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第6話 第一王子と最狂公爵令嬢は、静かに向かい合う

午後。


王城東棟の小応接室は、王族の私的な会談に用いられるだけあって、過度に華美ではなかった。


磨き抜かれた床。

淡い生成りの壁布。

窓際に置かれた季節の花。

中央には低めの机と、対面に置かれた椅子が四脚。


威圧のための空間ではない。

だが、気を抜いていい場でもない。


レオニード・ヴァルフォルン公爵は、入室した瞬間にそう判断した。


「やはり、見るための部屋だな」


小さく漏らした独り言に、隣を歩くセレスティアがわずかに首を傾げる。


「どういう意味にございますか、お父様」


「狭すぎず、広すぎず。

護衛を多く置くにも向かん。

つまり、言葉と態度を見たい時に使う部屋だ」


「まあ」


セレスティアは静かに室内を見回した。


なるほど、と彼女も思う。


ここでは逃げ場も威圧も、どちらも決定打になりにくい。

ならば残るのは、会話の運びと沈黙の置き方だ。


第一王子らしい。


「お嬢様」


アルベルトが一歩引いた位置から低く声をかける。


「何ですの」


「念のため申し上げますが、今日は喉元に剣を突きつけるのは禁止です」


「当たり前でしょう」


「魔法もです」


「当たり前ですわ」


「その“当たり前”が信用しきれないのです」


セレスティアは小さく目を細めたが、言い返しはしなかった。

今日は父も同席している。

ここで余計な応酬をしても得がない。


ほどなくして、扉の外から控えめなノックが響いた。


「第一王子殿下がお見えです」


「どうぞ」


レオニードが応じる。


扉が開き、エドワルド・アルトレイア第一王子が入室した。

同道するのは筆頭文官クラウスのみ。

護衛の気配は外にあるが、室内には入れていない。


それだけで十分だった。


この会談を武力の場にしないという意思表示であり、同時に、自分はそれでも危険を制御できるという自負でもある。


「本日はお時間をいただき感謝する、ヴァルフォルン公爵」


「こちらこそ、お招きいただき光栄にございます、殿下」


礼は完璧だった。


セレスティアもまた、一歩前へ出て優雅に一礼する。


「セレスティア・ヴァルフォルンにございます」


「昨夜ぶりだな、セレスティア嬢」


「ええ、殿下」


その一瞬だけ、空気がわずかに張る。


昨夜の記憶は、双方に鮮明だ。


王族に一歩も引かなかった公爵令嬢。

その令嬢を、今こうして近い距離で見ている第一王子。


セレスティアは、あらためてエドワルドを観察した。


昨夜と同じく、隙がない。

だが隙がないことを誇示してもいない。

目線は冷静で、相手を不必要に威圧しない。

それでいて、場の主導権だけは確実に握っている。


有能だ。


少なくとも、ルシアンとは比較にもならない。


「どうぞ、お掛けください」


エドワルドが促す。


レオニードとセレスティアが向かいに座り、少し遅れてクラウスも席についた。

アルベルトは壁際に控える形となる。


給仕が下がり、扉が静かに閉まる。


完全な会談の空気だった。


最初に口を開いたのはエドワルドである。


「本日の場は、公式な糾弾や裁定のために設けたものではない」


「承知しております」


レオニードが答える。


「では率直に申し上げよう。

私は昨夜の件について、まず事実を整理したい」


「当然にございますわ」


セレスティアが静かに言った。


レオニードが横目で見る。

先に口を挟むな、と言いたいが、今の一言自体は妥当だったため止めにくい。


エドワルドはそれを意に介さず続けた。


「第三王子ルシアンが侍女へ手を上げた。

それを君が制止した。

近衛騎士が介入しようとし、君が制圧した。

その認識で相違ないか」


「ございませんわ」


セレスティアはまっすぐ答える。


「補足するとすれば、わたくしは最初から殿下を傷つける意図ではなく、不適切なお振る舞いを止める意図で動きましたの。

近衛騎士の件も同様ですわ。

先に剣へ手をかけられましたので、無力化の必要が生じただけにございます」


クラウスが内心で感心した。


よく整理されている。

しかも自分に都合よく言葉を捻じ曲げてもいない。

必要な論点だけを抜き出している。


エドワルドもまた同じことを思っていた。


「つまり君は、自分が王族へ逆らったという認識ではないのだな」


「逆らった、とは考えておりませんわ」


「では何だ」


「止めただけです」


即答だった。


部屋の空気が静まる。


セレスティアは一切ひるまない。


「王族であろうと、そうでなかろうと。

理不尽があれば止めるべきでしょう」


レオニードが小さく息を吐いた。

始まった、と思う。

この娘はやはり、真正面から行く。


だがエドワルドは怒らなかった。


「では聞こう。

君にとって“理不尽”とは何だ」


