお菓子を食うのをやめて、ごろんと畳の上に片肘を突いて横になっている。


「いやー、若い子たちに交ざるのはいいわー。若返った気分だわ」

「はあ」

「あんた、相変わらず底なしね。もっと飲む?」

「いただきましょう」

「肴は」

「要りません」


 私のお膳にはまだ酒肴が残っている。シナトベさんがちょいちょいと指を振ると、さあっと音を立てて風が部屋から廊下を伝って行った。あれで台所に何か言伝になるのだろう。

 月がいつの間にか随分高くなり、もう部屋の中からは庇に遮られて見えない。しかし月明かりだけは落ちている。

 酒を飲み出すとつい長尻をするからいけないと思いつつも、飲めばうまいし、自分で切り上げどころが解らなくなるから、こうしてまだ座っている。シナトベさんは猫の様に手足を縮めたり伸ばしたりしていた。


 少しして、総二郎君が一升瓶と湯飲み茶碗を持ってぬうと現れた。意外な人が来たなと思った。

 総二郎君はシナトベさんに一礼し、私の向かいに腰を下ろした。


「お招きしたのにお相手もいたしませんで」

「別に構って欲しくて来たわけではないから、いいよ」

「そうですか。いえ、私も他のお客の相手をしておりまして」

「そりゃそうだろう。もうそちらはいいのかね」

「時間も時間ですし、父と兄とがおりますので」

「そうかね。まあ貴君も一献」

「頂戴します」

「あんたはどうします」

「飲むー」


 と言ってシナトベさんは起き上がった。

 それで総二郎君とシナトベさんと乾杯をした。誰が相手でも、お酒が入れば詰まらないという事はない。お銚子と猪口で飲む酒もいいが、一升瓶から直に注がれる湯飲み酒もまた味わいがある。


「貴君、幸四郎君はどうしているの」

「寝ていると思います。全く、仕方のない奴です」


 と総二郎君はやれやれと頭を振った。私は一升瓶を持った。


「随分喧嘩したらしいけれど」

「いえ、そのつもりではなかったのですが……」


 湯飲みで受けながら、総二郎は嘆息した。


「どうにも語気が荒くなってしまうので、困りものです。弟が相手では特に」

「まあ、身内にほど厳しくなるという事もあるからね」

「そういうつもりでいたんです。他の者は、父も含めて幸四郎には甘いので。自分がその役割をせねばと思っていたのですが、今日は向こうも食って掛かって来るものですから、ついこちらも激してしまい」

「別にあなたがそこまで肩肘張る事ないじゃない」


 とシナトベさんが言った。


「しかし父や兄だけでなく、シナツヒコ様もシナトベ様も幸四郎を諫めたりなさらない。あれがあんな奔放になったのは、私がもっとしっかりしていなかったのではないかと」


 酒が回っているのか、総二郎君は何だか激して来た。シナトベさんが冷や汗を掻く様な顔をして「どうどう」と言った。


「怒らない怒らない。幸四郎はあれでいいじゃない」

「なぜです。風宮の男子として、綾科の御三家に生まれたからには、相応のお役目というものがある。無論、しばりつけるつもりなぞ毛頭ありませんが、それでも守るべき矜持というものがあるでしょう。何もかも自由にしていては、家の面目も、引いては風神様の威厳も潰れてしまう」

「そこまで大袈裟な話じゃないと思うけどねえ……」

「しかし、幸四郎は兄弟でも一番神通力はあるのです。誰よりも上手く雲を踏むし、風を操るのも上手い。神々様とも距離が近しい。あれをみすみす潰してしまうのは惜しいのです」

「しかしそういえば、幸四郎君は神通力に関しては兄弟一だと自負していたね」


 と私が言った。総二郎は頷く。


「そう、自覚もある様です。それなのに真面目にやろうとしない」

「才能のせいで将来が決まった様に扱われるのが嫌とも言っていた」

「それは……」


 総二郎君は何やらバツが悪そうに目を伏せた。


「……あいつがどうしても進学したいというのは、そういう気持ちもあったのでしょうか」

「さてね。しかし、若者が違う世界を見たがるのは古今東西変わりゃしないだろう。貴君だって昔はそうだったのじゃないの」

「そう、ですね……。私は、自分の理想を弟に押し付けていただけなのでしょうか……しかし、葵の様に才能もあり、努力を怠らず、かつ風宮への愛着も持っている子を見ると、幸四郎もそうあるべきだと思ってしまい……」


 何となく消沈しているらしい総二郎君の背中に、そっとシナトベさんが手を置いた。


「……総二郎、風ってのはね、本来自由なものなのよ。ある意味、幸四郎が一番風の気質を持ってる。だからこそ、わたしやシナツヒコとも通ずる力が強いの。そりゃ、本家が幸四郎一人だけならわたしらも考えるところもあるけど、四人兄弟の末っ子なのよ。上三人は皆真面目でいい子だけど、奔放な、風の気質を持った子が一人くらいいなきゃ、それこそ風宮じゃなくなっちゃうわ」


