【第三部】1、花の香り
体を蝕む苦しみ。
纏わりつくそれらは振り払おうとしても、離れてはくれなかった。
辛い。
苦しい。
怖い。
寂しい。
恐い。
そういえば。
ここはどこ?
ここはなに?
感じるのは、
突くような痛み。
後に残る痛み。
一瞬だけの痛み。
えぐるような痛み。
貪り食べられるような痛み。
たったそれだけ。
ここはどこ。
ここはなに。
なにもわからない。
分かるのは、『痛み』だけ。
どうして私はここにいるの。
どうして私は苦しんでるの。
あれ。どうして『痛い』のだっけ。
あれ。『痛い』のだっけ。
あれ。これが『痛い』だっけ。
あれ。
あれれ。
なに。
なんだっけ。
ここはどこ。
ここはなに。
アレ?
ア レ レ ?
ワ カ ン ナ イ
ワ タ シ ハ ダ レ ?
『 タ ス ケ テ 』
それを『覚醒』と言った。
力が解き放たただけでなく、それは真実の神の力を手に入れるということも意味していた。
覚醒は体の変化も伴った。
セイやハクトの髪が青色や白色をしているのもその理由だった。
瞳の色が違うのも、そういうことだった。
そして、私の体にも変化は起きていた。
燃えるような赤と雪のような白が入り混じった髪。
太陽のように金色がかったオレンジ色の瞳。
私は大きく変わってしまったのだった。
あの事件後、現世に帰るともう夜中の12時近くになっていた。
家族は警察に届け出を出そうとしているところだった。
本気で怒られたが、決してどこでなにをしていたかは明かせなかった。
そして私たちは冠受祭をやり直した。
今度こそ、朱雀神として胸を張ることが出来た。
決め字などを知った時に覚醒が起こるのは珍しいことではなく、ハクトやフカさんがそうだった。髪や瞳などの色は能力を解放していない時には色が変わらず、現世の生活に問題はなかった。
しかし、向こうの世界での、夜暗並組と、四神ら神々との対立が大きくなり、いつ戦争が起きてもおかしくない状況になってしまった。
またそれに備え、四神に、麒麟様に仕える沢山の兵士たちは一層守備を強化させていた。
「朝が来たらいつの間にか昼になってて、昼になったらいつの間にか夜になってる。毎日そんな感じがするなぁ……」
涼しげな風が吹いては去っていくこの時期、すっかり散ってしまった木の葉を尻目にしながら私は1人、銀杏の並木道を歩いていた。
葉が美しく色づく秋ならとても美しいのだが、今はただ寂しいだけである。
学校の帰り道、若干早歩きで歩いているのは、早く向こうの世界に行きたいからであった。
今日も向こうの世界で訓練と四神としての仕事があるのだ。
「………あれ」
ふと、鼻先に捉えた香り。
柔らかい花の匂い。
人工的には作れない優しい優しい香り。
その香りは微かだが、私の鼻はしっかりと捉えていた。
そこは、小さな神社だった。
毎日見る小さな神社。
くすんだ朱色の鳥居に、鬱蒼と生える草木。
その奥に見える本堂も少し崩れかかっている。
なんの匂いだろ。
そう思って、神社を覗いた時だった。
「………なにを、見てるの?」
耳元で囁かれた声。
少しかすれた中に、芯の強さを感じさせる声だった。
「っ!」
敵か!?
私は思わず振り返って反撃の姿勢をとる。
砂埃が少し、舞い上がった。
「……そんなに、警戒する……?」
その人はふわりと首を傾げた。
癖っ毛な焦げ茶色の髪に、真っ直ぐな紫色の瞳。
背の高いスラリとした体型のその美しい男子は、私の顔をそっと覗き込んだ。
「……聞いて、いる?」
「……っ、あなた誰、ですか?」
反撃の姿勢を緩められなかった。
向こうの世界の状況を考えたら、それ以上に、この人の雰囲気が、あまりにも危険で。
に近い雰囲気を感じたから。
「……僕は……エン。君は……?」
私のことを知らないということは、向こうの世界に関係のない人なのかも……?
「私は、武井シュウよ」
『シュウ』
一様、向こうの世界の仮名を使う。
「……シュウ……、不思議な名前……」
ふわりと、花が咲くようにエンは笑った。
「……それで、なにを、見ていたの……?シュウ」
「なにも、見ていなかったよ。……ただ、花の香りがしたから」
「……花?ああ、そっか……。花か……。それはきっと……、僕だね。僕は……花の香りがするんだ……」
不思議な少年だ。
つかみどころがなくて……恐い。
「…………ねえ、シュウは、『ナニ』?」
『ナニ』……?って……。
「……何って、どういう意味?」
やっぱり、この人……。
「……あはは、ごめんね。……僕のお家柄、聞きたくなっちゃうんだ、この質問……。でも、君は……違うの……かな?」
どういうこと、意味がわからない。
「……ごめんなさい。私、そろそろ行かなきゃだから」
私はさよなら、と頭を下げて立ち去ろうとする。
「……そっか。ごめんね、長居させちゃって……」
エンは申し訳なさそうに眉を下げると、そっと私の腕を引き寄せた。
「ちょっ」
そしてエンは、そっと囁いた。
「……僕たち、また会うよ、近いうちに。だから、それまで。またね………朱雀ちゃん」
エンはふわりと、咲きたての花のように微笑んだ。