試す問いだった。


広すぎる問い。

答える側の思想が必ず滲む。


セレスティアは数秒だけ考え、それから答える。


「立場の強い者が、自分より弱い者へ一方的に痛みを押しつけることですわ」


「抽象的だな」


「では具体的に申し上げます」


その声音は落ち着いていた。


「責任追及を装って鬱憤を晴らすこと。

身分を免罪符と勘違いすること。

相手が反撃できぬと分かっていて傷つけること。

その全てが、わたくしにとっては理不尽にございます」


クラウスがちらりと主を見る。

エドワルドの反応は薄い。

だが、薄いということは聞いている証拠だ。


「昨夜の件は、その全てに当てはまると」


「少なくとも、わたくしの目にはそのように映りましたわ」


「君は随分と、自分の判断を信じているのだな」


「信じておりますわ」


セレスティアは微笑んだ。


「自分の目で見て、自分の頭で考えたことですもの。

そこを他人に預けてしまえば、わたくしは何のために考えるのか分かりませんわ」


レオニードがほんのわずかに目を伏せる。

この言葉は、娘の本質だ。

昔からそうだった。

人の言葉を聞かぬのではない。

聞いた上で、自分の中で必ず裁定する。


だからこそ手に負えず。

だからこそ強い。


エドワルドは指先を机に置いたまま問う。


「その判断が誤っていた場合はどうする」


「責任を取りますわ」


「簡単に言う」


「簡単ではございませんもの」


セレスティアの瞳がわずかに細くなる。


「ですから、できる限り誤らぬよう見極めますの。

だからこそ、相手が王族だからという理由で思考を止める気はございませんわ」


そこまで聞いて、エドワルドはようやく少しだけ姿勢を変えた。


この令嬢は、本当に一貫している。


目立ちたいわけでも。

反抗したいわけでも。

王家を軽んじたいわけでもない。


ただ、自分の基準に照らして動いている。


それが分かったからこそ、次の問いが必要になる。


「君は王族をどう見ている」


レオニードの視線が鋭くなる。

それは、ここで踏み外すなという父としての警告でもあった。


だがセレスティアは、やはり逃げなかった。


「重い存在だと見ておりますわ」


「重い、か」


「ええ。

権力も、責務も、影響も、全てが大きい方々ですもの。

軽んじたことはございません」


「だが、従わない」


「理に適わなければ」


その返答に、クラウスは背筋に冷たいものを感じた。


王族を軽んじていない。

なのに、王族だから従うわけでもない。

この二つを平然と両立させる人間は少ない。


「つまり君は、王族を敬うが、絶対視はしない」


「その通りにございますわ」


セレスティアは静かに頷く。


「身分は責務を重くするものであって、罪を軽くするものではありませんもの」


昨夜と同じ言葉だった。


だがこうして静かな部屋で聞くと、その意味の重さがより際立つ。


エドワルドはそこで、わざと間を置いた。

沈黙への耐性を見るためでもある。


セレスティアは沈黙に飲まれなかった。

目を逸らさない。

だが睨み返しもしない。

ただ、向かい合っている。


「セレスティア嬢」


今度はクラウスが口を開いた。


「ひとつ、文官として伺います」


「どうぞ」


「あなたは昨夜、自分の行動が政治的波紋を呼ぶと理解しておられたはずです。

それでもなお動いた。

その理由は、侍女一人のためにそこまで踏み込む価値があると判断したからですか」


鋭い問いだった。


侍女一人。

あえてそう言うことで、彼女が何を守ったのかを測る。


セレスティアは迷わず答えた。


「侍女一人だからですわ」


クラウスが目を細める。


「どういう意味です」


「立場の弱い者ほど、理不尽に踏みつけられても“仕方がない”で済まされやすいでしょう?」


その声は穏やかだった。


「公爵家嫡女が打たれたなら、大騒ぎになりますわ。

上級貴族の令嬢でも同じです。

ですが、侍女ならば、黙って飲み込めと空気が強いる。

だからこそ止める価値があるのです」


レオニードは無言のまま娘を見た。

父として誇らしい。

公爵として頭が痛い。

実にいつもの感情だった。


エドワルドは心の中で答え合わせをする。


やはりだ。

この女は“弱い者を守る優しい令嬢”などという単純な存在ではない。


より正確には。


弱い立場の者が、構造的に踏みにじられることを許さない。


それは善性でもあるが、同時に秩序の中の腐敗へ極端に敏感であるということだ。

権力側から見れば、極めて危険だ。


「お前は」


エドワルドが、ふと敬称を外して言った。


「厄介だな」


レオニードの眉がわずかに動く。

クラウスもまた息を止めた。

それは批判にも賞賛にも取れる言葉だった。


だがセレスティアは、ほんのわずかに口元を緩める。


「光栄ですわ」


「褒めているとは限らん」


「存じております」


「だが、間違っているとも言い切れん」