 シナトベさんに言われて、総二郎君は俯いた。


「……自分が堅物なだけなのでしょうか。兄にも、時代に合わせて臨機応変にした方がよい、と苦言を呈される事があります。しかし時代が変わるからこそ、維持しなければならぬものもあると思ってしまうのです」

「それも大事。でも何もかもそうでなきゃいけないわけじゃない。新一郎の清濁併せ呑む鷹揚さと総二郎の曲がった事が許せない真面目さが良いバランスなのよ。もちろん源三郎の優しさも必要だし、幸四郎の自由さも必要。それぞれにそれぞれのお役目があるんだから、そう思い詰める必要もないのよ」


 とシナトベさんは総二郎をよしよしと撫でながら言った。体の大きな総二郎君がそうされているのは、何だか変な光景である。シナトベさんは慈母を気取った表情で私の方を見た。


「ね、そう思うでしょ、何樫」

「はあ。あんたが面倒ごとをシナツヒコさんに押し付けて、ご自分が自由にしているのと似た様なものですね」

「折角の良い話を台無しにするな!」


 シナトベさんはぷりぷり怒って私を叩いた。湯飲みに口をつけたところだったから大いにむせ返って閉口した。


「ふん、口は災いの元だわね。お前はもっとわたしたちを篤く敬いなさい」

「そいつはお断りです。しかし今になってそんな話をする前に、兄弟を集めて訓示を垂れておいた方がいくらか適当だったか知れないじゃありませんか」

「人と人の関係にわざわざ神がしゃしゃり出て行くもんじゃないの」

「そんなら今日だってそんな話をするのはおかしい」

「今日は例祭だからいいのよ。人と神の御縁が近くなる日ですもの」

「そんなもの、そちらの匙加減ではありませんか」

「ふんだ、何とでも言いなさい」


 とシナトベさんはつんとそっぽを向いて、湯のみ茶碗の酒をぐいと飲み干した。

 何となく話の腰を折られた様な顔の総二郎君が、遠慮がちに一升瓶を手に取った。


「何樫さん、もう少し手心をお願いします」

「こら総二郎。何樫ごときに遅れを取るシナトベ様じゃないよ」

「は、これは出過ぎた真似を……いかがです」

「うむ、苦しゅうない」


 総二郎君のお酌を受けて、シナトベさんはふうと息をついた。


「総ちゃん。わたしは兄弟仲良しなのが嬉しいのよ」

「はい」

「ま、あなたが意地悪で幸四郎に説教するわけじゃないのは解ってるけどねー」


 とシナトベさんがからから笑っていると、やにわに襖が開き、金髪をなびかしてお稲荷さんが突っ立った。


「姉風神、ここにいたの」

「ありゃ、稲荷の。どうしたの」

「もうお開きよ。締めの挨拶に社の御祭神がいないのは駄目でしょう」

「シナツヒコはどうしたのよ」

「そりゃいるよ。でもあなたがいなくていい理由にはならない」

「そうね。締める所は締めなきゃね。んじゃ行きますか」


 シナトベさんはきゅうと湯飲みを干すと、立ち上がってうんと伸びをした。総二郎君も腰を上げ、お稲荷さんに一礼した。


「気づきませんで、この総二郎不徳の致すところ……」

「いいのよ。朝彦と新一郎もいるから。お前は幸四郎の事で話したい事があったんでしょう」


 とお稲荷さんは私を見てにやっと笑った。


「何樫相手なら穴に向かって喋るのと同じだからね」

「穴は返事をしません」と私が言った。

「例えよ、例え。どう、少しは気が晴れた」

「は、おかげさまで。シナトベ様にもご訓示を頂戴いたしまして」

「それは重畳。さ、姉風神行くよ」

「はぁい」


 それでシナトベさんとお稲荷さん、総二郎君まで連れ立って出て行ったので、急に辺りが静かになった。

 縁側の方に座布団を引き出して、外を眺めた。もう夜が更けて、空高く上った月の明かりがそこいらに幕を張った様に思われる。何となくホッとして、一升瓶から並々と注いですすった。賑やかな酒もいいが、静かな独酌もまたうまい。


