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第二十四話 雪原へ


 町を離れて数日、休みながら飛んでいたエリーに異変が起きたのは、雪山が間近に迫っているときだった。

 エリーの背中から地上を見ていた俺の視界が、草原の緑から雪が降り積もる白へと切り替わった。それと同時に、身を切るような冷気が襲い俺はたまらず身震いした。


 「なんか、急に寒くなってないか?」

 「そうかもしれません。一度下に降りて防寒着をお召しになったほうが―――」


 エリーが俺にそう進言しようとした時だった。ほんの一瞬、すぐに戻ったものの今まで安定した飛行を続けていたエリーの姿勢が突然グラリと傾いたのだ。


 「エリー、調子が悪いのか?」

 「大丈夫です。まだまだ……あっ!」


 エリーの姿勢がぐらつく。慌てて俺が魔力を送ることで持ち直したが、そのまま飛ぶのは無理だと判断した俺はエリーにいますぐ着陸するように命令した。

 地面に足がついたところで俺はエリーの背中から生える羽を見た。するとコウモリのような羽の皮膜がところどころ変色しており、触るとエリーは苦しそうな声を漏らした。話に聞いただけでしか知らないが、これは凍傷だ。


 「おいエリー。お前、羽が凍傷になっているじゃないか」

 「もうしわけ、ありません。ですが、少し休めば―――」

 「いや。このまま歩こう。気づいていないかもしれないけど、顔色が悪いぞ」


 俺が指摘した通り、エリーの顔はすこし青くなっている。羽が凍傷になっているだけではなく、ここまで飛び続けていたせいで疲労が蓄積されたせいだ。思えば、町でもレヴィスに絡まれたせいで馬小屋なんかで寝る羽目になっていた。無理をさせた反動が、今になって現れたのだろう。


 「ここから目的の村までは、もう少し歩けば着くはずだ。頑張ってくれ」


 励ましながら歩いていく俺とエリー。だがエリーは羽の凍傷が痛むのかよたよたとした歩き方だ。彼女が何か痛みから気をそらせないかと、俺は他愛のない話を振ることにした。


 「そういえば、エリーは飛ぶのと歩くのはどっちが楽なんだ?」

 「はい。どちらかといえば飛ぶほうが楽です」

 「え? そうなのか」

 「はい。その、神獣だった頃の私は飛んでいるほうが自然体だったのです」


 今の人間の姿をした彼女は、いうなれば重たい鎖や鉄球を引きずりながら歩いている状態なのだそうだ。そうなると、町の中で今まで俺の後ろに付き添うように歩いていたのは、単に俺の歩き方に合わせていただけという側面があったのだろう。

 戦闘となれば自分に代わって戦ってくれる彼女だ。それ以外では楽をさせてやりたいと思った俺は、ふとあることを思いついた。


 「エリー。ちょっといいか? そのままじっとしていてくれ」

 「ご主人様? 一体何を……っ!」


 俺は荷物を全て背中に移して両手を自由にすると、そのままエリーを横抱きに抱え上げようとした。


 「なりませんご主人様! お仕えするべき立場の私が、ご主人様にこのような負担をかけるわけには!」

 「そういうなよエリー。今までさんざん苦労を掛けてきたんだ。今度は俺が楽をさせてやるから、そのぶんしっかり休んで後で俺を運んでくれ。


俺は彼女が安心するように笑顔を向けた。しばらく押し黙って悩んでいた彼女だったが、やがて俺の好意を無碍にするわけにはいかないと俺に身をゆだねてくれた。


 「よぅし! 任せろエリー。あっという間に……」


 気合を入れて、俺が彼女を担ごうとしたその時だった。バシイィィッ、と俺の腰が不吉な破裂音めいた音を立てる。それと同時に、腰の部分を中心に激痛が俺の身体を走った。


「ご主人様?」

「あぅ……」

「ご、ご主人様ぁぁああ!!」


あまりの激痛に俺の身体が一瞬固まる。そしてエリーを抱えた体勢のまま、俺はゆっくりと地面に倒れこむと、そのまま動けなくなるのだった。



「すまない……本当にすまないエリー」

「いえ。お気になさらないでください」

 

 数分後、ぎっくり腰で動けなくなった俺を背負って歩くエリーの姿がそこにはあった。エリーの負担を少しでも軽くしてやろうと意気込んだ俺だったが、情けないことに結局はエリーの荷物と化してしまっている。

