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プロローグ

 僕は急斜面を、もの凄い勢いで転がり落ちていた。今更だったが、興味本位で深く切り立った堀切に踏み入った事を深く後悔する。堀切の向こう側にも遺構が残っているから、渡らなければ辿り着けないとは言え非常に危険だった。僕が足を掬われた堀切は、とある山中にある中世の山城の遺構の一つで、防御施設よろしく立派にその機能を果たしてみせた。尾根を鋭く断ち切る様に深く抉れた堀切は、人を容易には進ませず、僕は見事に崖へ真っ逆さまに転がっていったのだった。

 

 澄んだ空気が心地よい秋晴れの下。僕は、道なき道、急な激坂を息を切らしながら、ひたすら登っていた。そこは全く整地などされていない、とある山中の真っ只中だった。一歩、一歩を踏み込む度に、トレッキングシューズがやわらかい草や枝、土にめり込み、全くと言っていいほど力が伝わらない。整備された登山道がどれほど快適か、身をもって知らされる。なぜ僕がそんな険しい山を登っているのか。それは、もうとっくに忘れ去られた、知る人ぞ知る城跡を見つける為だった。僕は小さい頃から城が好きだった。最初は、大きな天守閣と立派な石垣のあるお城に興味を持ったが、大人になるにつれ、いわゆる中世の山城、戦の為の城に傾倒していった。そしてここ最近では、人々に忘れ去られた城、近所に住んでいる人ですら、そこにお城があった事さえ知らない、歴史の中に葬り去られた城を見つけるのが趣味になっていた。数年前、僕の家の周辺には、そういった山城が多いことを知り、そこから一気に夢中になった。まさか自分の家の近くにお城があったなんて、思っても見なかったから余計に熱中していった。ただ実際の所、僕自身がその城たちを初めに発見した訳ではなくて、だいぶ古い書籍に、この辺りに城趾があるという事が記されていたのだ。恐らく昔の歴史家が古文書などを基に、僕の様に一つ一つ探し当て書籍に書き記したのだろう。

 急な斜面をやっとの事で登りきり尾根に出ると、一気に空気を吸い込み、そして肺から吐き出す。周囲は木々に囲まれていたが、視線の先には、山々が連なる稜線がずいぶん先まで伸びていた。秋の陽光も相まって、とても清々しい景色だった。しばらく呼吸を整え、背後のリュックのサイドポケットに手を伸ばし、スポーツドリンクを取ると2口、3口と飲む。さて、ここからが本番だった。事前の調査によると、この尾根を左手に進むと小規模な堀切と郭が、右手に進むと郭群や複数の堀切、土塁など複数の遺構が残っているらしい。左手の小規模な遺構は帰りに見るとして、本丸である右手の道を進む事にした。ここからは尾根づたいなので、さっきの道のない激坂に比べればとても楽だ。だが、いま居る場所は全く保全も管理もされていない山奥の真っ只中で、それだけ危険だと言う事を忘れてはいけない。気が急いてしまい思わず早くなる歩も、無理にでも気持ちを抑えつけ慎重に進んでいく。昼間だと言うのに、木々の葉に多い隠され夕暮れ時の様に薄暗い。かなり遠くの方から、甲高い鳥の鳴き声が響いてくる。一人でこんな山奥に居ると心細いし、少し恐怖心もある。ちょっとした物音に、いつもより反応してしまう。しかし怖いもの見たさなのか何なのか、進む歩みを止める事はなかった。そうやって黙々と進んでいくと、尾根が明確に抉られている場所に着く。

「堀切だ……。」

 思わず独りごちる。そこから先は行けないよとでも言う様に、明確に明瞭に、尾根づたいを断ち切る様に大きな溝が生じていた。こんな地形は自然に出来る物ではない。人の手によって形作られた物だった。僕はリュックから1冊のノートを出すと、簡単に縄張り図を描いていく。一行目に城の名前(この辺りは下郷(シモゴウ)と呼ばれているので、下郷城と勝手に名付けた)を書き、その下に進んで来た道と、いま目の前に現れた堀切をスケッチした。この僕の縄張り図は、図面や設計図の様にあまり正確性は求めていない。どうせ素人の趣味だし、あくまで様相が分かれば良いと思っていた。でも一応、距離感などは統一できれば良いと思っていて、ハンディタイプのレーザー距離計も持ち歩いている。素早く堀切を書き込むと、一旦ノートはリュックにしまい、慎重に堀切を渡っていく。かなり深く作られており、間違って踏み外しでもしたら、尾根の左右の急斜面から下に真っ逆さまだ。数百年は経っているのに、未だこんなに深く堀切が残っている事に関心する。堀切を渡り終えると、先にはこんもりとした土塁が見える。道はその土塁を右側に迂回する様に伸びていて、いわゆる馬出しの様だった。馬出しは、城の入口を守り敵の侵入を防ぐ役割がある城郭施設の一種だ。その馬出しを超えると、また堀切があり、その先には見事な郭が、棚田の様に幾つも連なっていた。尾根のすぐ側には、目立つ様に削平地も幾つか見られ、兵を置いておくためのエリアだったのだろうかと想像を巡らせる。今では人っ子一人来ることはない田舎の山中に、当時生きていた人々の意思を確かに感じた。約400年前、この場所に城を築こうと思った人、その縄張りを考えた人、その土木工事にあたった人……。そこにはもしかしたら、僕のご先祖様も関わっていたかもしれない。僕は、段々状になっている郭群や削平地、馬出し状の土塁、堀切などをレーザー距離計で凡その距離を測りながらささっと書き込んだ。30分ほど経っただろうか。一通り書き終えると、後は遺構の数々をスマホで写撮影すると、城趾を後にする事にする。思っていたよりも立派な遺構群に大興奮だった。

 その気の緩みが、足元を疎かにしたのかもしれない。帰りがけに向かった、尾根の反対側に残る遺構に向かう途中の事だった。最初に出くわした堀切は、この城郭施設の中で最も大きく、最も険しく、非常に危険な遺構だったのだ。尾根を分断する様に抉られた窪みは、両側が急な崖になっていて、斜面には所々岩肌も剥き出しになっている。僕はしゃがみこんで、何の気なしに堀切の底へ足を伸ばすと、左足を先に地に着けた後に、右足も地面に着けようとする。その一瞬だった。軸足となっていた左足は枯葉の上に乗っていて、足を掬われた僕は、そのまま崖へお尻から滑り落ちた。最初はどうにか受け身を取って、すぐに止まれると思っていたが、それは無理だと直後に察する。傾斜が急すぎて全くと言って良いほど止まれないのだ。ほぼ直角の傾斜によって、僕の身体はどんどん加速していき、その勢いで岩肌に衝突する。太ももに、経験した事がない様な鈍い痛みが走り、一気にパニックに陥った。


 (ヤバい、ヤバい、ヤバい、)


硬い岩肌に弾かれた僕の身体は、いつの間にか宙を舞い、転がる様に傾斜を下っていく。最早、どっちが上で、どっちが下か、右も左も分からない。どうにか頭だけは守らねばと思った僕は、両手を後頭部に添えて固く結び、身体を丸くして蹲った。死を覚悟した。その間にも、腰や腹や、顔に不気味な衝撃が加わる。早く止まれ、早く止まれと思うたび、時間が無限に伸びていく様な気がした。何度めの衝撃だろうか。もはや痛みではない、ただの強い衝撃が脳天に響く。それを最後に、意識がぷつりと途絶えた。

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