見たことのある景色
目の前に広がる光景は、何処かで見たことのある景色だった。山々の形、その間を流れる川、川に沿って引かれた道、田畑の造形。一目見れば大山田の地だと、19年も住んでいれば嫌でも見違える事はなかった。だがしかし、決定的に欠けている物があった。電線や電柱、アスファルトで整備された道路、ガードレールや信号機などの人工物が、一切見当たらないのだ。所々に見える家屋も、現代の住宅ではなく、どこかで見たことのある様な茅葺屋根の古民家ばかりだった。
「あの……。あの!!」
「は、はい!何でしょう!?」
「今って、今の年号って令和ですよね?令和8年ですよね?」
「れいわ?いえ、今は天正です。天正13年です。それくらいなら、私でも分かります。」
雪は、軽く胸を張ると自信たっぷりといった面持ちで答える。聴いた事のない年号に、脳内が錯綜すると同時に悪い予感がした。僕は、雪が拾ってくれたリュックの中から、様々な歴史資料を一纏めにしたファイルを引っ張り出すと、何か年号が記された資料はないかと物色する。意外と和暦が載った資料はあまりないもので、西暦表記ばかりだった。唯一書籍として入れておいた、中世の山城の縄張りや構造等に関する本の、ページの後ろの方に付録として歴史年表があった事を思い出し、必死にページを捲った。
「あった……」
そこに記載された【天正18年(1590年)】の文字。この年に、かの有名な豊臣秀吉は北条氏を降し、事実上の天下統一を果たした旨が簡単に記載されていた。雪の言う事が本当なのであれば、その5年前である天正13年に、僕はタイムスリップしてしまったのかもしれない。本を持つ手が震え力が抜ける。どさりと本が床に落ちた。
「大丈夫ですか?やっぱりまだ休んだ方が良いですよ。顔色が悪いです。」
「え、えぇ。そうですね。そうします……。天正13年ですか……。まさか。まさかね……。」
「本当に大丈夫ですか?手が震えています……。ちょっとお水、持ってきますね。」
雪はそう言うと、軽い足取りで隣の部屋へと消えていった。僕は、身体中の痛みを堪えながら、もといた布団の上に戻ると、仰向けになって思考を巡らせた。
(本当に。本当に過去にタイムスリップしてきてしまったのだろうか……。しかも戦国時代の真っ只中の大山田の地に……。雪の言動とスマホの圏外、外の景色を見ると、色々な事が符合する。)
視界には、木板でできた天井に幾つもの木目が広がっていて、3点の不気味な両目と口がこちらを覗いていた。ゾクリ、と背筋に怖気が走った。無償に恐怖が襲ってきて、手が、足が、震える。
(これから、どうやって生きていけばいいんだ……。)
「お待たせしました。お茶を淹れてきました。少し温まった方が良いと思って。」
雪がお盆を持って戻ってきた。お盆の上には、急須と湯呑が乗っている。僕は、手足の震えを悟られない様に堪え、ゆっくり慎重に上半身を起こすと雪から湯呑を受け取った。湯気の立ったお茶をゆっくりと啜り嚥下する。お茶の味は、現代の緑茶と全く同じ味だった。葉の香ばしさが鼻をつき、少しだけ気が楽になった気がした。
「大丈夫ですか?」
「え。えぇ。ありがとうございます。少しだけ落ち着きました。」
「少し顔色も戻った気がします。何か、問題でもあったのですか?私には、色々な言葉が何だか良く分からなくて……。」
「はい……。まぁ……。」
僕は、雪に今の現状を言うべきか迷ったが、一見、無垢そうな彼女であれば、悪いようにはされないだろうと思い、また自分の現状を吐露したい気持ちもあって打ち明ける事にした。
「あの……。僕は、今から約440年先の未来からやって来たと言ったら、信じますか?」
「え」
「雪さんの言う天正13年が本当なのであれば、僕は約440年後の未来から来ました。」
雪が、鳩が豆鉄砲をくらった様なきょとんとした目でこちらを見つめる。