 ぎいぎいと縁側の板を踏む音がしたので目をやると、幸四郎がふらふらとやって来ていた。そのままどすんと私の隣に腰を下ろす。


「うー……頭痛い……」

「起きたのかね。寝ていればいいのに」

「痛くて寝てられないよ……まだ外にいた方が楽だ」

「では迎え酒は如何かな」

「要らないよ、水飲んだだけで戻しそうなのに……相変わらず何樫さん強すぎだろ」


 幸四郎はうんざりした様に言って首を振った。


「なんか、馬鹿みたいだ」

「何が」

「……盗み聞きしちゃったよ、さっきの話。隣の部屋にいたんだ」

「そうか」

「なんか僕一人だけで突っ張らかってるみたいで、本当にガキじゃないか」

「それはそうだろう」

「うるさいな。でも総二郎兄さんも素直に言ってくれりゃいいのに、いちいち御高説するからなあ」

「素直に言っていたら、貴君は聞き入れていたかね」

「……どうかな。正直、今も反抗する気持ちはあるんだ。恩着せがましいと思っちゃうところもあるし、こっちは別にそんな事頼んでないってイラつく感じもある」

「結局貴君は放っておいて欲しいという事なの」

「解んない。ほっとかれたらそれはそれで気に入らなさそうだし……」

「要するに反抗期という奴だね」

「そう要されちゃたまんないよ。もっとこう、複雑な心の動きがあるんだってば」

「しかしともかく総二郎君に反抗したいという気分なんだろう」

「まあ、それは……だって、僕に厳しいのは家じゃ総二郎兄さんだけなんだもの」

「総二郎君は間違っていると思うかね」

「全部が正しいとは思わないけど」

「部分的には貴君も道理だと思うのか」

「そう。だからこそムカッとするものでしょ」

「まあ大抵の場合正論は人の感情を逆撫でするからね」

「そう、それだよ。いちいち正論で突っかかって来られたら嫌になっちゃうだろ?」

「それで無暗に突っ張らかった挙句、引っ込みがつかなくなったというわけか」

「ぐ……」


 幸四郎はごろんと私に背を向けた。私はまた湯飲みに酒を注いだ。


「しかし引っ込みがつかなくなっているのは総二郎君も同じの様に思えるがね」

「……かもね。総二郎兄さん、意地っ張りなところあるから」

「意地っ張り同士だから収拾がつかないのだね」

「……でもさ、こういうのって劇的な解決ってするものなの? 僕が心を入れ替えるか、総二郎兄さんが僕を許して好きにさせるか、どっちかって事になれば解決なのかな」

「そんな事は僕の知った事ではない」

「何だよ、冷たいなあ」

「だが現実はやって来る。貴君もいずれ大学を卒業して選択を迫られる」

「そうだよなあ……」

「貴君とて、別に綾科が心底嫌というわけでもないのだろう」

「まあね。スマホ使えないのは嫌だけど、ま、子どもの時はずっとそうだったわけだし。大学じゃさ、綾科ほど術も力が出ないんだよ。下手な事したら悪目立ちしそうだし」

「そんなら帰って来りゃいいじゃないか」

「……いいよ、その時になったら考えるから」

「そうか」


 結局そういう事なのである。あらかじめ細かく計画を立てて、人生に掣肘(せいちゅう)を加える事ほど馬鹿馬鹿しい事はない。

 本殿の方から一本締めの音がした。続いて拍手の音が聞こえる。挨拶が終わり、いよいよ散会という事になったらしい。幸四郎が顔をしかめたまま体を起こした。


「……一応、僕も見送りに立つかな」

「本家の男子だものな」

「茶化さないでよ。そういう立場とかどうとかじゃなくて、僕は神様たちの事は嫌いじゃないんだ。友達を見送るのは普通の事だろ。僕は僕の風を紡ぐさ」


 幸四郎はそう言って立って行った。

 次第にごうごうと風が強まって来た。風音の中で何かさわさわと呟きの様なものが聞こえる。どうやら神々様がお渡りになっているらしい。例祭に招かれた神々が自分の社や祠に引き上げているのであろう。

 一升瓶は気づけば空である。随分長尻したから、もう帰ろうと思う。


 氏子や関係者連中ももう帰ったらしい。屋敷の中は人の気配こそ薄くなったが、片付けでばたばたしている。

 その間を縫って外に出た。

 風は少し弱まったらしい。神々はもうすっかり引き揚げた様で、本殿の方は森閑としている。

 境内の提灯も消されて、そこいらは月明かりばかりが木々の間から差し込むばかりである。

 じゃくじゃくと玉砂利を踏んで行くと、石段の前で葵にばったり出くわした。


「あ、何樫さん」

「どうもご馳走様。帰るよ」

「幸兄が起きて来たんす。何か、ちゃんと見送りに立って……何かあったっすか?」

「いいや」

「うーん……?」

「貴君は明日学校だろう。早く寝てはどうかね」

「そうっすね。お父さんの用事が終わったら、一緒に帰るところっす」


 分家の葵はこの屋敷に住んでいるわけではない。葵の腕に抱かれたモコがもたもたと前足を動かした。


「お世話さまでした、何樫さん」

「貴君も災難だったな」

「いえ、ぼくも楽しかったです」

「そうかね」


 それでお休みなさいを言って、石段を下った。

 下の的屋はもう片付けを終えていなくなっており、通りはしんとして暗い。しかし道の両側の飾りはまだそのままで、吹き流しや布が闇の中で身をくねらしている。影だけがのたうっているので、何だか黒くて大きな生き物が暴れている様に見えた。


 月にうっすらと雲がかかっているが、形のくっきりした雲だからすぐに流れるだろう。

 明日もいいお天気だろう。

 どうせ暑くなると思ったらうんざりした。


「かぜをつむぐ」編終わりです。

また忘れた頃にお会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
夏の余韻を感じながら読めました
久々に更新が来てて嬉しかったです。 こういう世界観の小説がもっと読みたいけどあんまないんですよね。
いつも更新を楽しみにしております。 >「かぜをつむぐ」編終わり いいお話でした。グッドエンドでもなく、バッドエンドでもなく。でも後味は悪くない。それでいてつっかえるものもない。 なんとも言えない落ち…
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