その言葉に、部屋の空気が少し変わる。


第一王子が、完全ではなくとも認めた。

少なくとも、昨夜の行動を“ただの不敬”とは見ていない。


レオニードはその変化を逃さなかった。


「殿下」


「何だ、公爵」


「恐れながら申し上げます。

娘は制御しにくい人間ではございますが、無責任ではございません。

昨夜の件も、後始末から逃げるつもりはない」


エドワルドが公爵を見る。


それは父の顔ではなく、完全に当主の顔だった。


「承知している。

だからこうして非公式に場を設けた」


「感謝いたします」


「礼には及ばぬ。

こちらにも見極める意図がある」


「でしょうな」


公爵も隠さない。


セレスティアは、そんな二人を静かに見ていた。


このやり取りは嫌いではない。

言葉を飾りすぎず、それでいて必要な礼は失わない。

少なくとも、ルシアン相手よりははるかに話が早い。


「では、わたくしからも一つよろしいでしょうか」


その言葉に、三人の視線が集まった。


エドワルドが言う。


「聞こう」


「第一王子殿下は、昨夜のわたくしを“危険”とご覧になったはずですわ」


「否定はしない」


「では、その危険をどうなさるおつもりですの?」


真正面からだった。


クラウスが一瞬だけ息を止める。

普通の令嬢なら絶対に聞かない。

いや、聞けない。


だがセレスティアは聞いた。

自分がどう扱われるかを、相手に直接。


エドワルドはその無礼さではなく、胆力を見た。


「そうだな」


彼は静かに答える。


「お前が本当に危険なだけの存在なら、遠ざけるべきだろう」


「ええ」


「だが、お前の危険は一方向ではない」


「と、申しますと?」


「腐ったものに向く危険なら、王国にとっては必要な刃にもなり得る」


レオニードの目が細くなる。

クラウスは内心で、この主はついにそこまで口にしたかと思った。


セレスティアは黙って聞いていた。


「だから今は、斬るとも使うとも決めん」


エドワルドの声は冷静だった。


「見定める。

それだけだ」


数秒の沈黙。


そしてセレスティアは、ゆっくりと微笑んだ。


「でしたら」


「何だ」


「わたくしも、殿下を見定めさせていただきますわ」


クラウスの手がわずかに動いた。

レオニードは心の中で胃を押さえた。

アルベルトは無表情を維持するのに全力を尽くしていた。


だが。


エドワルドだけは、ほんのわずかに口元を緩めた。


「好きにしろ」


その一言で、この会談の均衡は奇妙な形で定まった。


王家が公爵令嬢を見定める。

公爵令嬢もまた王家を見定める。


本来ならあり得ぬ構図だ。

だが今この場では、確かに成立していた。


「本日のところは以上だ」


エドワルドが告げる。


「昨夜の件について、少なくとも私は全体像を把握した。

今後、必要があればまた声をかける」


「承知いたしました」


レオニードが答え、セレスティアもまた一礼した。


席を立つ直前、エドワルドはセレスティアへ最後に言う。


「ひとつだけ忠告しておく」


「何でしょう」


「ルシアンはお前を忘れん」


「存じておりますわ」


「ならば警戒しろ」


セレスティアは一瞬だけ黙り、それから静かに答えた。


「警戒しております。

ですが、恐れるに値するかどうかは別問題ですわ」


エドワルドはそれを聞き、やはりこの女は厄介だと再確認した。


だが同時に。


だからこそ目が離せない、とも思った。


ヴァルフォルン公爵家の父娘が退出し、扉が閉まる。


しばしの沈黙ののち、クラウスが低く言う。


「殿下」


「何だ」


「とんでもない令嬢です」


「知っている」


「どうご判断を」


エドワルドは窓の外へ目を向けた。


春の陽光は穏やかだ。

だがその下で、王都の水面は静かに波立ち始めている。


「まだ決めん」


彼は答える。


「だが少なくとも、ただ遠ざけるには惜しい」


クラウスは一礼した。


一方、王城を後にした馬車の中で。

レオニードは深々と息を吐いていた。


「お父様」


「何だ」


「少しお疲れではなくて?」


「誰のせいだと思っている」


セレスティアは小さく笑う。


「でも、第一王子殿下は悪くない方でしたわ」


「そこは同意する」


「ええ。

少なくとも、話はできましたもの」


レオニードは娘を見る。


この娘が“話はできた”と評するのだから、相当に高評価なのだろう。


そしてそれは、王家にとっても同じかもしれなかった。


最狂公爵令嬢。

優雅なる災厄。


その危険な刃を、第一王子はまだ折らないと決めた。


それが吉と出るか、凶と出るか。


まだ誰にも分からない。


だが一つだけ確かなことがある。


王家とセレスティア・ヴァルフォルンは、もう互いを無視できない。


それだけは、はっきりしていた。

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