 なおさら情けないのは、俺がエリーを抱えて歩くよりもエリーのスピードが速いという事だ。飛んでいた時ほどのスピードではないが、それでももの凄い速さで疾走するエリーの背中で、俺は草や木々が瞬く間に通り過ぎて雪原の景色に切り替わるのを見た。


 「うーん……やっぱりそうか」

 「いかがいたしましたか? ご主人様」

 「ああ。エリーの羽が急に凍傷になったから変だと思ったんだけど、やっぱり降雪の範囲が地図にあるよりも広がっているみたいだ」


 ケルンにもらった地図だが、驚いたことにまだ民間には出回っていないはずの最新版だった。それはさておき、その地図によれば雪山であるセッチ山を中心として広がる雪原地帯はまだまだ先。普通に歩けば一週間はかかる距離にある。

 だが俺たちが進んだ距離は、せいぜいがその半分くらい。まだ雪原に入るには早すぎるはずなのだ。にも関わらず、ここには雪原が広がり、エリーの羽が登場になるほどの冷気が満ちている。これはどういうことなのか。


 「もしかすると、ラファが何かしでかしているのかもしれません」

 「ラファが?」

 「はい。ラファは天候を操る権能を持っておりました。もし本当にラファが魔物の側について人間とは敵対したのなら、このような異常気象を引き起こして人間を苦しめている可能性は十分にあり得ます」

 「……」


 エリーの考察を受けて俺は前世の記憶を探った。いまだ抜け落ちてしまっているかのように思い出せない箇所も多いが、十二体いる神獣たちの名前や能力に関しては完全に思い出すことができる。

 その記憶によれば、確かにラファは天候を操ることができた。ただし、小規模な範囲でだ。局地的な豪雨を降らせたり、曇り空を晴れ渡らせたり。農業を行う上でとても役立つ権能ではあったが、ここまで広範囲に効果をもたらすようなものだっただろうか?


 「エリー。俺の記憶によればラファの権能は小規模にしか働かなかったはずだ。でもこの雪原はどう見ても雪山から遠く離れたところまで及んでいる。ラファにこんなことができるのか?」

 「四千年の間に成長した可能性もあります。あるいは、何らかの手段で自分の力を強化しているのやもしれません」


 俺の疑問に対して、エリーは淡々と答えていた。俺のこととなれば口より先に手が出るような性格をしているのが彼女だと思っていた俺にとって、これは意外な反応だ。

 そして、意外なことはもう一つあった。それは号令の杖を介して流れ込んでくる彼女の感情だ。


 「エリー、怒っているのか?」

 「わかりますか」


 そう。それは怒りの感情だった。どうやらラファに対して何か怒っているらしいエリーに対して、俺はさらに聞いた。


 「ああ。でもどうして怒っているんだ?」

 「……ご主人様。ご主人様が他者にはない強い力を授かったのは、その力で弱者を庇護し、救うためだとわたくしは考えております」


 エリーが語るそれは、かつてパイアとの戦いでおじけづいた俺に語ったことだった。ハーディン王が自らの使命とした領土と国民の保護。ハーディン王はその使命を全うするために、死ぬとわかっている戦いにすら向かっていった。


 「わたくしがこのような力を授かったのも、きっと弱者を助けるため。それをあのラファは、悪用してご主人様の名前に泥を塗っているのです。むしろご主人様はお怒りではないのですか?」

 「うーん……」


 普段の冷静で丁寧な態度とは打って変わって憤りをあらわにするエリー。一方の俺はというと、そんな彼女に対していまいち同調することが出来ずにいた。

 そんな俺の態度がじれったくなったのか、エリーはさらに言葉を重ねた。


 「ご主人様。神獣たちを統べる主として、ご主人様はラファに制裁を与えるべきです。それがこの地を治められるハーディン王としての務めであるはずでございます」

 「待てよエリー。今はまだ何もわからないじゃないか。もしラファが魔物に味方していたとしても、それは何か弱みを握られているせいかもしれない。もし本当はそうだったとしても、エリーはラファが一方的に悪いと思うのか?」

 「…………」


 エリーが押し黙る。しかしそれは、納得したから黙ったのではなく俺の言い分に言い返せないからでしかない沈黙だ。


 「とにかく、村に着いたらまたそこでいろいろと調べてみよう。何かわかるかもしれない」

 「……かしこまりました。仰せのままにいたしましょう」


 ふしょうぶしょうながら、エリーは確かにうなずいた。そんなエリーを見ながら、俺は胸中でラファが魔物の仲間になっていないようにと祈るのだった。


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