「私、よく分かりません……。その、440年後の未来には、時間を戻る事ができるのですか?」
「いや、できません。440年後の未来にも、そんな技術はありません。」
「では、どうやって?どうやって、過去に来たのですか?」
「僕にも分かりません。分からないんです。ただ、お城の跡を探しに山を探索していたら、滑落してしまったんです。そして、さっき気がついたら、過去に来てしまっていたのです。滑落した最中に何かがあったとしか言えません……。」
「そんな……。では……。では、あなたのお家は?帰る場所は?ご家族は?」
「僕の家は谷川にあるのですが、この時代にはありません。さっき、このスマホ……。未来には離れていても会話ができる道具があるのですが、それで両親に掛けてみても全く繋がりませんでした……。」
「すまほ……。未来には、そんなに便利な道具があるんですね……。それにしても、どうしましょう……。帰る場所もない、ご家族もいない、身よりもない……。こんなのあんまりです……。」
雪がしょんぼりしながら言うと、縁側から二人の男がひょいと顔を見せた。一人は背が高く筋骨隆々でがっしりとした、無精髭を生やした中年くらいの男だった。もう一人は、背丈は中年くらいの男と同じくらいだが、引き締まった体格に程よい筋肉がつき、爽やかな好青年だった。恐らく僕とあまり歳は変わらない。二人とも着物の腕丈と足元を捲って着崩していて泥だらけだった。恐らく農作業の帰りなのだろう。
「やあ、あんちゃん。目が覚めたか?」
「あ、はい。さっき、目が覚めた所です。」
「お父さん、お兄ちゃん、大変なの。この人、440年先の未来から来たんだって!」
中年くらいの男が、屈託のない笑顔で話しかけてきた。雪の言葉から、中年くらいの男が雪の父親、爽やかな好青年の方が雪の兄と言う事が分かった。
「未来!?」
二人の男の声が重なる。冗談なのか本当なのか半信半疑といった面持ちだった。僕は、さっき雪に話した内容を言って聴かせた。
「なるほどな〜。正直、どうやって過去に来たのか、信じられないが、お前さんの言う事を信じるよ。その持ってる、すまほとか言う道具と、奇妙な服に物を入れる袋みたいな奴、見たことねぇからなぁ。」
「はい……。」
「それにしても、これからどうするんだい?自分の家と家族が440年後に居るなら、この時代には帰る場所がないだろう?」
雪の兄が言う。全くのその通りだった。
「それは……。」
それは嫌な予感がしてから、ずっと頭の中央に不気味な靄の様に佇んでいる問題だった。
「そう!そうなんだよ、お兄ちゃん。この人、天涯孤独になっちゃったの!だから未来に帰る方法が分かるまで、うちに住んで貰っても良いんじゃないかなって!」
雪の言葉に、心が揺れる。しかし、見ず知らずの男を、人の家に住まわせてくれるだろうか。この時代は、裕福な現代と異なり食っていくのもやっとの時代だ。飢饉だって頻繁にあったと聴いた事がある。
「そうだな。別に、うちに住めばいいさ。お前さんさえ嫌じゃなければ。」
雪の父が、人を住まわせるのが、さも当たり前だと言う様にさらりと言った。
「え、良いんですか?大丈夫ですか?だって、この時代って食うのも大変な時代って聴いた事があります。結構、飢饉とかも多かったって。」
「いやいや、大丈夫だよ。人一人増えた所で、食いっぱぐれる事なんかないよ。うちは結構、色んな物を作ってるからさ。」
雪の兄も、父親に良く似た屈託ない笑顔で言う。帰る所も身寄りもない、家族も友人もいない、孤独な僕には、これ以上ない言葉だった。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか分かりません……。本当に……。ありがとうございます。」
「いいさ、いいさ。気にすんな。そんな事より、早く怪我を治さなきゃな。それじゃ、まともに歩く事すらできないだろう?」
雪の父の男気溢れる言葉に、涙が出そうだった。




